2005年05月27日

メキシコ旅情【水源編・7 二転三転】

 スーパーで夕食の材料を買うものだと思っていたのだが、トニーは少し困ったような顔で言った。
「それがさぁ、明日の朝早くに出掛けるかも知れないんだって。よく判らないんだけど」
 彼が言うには、エドベン一家総出でピクニックに出掛ける…という話になってきているらしい。メリダ近郊に住んでいる、ママのお母さんのところに泊まりがけで行くというのだ。メリダという都市はカンクンの西方に位置し、途中にチェチェンイツァ(有名なマヤ文明の神殿)がある国内交通の要所だ。
 さっきまでエドベンとは一緒だったけど、彼は一言もそんなこと話さなかったぞ? ということは、車屋から戻った後で決まったのかなぁ。だとしたら、ずいぶん急な話じゃないか。
 僕達も連れて行ってくれるそうだが、あのビートルとゴルフの二台にそんな大勢で乗れるとは思えない。バスで行くのか、その辺の事情も含め、詳しい話はトニーも判らなかった。大体トニーの話振りからすると、その情報自体が不確かな様子だ。そうだよな、そんな場当たり的な家族旅行なんて考えられない。
 そうなると、うっかり夕飯の買い物なんて出来ない訳だ。もし本当に早朝出発なら今夜は早寝になるし、今からすでに準備でバタバタしている筈だった。慌しい展開に不安を覚えつつも、内心では(それも悪くないか)などと思っていた。お金は無いけど、ユカタン半島のあちこちを訪ねてみたい気持ちはあったのだし。マヤ遺跡に行けたらラッキーこの上ない。
 
 ともかく夕食の準備は見合わせるとして、僕らはエドベンへの誕生日プレゼントを買うことにした。トニーは「彼の好きなラム酒にしよう」と言った。エドベンがラムを好むとは、ちょっと意外だった。メキシコといえばテキーラで、ラムはカリブ海の島国が相場だと思っていたし、考えてみれば彼が酒を飲んでいるところを(ガレージ・パーティでも)まだ一度も見た事がなかった。
 ラムの中でも、エドベンの好きな銘柄は「ハバナ・クラブ」なのだという。へーえ、ハバナといえばキューバの首都じゃん。そういえば、前にトニーが「去年メキシコに来た時に、彼とキューバに行った」と話していたのを思い出した。
 どっちにしろ、酒の味には関係ないか。

 やっぱり「家族そろってメリダ行き」は無かった。
 思ったとおりだ。メキシコに来る以前、トニーを通じてブラジル人と遊んだ経験から、そんな気がしていたのだ。国民気質が似ているかどうかは分からないけれど、幾度となく振り回された時のパターンと共通するものを感じたのだ。
 だからと言って、無論「ブラジル人は口ばかりだ」なんて言うつもりじゃない。僕が思うに、彼らは多分、こうしたら楽しいという気持ちを現在形で話すのだ。そしてエドベン一家もまた、そんな人達なんだと思う。実際はともかく、そんなふうに接していれば言動不一致に腹を立てたり疲れたりはしないで済む。

 トニーがエドベンに真相を確認しに行っている間、僕は屋上で一服する。
 今日は雨が降っていないせいか、特に暑い。陽の当たる場所に出ると、すぐに汗が肌を伝って流れ落ちてくる。真夏は、これ以上暑くなるというのか?
 周りに高い建物がないので、ぐるり見渡して目線をさえぎるものがない。そよりそよりと吹く風も、はるか遠くからゆっくりとやって来る。サングラス越しでも、充分に青い空。雲ひとつない快晴、という奴だ。そういえば、ここに来てから空にはいつも雲が無かった。捜せば地平線のふちに小さいのを幾つか見つけられるが、せいぜいその程度だった。
 階下で、部屋の扉を開ける音がした。僕らの部屋だけ、開閉の度にやかましい音を立てるので一発で分かる。トニーが呼ぶ声がするので、吸い殻を簡易灰皿にしまうと自分の洗濯物を取り込みながら部屋に降りた。
「今夜はナイト・キャンプだって、エドベンの車でビアネイ達と一緒に」
 メリダ行きの話はどこへやら、今は若者だけで近場のハイキングが計画されている…という。
 オーケー、だけどグラシエラとビアネイは出掛けていたから、まだ知らされてない筈だ。という事は、この話も決定版じゃないって訳だな。
「うーん、でもエドベンは決めたみたいだったけど」
 それなら、きっと彼だけが決まっている気なのさ! 信用して、備えようとするから振り回されるんだ。勝手に決めればいい、僕は僕で構わないだろう。
 また喉が渇いてきた、トニーと一緒に彼のお気に入りのグローサリーまで行く。もっと近くに店はあるのに、彼に言わせれば「ナチョスとか、1リットルの冷えたコーラを置いている」のが決め手だそうだ。しかも、大通りを渡ればすぐにレンタル・ビデオ屋だ。なるほど納得。
 帰り道、トニーは一軒の家を指して「ここは日本人が住んでいるんだって」と言った。針を使う医者、というのは鍼灸師の事なのだろう。「けっこう高いらしいけど、いつも混んでいるって聞いたよ」と彼は言った。本当かねぇ、メキシコで鍼治療か…。

posted by tomsec at 17:24 | TrackBack(0) | メキシコ旅情6【水源編】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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