シカセルを後にして、車は再びホコリっぽくて変化に乏しい一本道を走っていた。
泳ぎ疲れた上に朝から食うや食わずで、僕は言葉少なになっていた。クーラーなしでスシ詰め状態だから、なおさら苦痛に感じられる。さすがにもう家に帰るだろうと思っていたのだが、次は(地面の下のセノーテ)に行くそうで。そいつは結構なこった、ふぅ…。
今度はダッヂバンが後ろに付いて来たのだが、さすがのエドベンもくたびれているようだ。日本並みの交通量なら、あわや玉突き衝突…という一瞬でダラケ気分が吹き飛んだ。砂利道のデコボコした上り坂を上がり、芝生の手前で車が停まるとトニーと2人で売店へ一目散。いきなりコーラを一気飲み、空腹と渇きを黙らせる。
斜面の上に東屋ふうの建物、白い柵の中にロバがいて、ヤシの木につながれた猿がいて、奥には厩舎がある。…なんだこりゃ、ワンパク動物園か? この中途半端な場が妙に可笑しくなって僕ひとりだけがロバを見て笑い、猿を指しては笑っていた。
その後ろは崖になっていて、らせん状の階段で回り込むと植物園みたくなっている。いやはや何処に行っても、こういう(謎の行楽施設)は存在するんだなー。植物園より下まで階段は続いていて、それは崖下の泉に通じていた。岩盤を押し上げるように、ばっくり口を開けた洞穴は真っ暗で不気味だ。水のゆらめきが岩に映り、幻想的な光の模様がうごめいている。
またここでもエドベンは「さぁ泳ごう」と言い出した。本当に良いんだろうな〜、神聖な泉なんだろ? 躊躇する僕を尻目に、まったく臆する事無く飛び込むけれど…。水音が洞穴に反響して、光のしぶきが暗い岩肌の上で火花のように弾け飛ぶ。暗がりに浮かぶ彼の首が笑っている。
水中が確かめられない暗さと、低い天井の圧迫感で気が進まない。とはいえ得がたい機会だし、覚悟を決めて跳んだ。体を伸ばして息が続くまで、真っ暗闇の水中を進んでゆく。体をひねりながら顔を上げると、光の中に立ち尽くしたトニーの顔に笑顔が戻った。
「あー、びっくりしたョ! 水の底に刺さっちゃったんじゃないかと思った」
手雨からは、奥の岩肌に埋め込まれた金具までロープが張り渡されている。おっかなびっくり掴まり泳ぎで来たトニーに、悪ふざけを仕掛けてやれ。物音立てずに潜行して接近、全力で浮上する勢いでサブーンと腹まで水面から飛び出して「びよぉーん!」と…。ちょっと、やりすぎだったか。
次は僕がハメられる番だった。セノーテ中央に突き出した岩に登ろうとしていると、岸からエドベンが真顔で叫んだ。
「あんまりそっちに行くな、ワニがいるぞ!」
僕が恐怖に駆られて、必死で岩の上に飛び乗ると「ウソだよ」と言って彼は笑い転げた。洒落にならないぜ、本当に居そうな雰囲気だもの…。
他の面々も岩に上陸してきて手狭になったので、僕は垂直飛び込みで水底まで届くか試してみようと思いついた。水中の状態が判らない不安はあるが、最低でも僕の身長より深いし岩から離れればリスクは小さい。とにかくやってみよう、大きく弧を描くように跳んだ。
しかし思った以上に深く、水圧で頭痛がしてきた。ってことは5mより潜った筈だが、感覚よりも実際は浅いだろう。限界の一息手前で指が砂利に触れて、手探りで何かつかむと焦りを堪えて水面に向かう。見えないものに触った気味の悪さが、恐怖に変わり始めた。
僕は岩にしがみついて荒い呼吸をしながら、戦利品を光のほうへ差し出す。見れば、ただの小石だ。
「何をしていたの?」岩の上からビアネイが僕をのぞき込んだ。
「水底から石を拾って来たんだ」
「マヤの財宝は見つかったかい?」
トニーはふざけてそう言った。僕は「いいや」と答えて、小石は泉の中へと帰っていった。
帰り支度をして空を見ると、一面の曇り空から雨が降り始めた。いつものジュビアらしからぬ、まるで梅雨のようなしとしと降りで奇妙な感じだ。馬小屋の傍らに建てられた、切り妻造り風の東屋に避難して雨をやり過ごす。
その間トニーと僕は、木立を伝って雨を避けながら気晴らしに歩いてみた。気配のない厩舎は静かに濡れて、うら寂しい眺めだ。
間もなく雨は収まってきて、慌ただしく車に乗り込むとセノーテを後にした。
2005年05月27日
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