真っ暗な夜の海を眺めても退屈だし、車のほうに戻って男の子に声を掛けてみる。草むら君に取り残されたスシ男(後述)のほうだ。とりあえず互いに言ってる事は理解しあえる英語力で、もう一人も草むらから戻って来て3人で話す。
彼らはバスケのウェアを着ていて、黒い髪は短くウェーブ・ヘアにしている。変な喩えだけどヒスパニック系アメリカ人のローライダーっぽい(ってよく知らないけど)風貌だ。
「日本はお金持ちの国だ」
そんな話になって、僕は自分が日本人であることを恥ずかしく思った。それは僕が彼らのイメージと合致しないだけじゃなく、ベイビー・ベイブの姉の台詞が脳裏をよぎったせいだ。もちろん彼らは厭味じゃなく、そんな日本に憧れているのだった。
「ソニー、オンダ、ススーキ?」
スペイン語ではHは発音しないし、ZはSと同じなのだ。やはり日本のイメージは、高所得とハイテクなのね。残念ながら、僕は両方とも縁遠いけど…。
しかし青年よ、1ドル=7ペソ54センタボのレート換算で、2ペソ50センタボのコーラが何本買えると思う? ここなら三本は飲めるでしょ、日本では、一本も買えないんだぜ?
彼らの夢を壊すような生々しい話はショッキングだったらしく、2人の顔には明らかに失望の色が浮かぶ。
「東京で若者が住んでいるワンルームは、一カ月に光熱費抜きで約5百ドルってとこかなー」
草むらに行かなかったほうの男子が、急に話題を変えて「俺はスシが好きだ」と言い出した。
「ほぉ、どんなスシが好き?」
彼が得意げに答えたのは、いわゆる(鮨)の概念から外れた突飛なネタばかりで、なんだか笑うしかなかった。サシミは知っていても、彼自身は魚介類のネタを食べた事がないのだ。しかしそれでも上等だろう、メキシコの食文化とは異質の刺し身や寿司飯なんかが受け入れられているとは。
スシの話で気分が高揚してきた青年は、なぜかラップ口調になってきた。
「俺はチョップ・スティック[箸]も使うぜ。チョップ・スティック、最高!」…だって。
話のネタは出尽くしたのか、しまいには「アイ・ライク・スシ!」とか連呼し始めたスシ男。僕は困惑の微笑を浮かべるしかなかった。
帰りの車中、エドベンが運転しながらトニーと僕に「腹減った?」と尋ねてきた。もう午前2時近い。
「タコスが食べたい」
トニーが言って、僕も賛同する。そういえば以前、タコス屋台に行くって言ったきり沙汰止みになっていたっけなぁ。それに今は、ちょっとしたボリュームの物を腹に入れたいところだ。ラム&コークの他は、少しばかりのナチョ・チップスとチーズしか口にしていなかった。メキシコの酒といえばテキーラだけど、この辺ではむしろロン[ラム]とサルベッサ[ビール]がよく飲まれているようだ。
ガイド・ブックによれば「タコスはいわばホット・ドッグと同じく街頭のスタンドで売られる庶民的な軽食で、レストランのメニューには無い」そうだ。到着初日にトニーが御馳走してくれたランチはタコスじゃなかった訳だな、でも僕には何がどう違っていたのか区別が付かなかった。
「エドベン、彼にリアル・タコスを食べさせよう!」と、トニー。
嬉しいな、いよいよ本場のタコス初体験だ。
まるで絵に描いたような場末そのもの、何軒かの屋台が点々と路地に店を広げている。エドベンは車の中で待っていると言い、僕はトニーの後を付いて行った。屋台から漂う匂いはタコスじゃない感じで、店員の人相の悪さに若干ビビる。
コンロの上に貼り紙がしてあり、僕はトニーに通訳してもらってチョリソーのタコスを注文した。主人が慣れた手つきで吊り下がった腸詰めを切り落とし、軽く刻んでフライパンに放り込む。すると屋台の陰から、やさ男が姿を見せた。この男が会計係なんだ、とトニーが教えてくれる。
主人がトルティージャにチョリソーを挟んで寄越すと、やさ男が再び顔を覗かせて「他の具材はテーブルに並べてあるので、好きに盛り付けて食べてね」とか何とか、気を利かせて言ってくれた。悪い男じゃなさそうだが、メキシコ屋台の不思議なシステムだ。
テーブルに並んだ幾つかのお皿に、千切りレタス、ワカモレ、チリ・ソース[サルサ・メヒカーナ]などが乗っている。ワカモレとは、アボガドのペーストだ。鮮やかな黄緑色は美味そうでも、味はやっぱりアボガドで僕は好きになれない。でも色に惹かれて山盛り。
チリ・ソースは、みじん切りのトマトとオニオンが少々の水っけに浸してあるものだ。辛そうに見えないからって油断しちゃいけないが、たっぷり盛って食いつく。
僕はこれほど辛いチョリソーを知らなかった。しかもチリ・ソースも増量気味なので、美味いけどひらすらカラい。しかも一口ごとにトルティージャから具がはみ出し、垂れた汁が手を濡らし口のまわりはベタベタ。手も口のまわりもヒリヒリ。
「ピカンテ[辛い]!」
ちらりと僕を見て、屋台の主人がさも愉快そうに笑った。
僕も笑った。
それから、トニーと追加のタコスを頼んだ。
2005年05月27日
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