昼すぎ、僕はトニーと買い物に出た。ビアネイも一緒だ。
セントロまでの道筋は、すっかり頭に入っている。トニーが好んで使う道順も覚えているし、この辺の位置関係はおおよそ把握していた。ちょっと地元の人になった気分。
僕達三人は、英語で他愛ない話をしていた。歩きながらのせいか、ビアネイの部屋でよりも会話が負担に感じられる。トニーはネイティブ・スピーカーだし英語の先生だから平気だろうけど、僕にとってビアネイのスペイン語訛りを聞き分けるのは難しい。
例えば、ビアネイが「star」と言うと「スタール」にしか聞こえないのだ。スペイン語でRを発音される度に、僕は彼女に何度も聞き返す羽目になる。何度でも陽気に答えてくれるものの、会話の腰は折れっ放しでボロボロだ。
スペイン語訛りの彼女と話していて、昔観たアメリカ映画の中国移民の英語を思い出した。トニーと二人で話していると気付かなかったが、自分の英語もアジア系の訛りがひどいもんだ。だからって恥じてる訳じゃないけど、話すのも聞くのも疲れた僕は会話から外れて歩いた。
トニーが「暑いし、喉が渇いたので『マッダーノゥ』に入ろう」と言った。何?…あぁ、マックの事か。
「こっちの店は東京のよりデッカくて、敷地内にプレイランドがあるんだぜ?」
なんだか彼は、僕の好奇心をあおってるみたい。退屈そうな顔をしていると思ってなのか、それともマックに行きたくなさそうな僕の興味を引こうとしているのか。
「子供の遊び場を設けるなんて、面白いアイデアだね。無料なの?」と、僕。
「もちろん。でも君はダメよ、大人の体重じゃ壊れちゃう」って、当たり前だ。
僕もこの真昼の暑さに慣れてきたな、それでも店内に入るとクーラーで生き返る。ちょっと効き過ぎで、一瞬ゾクリと総毛立った。三方がガラス張りで、照明なしでも眩しい。注文カウンターの反対側に、半屋内の遊び場が見える。人工芝の上に、平日のせいか寂しげなアトラクション。
僕はまだ腹ごなしの途中なので、ホットコーヒーを注文する。妙な顔をした2人に「僕の体は、冷えると調子が狂うんだ」と説明した。ランニングシャツから出た両肩は、もう冷たくなっている。ハワイでもそうだったが、南国では室温20℃以下がマナーか? こればかりは馴染めない。
トニーがフライドポテトを勧めてくれる。小さなカップにケチャップが入っていて、僕は(言えばくれる)とは知らなかったので驚いた。笑いながらビアネイが「でも、これはないでしょうね?」と言って指さしたのは、ケチャップと同じパックのハラペーニョ・ソースだった。カップにあけると、とろりとした緑色をしている。思ったほど辛くはないが、これは悪くないな。
「デリシオーソ」と僕は言った。
ハラペーニョの実体は辛いピクルスの様なもので、僕は日本での夏の間じゅう取り憑かれたみたいに食べていた。ご飯に山盛りで「ハラペーニョ丼」などと命名して本人ご満悦、家族に呆れられていた位だ。
ビアネイが軽く肩をすぼめて、満足そうに微笑んだ。トニーは僕にブラジルの「ご当地メニュー」の話をしてくれる。
目抜き通りはトゥルム通りといって、他にもウシュマルとかコバといった近隣のマヤ遺跡からとった名前の大通りがある。トゥルム通りは、コバ通りを越えて16q南下すれば空港、更に行けばユカタン半島の付け根まで延々と続いているのだ。
南北それぞれの大通りに交わる中心の緑地帯には、小さなモニュメントが建っていた。メキシコは右側通行なので、交差点を通過する車は反時計回りで行きたい方向に車線変更してゆく。まさにロータリー、渦巻くような車の奔流。僕の運転じゃ無理だ。
信号や横断歩道が多くはないからって、歩いてても不便とは感じない。この町の空気や、ゆるやかな時間の流れのせいかもなぁ。のんびりと気取らない田舎町の風情、それでいて安旅行者の求める快適さは充たしている。道路事情を比べても、文化の由来や社会構造の違いを感じた。
気安いセントロの街並みは「国際的観光地の金看板は新しいホテル地区に任せてちゃって、こちとら相変わらずローカル相手の肩肘張らない商売をやるんだもんねー」とでも言いそうな雰囲気があって良い。
そういえば夏前、駅貼りの〈常夏のカリブ海! カンクン4泊5日〉とかいうポスターを見てたっけ。まだバイトもせず、可能性ゼロだった頃だ。あんなツアーだったら、今も溜息と共に見上げるだけだったな。その半額よりは多いけど、こうして僕はここにいる。
写真で見る限り、ゾナ・オテレラはホノルルみたいな感じだった。行ってもいないで決めつけは良くないか、でもリゾート歓楽街にしか見えない。そういう場所に僕が宿を取っていたら、とっくに荷物をまとめて帰国便だろう。
四日目なのに、気が付けば僕はずうっとここに滞在しているような錯覚さえ抱いていた。しかし幸運な事に、まだ一週間も経っていないんだ!
2005年05月27日
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