2005年05月27日

メキシコ旅情【水源編・10 セノーテ・シカセル】

 午後になって、暑さはいよいよ増してくる。僕らは海にやって来た。
 ゲート近くの駐車場からは、砂混じりのアスファルトの先に長い海岸線が見える。しかし一行は海を横目に、砂浜を見下ろす下草の小道を歩いて行く。日本の海辺にもありそうな景色で、そのせいか妙に心が和む。
 道はヤシの疎林へと続いていて、徐々に道幅が狭まってきた。少しずつ空と海が隠れて、絡み合う木々が覆い被さってくる。植物の発する湿気に包まれて息苦しく、足元がジメジメぬかるんで歩きにくい。便所サンダルみたいなの履いてるから、尚更だ。
「多分これはアレだよ、ほら海辺に生える木の林…」
 背中越しにトニーの声。マングローブ、か。確かに土の上じゃない、ひしめく根っこを踏みしめてる感じ。いや待てよ、マングローブの根って板状だった筈だ。つまりこれって落ち葉と下枝? 下手に踏み抜いちゃったりしたら…とは考えるまい。ともかく、こうしてサンゴ礁の上に木が生えて腐葉土が堆積して、陸地になってく途上に立っているのだな。
 誰かの声が前方から聞こえ、指さすほうを目で追うと小枝の隙間に何かがいる。もっそりと身じろぎしない影…イグアナ?! 初対面にしては間近すぎて、僕をビビらすには充分な大きさだった。でもイグアナって(絶海の孤島に群れをなし、荒波の岩礁に潜む生きた化石)じゃないのか、こんな所で不器用そうに樹上にしがみついてて。
「こいつ、まだ小さいほうだよ」
 エドベンが振り返って教えてくれる。またしばらく歩いていると、更に大きなイグアナが目の前に出現。ここは秘境かよ、すごい土地だ。あんなものは、エドベン達にとっちゃあ田舎のガマガエル程度なのか。
 ふいに、ぽっかりと空が広がった。
 たどり着いたその場所は、水汲み場があるだけの小さな用水池に見えた。先に着いたエドベン達は、池のほとりに組まれた丸太の足場に腰を下ろしている。(わざわざ、ここまで何しに来たの)という目でエドベンを見やると、彼は笑って言った。
「ここがセノーテ・シカセルだよ」
 海の近くに湧き出る、エメラルド色の神聖なる泉。のぞき込むと、目測で10m下の水底が砂粒まで見える。水の屈曲率を考えると、実際は相当深いな。不思議な青みを帯びた水は、緑がかった藻の色とは全然ちがうのだ。垂直にえぐられたような側壁の形状は、人の手で掘られたのだろうか…?
 見る限りでは、人骨も財宝も沈んではいなかった。すべて取り去ってしまったのだろうか、または最初からありもしなかったのか。一般的に信じられているような血の風習など、実は無かったという学説もある。僕は(それらしき風習はあったけど、そんなオカルトまがいの世界観ではなかったろう)と思っている、根拠はないけど。
「何してるんだい、泳ごうよ」
 エドベンが水汲み場で手招きする。えっ、聖地で泳ぐなんて罰当たり過ぎでしょ?!
「大丈夫だよ。ここで人を投げ込んだりはしていないから」
 また得意のキツい洒落じゃないだろうな〜? それでも彼と男子2人が飛び込んだので、僕も思い切ってジャンプ。泉の水はひんやりとして、汗ばんだ体の細胞が生き返ってくる。頭を浸けて水底を見下ろすと、はるか下に青い砂漠が。月の上で宇宙遊泳でもすれば、こんな眺めになるかもしれない。
 くぐもった水音以外に、聞こえてくるのは自分の脈拍だけだ。いくら立ち泳ぎが出来たって、宙ぶらりんには慣れてない。沈船の真上でダイビングした時の、本能的な恐怖と同じだ。自分自身に(パニックを起こさなければ大丈夫なんだから)と言い聞かせつつ、生まれ変わっても生け贄は厭だなと思う。

 ひと泳ぎした後、来た道を戻る頃にはイグアナも消えていた。そのまま手前の海に下りると、一面の砂浜だ。ちょうど引き潮だったのか、波打ち際までの間で草野球ができそうな広さ。先日ディエゴ達と行ったゾーナ・オテレッラ[ホテル地区]の、プラジャ・カラコルとは違ってリゾート開発されてないおかげだ(ちなみにプラジャとは、ビーチを指すスペイン語らしい)。
 このビーチもまた遠浅だったが、僕たち以外に誰もいない。もちろん海の家もなければ、鳴り物もない。海面からの強烈な照り返し、そして無風状態。真っ黒に焼けた肌でさえ、チリチリと痛みを覚えるくらいの熱気だ。全身の毛穴から、血液中の水分が気化しているんじゃないかと思う。急いで水着一丁に。
 グラシエラに砂を被せて、マッチョ体形のレリーフにする。ついでに、掘り出した葉っぱや海草もアクセントに添えましょう。う〜む、男らしい。ビアネイ大笑い。そして僕は「日焼け止めだ」とか言って、汗ばんだ体に細かい砂をはたいて付けた。全身を白塗りした原住民の祭化粧だ、でも発汗作用が抑えられて余計に暑苦しくなってきた。一番乗りで、海までひとっ走り。
 クリーム・ソーダのように白く泡立ったスープを足首に巻き付けて、波の立つ場所まで着いた。案の定たいして深くもなく、波の高さもせいぜい肩に掛かる程度だ。片手を伸ばす姿勢でボディ・サーフィン、ほんの少しだが波乗り気分。さすがに波の勢いは、外海のサンゴに削がれて弱い。 
 そうして一人で遊んでいたが、誰も海に入ってこないじゃんか。この熱気で、よく平気だな。トニーは「みんなマヤ系の人だから、シャイなんだ」と言うが、なぜ急に恥ずかしがってるの?
「オー! つまり…君の水着はちょっと刺激が強すぎるんだよ〜」
 僕の腰には、マゼンタ・ピンクの小さな布が張り付いている。なるほど、昔は僕も(ブーメランパンツかよ?!)って寒気がしたな。でもプールでバイトをしてたせいで慣れちゃってね、似合っているとは言い難いけど。…っていうか、この肉付きでは赤裸々すぎたか。身をかがめるようにして、そそくさとサーフパンツを穿く。

posted by tomsec at 17:24 | TrackBack(0) | メキシコ旅情6【水源編】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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