2005年05月29日
【台湾の7日間('02.12/13〜20)】7日目・3 「街角トワイライト」
高雄市街をひとめぐりした。
といっても火車站に近い一帯の繁華街だけだが、市街全体の半分にしても相当な距離を歩いた。今日だけで、かなり土地勘はついたと思う。
さすがに宿に戻る途中で腹が減ってきた。高雄の夜市エリアに行って、昼間から開けてる店に入る。
カレーライス40元、麻醤麺(これは必食かも)30元。安くて多くて美味いのは、やはり激戦区だからという事か。飯物に付く、焼きネギセロリ汁も味が良い。
この店の屋号は「卍素食」か。と思ったら、素食ってベジタリアンフードを指すらしい。どおりで他の店も同じ屋号を掲げてる訳だ。
隣の「小A」という茶屋で青茶を頼む。10元。ここの品書きにはジュース類はなく、コーヒーかお茶だけ。すげー細分化、いや考えてみれば林邊の茶店もそうだった。逆にフルーツを並べてる店は、お茶の類いはコーヒーか紅茶ぐらいしか出さない。
青茶と言っても青くないし、緑茶も普通に茶色だったけど何が違うのかね。しかも、また無糖と言い忘れて甘いお茶。ストレート午後ティー味の青茶が、ぶよぶよのプラカップにぴっちり入ってストローの先からあふれそうだ。
飲みながら歩いて、宿まで大回りして帰る。気温は快適なのに、いつも以上に汗をかく。歩いているだけでも結構な運動になるが、地元の人は平気なんだろうか。慣れもあるだろうけど、みんな木陰でじっと座っているのだった。
ごもっとも、メヒコじゃシエスタの時間だ。
息が上がってきたので、グランドでひと休み。折よく小学校だか幼稚園の校庭の前を通りかかったので、木陰のベンチに座り込んだ。
アスファルトをコーティングした楕円形のトラックは、いかにも都会の運動場って狭さ。オジサン達が、そこを歩いたり小走りで回り続けている。揃いも揃って一昔前のジョガースタイルだ、まるで健康のための運動を強調したいかのように。
西日に色付きはじめた、淡く黄昏れる空。よちよち歩きの子供の手を引く、笠知衆も真っ青の好々爺。
放課後の、そういう光景を眺めてベンチで一服。
あー、この時間帯は何を見ても美しい。光の加減、街のざわめき、人々の仕草、そこに完全な調和がある事を思い出させてくれる。
そうだな、これが愛という感覚なんだろう。
宿で汗を流し、Tシャツと下着を洗って干す。
路地に面した5階の窓を開け放すと、ビルの合間を抜けてくる匂いと音に軽い混乱を覚えた。知らない筈なのに懐かしい、この奇妙な感覚。
ベッドにごろんとして扇風機の首振り音を聞いているうち、また同じ錯覚に見舞われる。僕の人生に、現実にありそうで無かった夏の夜の記憶。
不思議な郷愁を誘う、宵の空気だ。
求めていたのとは違うけれど、確かに今、僕はのんびりとくつろいだ気持ちになっている。この時、初めて(台湾に来て良かったな)と思った。
TVアニメ観ながらウトウト。向かいの窓から、うまそうな夕餉の匂いが漂ってくる。
こういう“意味のない時間”って、なんて気持ちいいんだろう!
それはそれとして、今夜中に残りの台湾ドルを消化しないと。明日の帰国便は早朝だから、もう日本円に両替をしている時間はなかった。
明朝の公共汽車代を差し引いたって、2千元も残っている。ちょっとしたお土産なら充分買えるし、台湾でなければ紙切れほどの価値もなくなってしまうのだ。
急いでガイドブックを確認すると、火車站前のデパートは10:30PMまで開いている。ついでに晩飯も食いたいし、公共汽車の上車(乗車)場所で“往高雄国際機場(国際空港行き)”の時刻を確認しよう。
いっちょ最後の夜に繰り出すか!
と、来てみたら潰れてるじゃん。
記事には「新装開店」とあったのに、本が古かったのか…。それにしても、站と隣接する好立地なのに何故に? って、ブツブツ言ったところで仕方ない。土産は他を当たろう。
公共汽車は、15番の高雄火車站〜小港站を循環している路線に乗れば良かった。6:15AMから動いているので、機場(空港)まで約30分かかるとしても2時間前には余裕でチェックインできる。これで帰国はバッチリ安心。ささ、パッと使っちまおう。
潰れデパートの並びにある本屋に、でかでかと「軍装品・2F」と光る看板が目に入った。サープラス(放出品)ならチェックしとこう、と2階に上がる。
辞書や参考書のフロアに、一角だけ非常に場違いな陳列物が。しかも全然、サープラスなんかじゃない。
どうやらここは、入隊前の若者が買い揃えに来る売り場のようだった。退散する。
屏東から高雄に来る火車の中でも、若い軍人を見かけた。
座席は離れていたが、休暇に帰郷する嬉しさを隠しきれない表情は分かった。小琉球で遠目から見たよりも親近感のある、まだ少年の面影が残る兵士。台湾にも、徴兵制度があるのだろう。
暖かく親切な人の住む台湾、そこにもシリアスな一面がない訳ではないのだ。
日常の風景に潜んだ戦争の脅威、何も特別ではなく日々に織り込まれている兵士の姿。
韓国でも、軍事教練のために高速道路で乗っていたバスが緊急停止した事があった。
日本の隣の国々には、いつもどこかで視界にあるのだ。
(街角トワイライト−おわり)
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