今朝も起きたのは11時。今では僕もトニー時間、か…。
思い出せば成田で夜中に電話をした時って、こっちは今時分だったんだよなぁ。寝ぼけ声のトニーに呆れてた僕が、今じゃ同じ穴の何とやらだ。隣の部屋で毎晩遅くまで話し込んでるせいだな、でも彼女達はとっくに病院で働いてる訳で。
なんか出遅れちゃった気分だ、とりあえず屋上で一服。トニーは「部屋で吸えば?」と言ってくれるが、彼が煙草を好きじゃないのは知ってるので。ドアを開けると光の洪水、外は早くも真昼の熱気だ。
今日は午後から家庭教師が来て、トニーにスペイン語を教えてくれる日だそうだ。午前中は予習と復習をすると言うので、邪魔にならないように外をぶらついて一日過ごそう。ついでに新しいビーチサンダルを買いに行くか、裏がツルツルになって鼻緒が取れやすくなってるし。
ともかく食事が先だな。身振り手振りも板についてきて、ママの(何を飲む?)という動作にコーヒーをお願いした。
「カリエンテ[熱い]?」
ママは(ホットが良いのか)と、僕に尋ねているのだ。
ちなみに[暑い]は「ピカ」または「ピカンテ」という。この[熱い]と[暑い]の違いを、ママとパティの3人で大笑いしながらジェスチャーのやり取りをして覚えた。コーヒーは、ちょっとぬるかったけど非常に美味しかった。ママは「インスタントなのよ」と申し訳なさそうに言うけど、僕は世辞を言えるほど器用じゃない。
食事の用意が出来る前にトニーが下りてきて、いつものようにママから食事の事で文句を言われる。ちょうど子供達がロレーナと一緒に学校から帰って来て、お説教は中断されて食卓についた。いつもの「赤豆と肉の煮込み」とトルティージャを食べる横で、トニーはコーラを飲みながらジョークを飛ばす。
突然、ゴォーッという音が近づいてきた。
何事かとガレージのほうを見ると、一瞬にして外は真っ暗! 向かいの家が見えない位の豪雨だ、樋を伝って怒涛の白滝が落ちてくる。
「ジュビア!」
そう叫んだディエゴは、すでにガレージまで駆け出していた。ジョアンナも彼を追って、滝の下で一緒にキャーキャー始めている。ロレーナは大きなため息を吐いて「ふたりとも、食事の途中でしょ!」とかなんとか怒鳴りながら、子供たちを捕まえに席を立った。
呆気に取られていた僕もトニーの後に続くと、もう滝の下は大きな水たまりだ。外に出た途端にずぶ濡れで、僕も意味なく大笑いしながら遊びの輪に加わった。しかめっ面だったロレーナまで、子供たちと大はしゃぎで押し合いへし合い。
(ずぅっと忘れていたよなぁー、この感じ…)
雨に濡れるのって、こんなに気持ち良かったんだ。こんな事で、腹の底から笑っちゃえるんだなー。子供じゃなくなってから無意識のうちに、大人の振る舞いを計算するようになってたのかな。そういうスイッチが自然に切れて、余計な力が抜けて洗い流されてゆく感じ。
これからは覚えていよう、全身で浴びる雨の素晴らしい気分を。もう僕は、雨を嫌う生活には戻らないんだ。濡れたら洗って乾かしゃあいいんだ、雨が降る所で暮らしてるんだから。
そりゃあ濡れたら困る時だってある、寒い日は特に。でも(革靴の底が駄目になる、ズボンの裾が汚れる、スーツがしわくちゃで靴下が蒸れるetc..)なーんて下らない苛々で一日を不愉快にするのは止めだ。
やがてロレーナが我に返って子供たちに戻るよう怒ってみせたが、彼女も一緒に遊んだ手前あんまり強く出られない。僕らはディエゴに手を引かれるまま、通りを走った。
マカレナ公園前の道路に、近所の子供たちが飛び出して来る。子供の考えることは同じだ、みんな集まって始まる転ばしあい。言った者勝ちで、呼ばれちゃった子は水溜まりに引き倒される。転がされるほうも転がすほうも、悲鳴を上げて大興奮。
誰かがトニーの名を叫んで、寄って集って泥水の中に転がされた。僕も心置きなく、彼の顔に水を浴びせてやる。ははは、下らないことに熱中するのって楽しいなぁ。当然ながらトニーは僕を指名、柄にもない黄色い悲鳴で押し倒される。濡れたアスファルトの匂いが懐かしい。
水溜まりで遊ぶうちに、何度も滑ってビーサンの鼻緒が取れた。やっぱり、後で買いに行かなくちゃ。これで午後の予定は決まりだ。
いつの間にかジュビアは止んで一段落する頃、オーラが見えそうな勢いでロレーナがズンズン寄ってきた。みんな冷や水を浴びせられたように、開放的な空気がキュッとしぼんで消え失せる。ディエゴとジョアンナを連れ戻しに来たロレーナに、昨日トニーが言っていた台詞を思い出した。立ちすくむ子供達に物凄い剣幕で、言葉の分からない僕まで泣きそうになる。
子供を引いて帰る彼女の後ろから、トニーと僕はすごすごとガレージの檻に入る。空はもう雲ひとつなく、潮が引くように路肩が乾いてゆく。シャワーを浴びて着替えた後も、僕の気分は晴れなかった。
2005年05月27日
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