2005年05月27日

メキシコ旅情【水源編・6 誕生日】

 トニーの部屋の、青い壁の色が目に心地良い。炎天下のドライブは堪えたな、僕はトニーに「冷えたコーラを持って来よう」と提案する。しかし残念ながらグラシエラもビアネイも留守、つまり冷蔵庫には手が届かない…。なんてこった、干乾びちまうよ!
「それじゃあ今からセントロに行って、途中のバーガーショップに寄ろう」
「ノー、トニー。そんなに待てない、僕にはコークが必要なんだ、今すぐ」
「食事はまだだろ? 御馳走するから」
 僕は、あと少しだけ渇きを我慢することにした。

 ところで今日は、エドベンの誕生日だそうだ。それでトニーは彼のために夕飯を作ろうと考えて、買出しと相成った次第。ジャンク・フード好きなトニーが料理とは意外だったが、そういえば原宿に住んでいた時にタコスを作ってくれたもんなぁ。…ともかく食材調達より先に、自分の飢えと渇きを満たさないと。

 マカレナ公園を通り過ぎようとしたら、向かいの家から声がして近所の子供達が走り出て来て、思った通り「マカレナ!」と叫んで歌い始めた。仕方が無いから、僕は歩きながらしばらく踊ってやる。
「人気者じゃないか、君はマカレナ・キングだよ」
「よしてくれトニー、ちょっと面倒臭くなってきてるんだ」
 実はこうなるのが嫌で、連中の溜まり場になっている公園を避けていたのだ。(こんなサービスもうしない、ばかみたいだ)と思った。

 メルカドを過ぎてから、いつもと違う道へ。セントロへの最短ルートらしく、細かい路地を縫うように歩いた。やがて、白ペンキのブロック塀に色鮮やかなスペイン語が踊っている、小さな飲食店が軒を連ねる道に出た。シエスタのせいか、どこも閉まっていたけど。この辺はもうセントロなのかな?
 右手に見えてきた、広々とした公園を突っ切っていく。コンクリートの上に、木々が大きく枝を広げている。途中で、トニーは左手の映画館を指さした。
「時々、ここに来たんだ。何曜日だったかなぁ、タダで観られる日があるんだよ」
 看板は枝に隠れて見えなかったけど、れっきとした封切り館らしい。他の日を有料にしたって、これがタダで観られたら商売にならないだろうに。僕の聞き違い、じゃないよな。
「そう、信じられないけどね。でもやっぱり、その日は混んでるよ」
 どうやら(無料デー)は金銭的余裕のない人達への慈善的興行で、裕福なクラスの人々は別の空いている日に落ち着いて観るもの…なのだそうだ。

 メキシコは階級社会だ、と、ガイドブックに書かれていたのを思い出す。それはこういう事なのか、と驚いた。以前エドベンが言っていた、車の維持費に関する話を思い出す。お金を払っている、というのはステイタスなのかもしれない。
 現実の階級社会というものは、言葉の含む差別的なイメージよりポジティブな面もあるのだろう。上流とは精神的な豊かさであり、いかに許容力があるかが重要なのだ、きっと。人々は高い社会的地位へ向上を図り、地位のある人はより品位の高い存在を目指す。天に近づくほど澄み渡る、西洋的上昇信奉の源泉があるような気がした。
 リッチの本質とは、奉仕することや恩恵を授けることによって、自分がいかに天に近いか、狭量な暮らしに捕らわれない豊かさを持っているかを表明する行為なのだ。その根底には、教会が築き上げた意識の階層がある。神を頂点にしたハイアラーキーの高位を占めるのは、御心に従う者だ。
 ボランティアという白人的な発想は、信仰の上に生まれたのだという事が良く理解できる。持たざる者に与える事が出来るのは、持つ者の特権なのだ。つまりは映画館の持ち主も、無料で公開する事で末席に加わる光栄に浴している訳だ。ふーむ、そう考えると実によく出来てるシステムだよな。
 キリスト教は暴力的に世界中の価値観を束ね上げたけれど、弱者を救済する立派な方便もこしらえていたのだ。そこへいくと日本というのは、所詮アジアだな。上っ面だけで、精神が伴わないまま西洋化した訳だ、結局は。

 公園を抜けると、そこはセントロの裏通りだった。表通りにある「バーガーキング」は、やはりクーラーが効いていて生き返るようだ。思わず自動ドアの外を振り返り、うだるような午後の暑さを改めて実感した。
 窓際の席に着くと、僕はトニーを待ち切れずコーラを一口飲んだ。喉がカラカラだったせいで(炭酸三割増!)という気分。トニーが少し遅れてトレイを運んできたが、そこには小さなカップに入ったハラペーニョが乗っていた。口の中に唾が溜まってくる。
「それは…?」
「言わなかったっけ、これはサービスなんだよ」
 素晴らしい土地柄だ! 早速カウンターの脇から、てんこ盛りにしてくる。考えようによっては、ちょっと不思議なものだ。漬物食い放題の店…。ともかく僕は、この店がすっかり気に入った。

 店を出た途端、僕らは熱気に包まれた。暑いと、空気の密度が濃くなるのかと思う。ドアが開いた時、店内の涼しい空気との間に壁のような抵抗を覚えた。
 二人は、その足でスペール・メルカドへ向かう。

posted by tomsec at 17:24 | TrackBack(0) | メキシコ旅情6【水源編】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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