2005年05月29日
【台湾の7日間('02.12/13〜20)】6日目・1 「町のユーモア」
進成賓館最高! 今朝は快適な目覚めだ、やはり毛布の違いは大きい。なので延泊する事にした。
11:30AM、Tシャツを干して階下へ。フロントは昨夜と違うオバチャンで、日本語は通じなかったが延泊したい旨は伝わった。追加600元を払って、郵局(郵便局)の場所を教わる。
ラブホの外は、今日も上天気だ。
郵局でポストカードを出して、火車站近くの慈鳳宮まで行ってみる。
昨夜、ネットカフェの行き帰りでも前を通った。ライトアップされて、丁字路に面してきらびやかに照らされた感じが浅草っぽい雰囲気だった。門構えだけで、林邊の廟よりも大きい。
たまたま今日が祭礼なのかと思うくらい、参拝客も多く供え物だらけだ。大門に続く本堂にも供え物が積み上げられいて、日本の観光地的な風情とは大違い。
ここでは、まだ神も仏も生きているのだ。
若い男が一心不乱に、一対の鰹節を投げては拾い、太い線香をうやうやしく供えていた(後で読んだが、神様に恋愛のお伺いを立てていたようだ)。おごそか、というより庶民的。そして、大マジ。
階段を上ってみたら、なんと4階建てで各階に2、3柱ずつの神様が奉られていた。全員揃ったらゴレンジャーよりも多いじゃないか、これは無敵だわ。
都会では神様も集合住宅やむなしか、それとも各派合同の出張所みたいな感じか? 林邊では独自の廟を構えていた、媽祖という神様がここにも。
階段の踊り場に、画用紙に子供の書いた絵が貼り出されていて心が和む。裏手に幼稚園があるのだ。やはりこの慈鳳宮が経営してるのだろうか、そういう所は日本と似てるなあ。
出ると門の脇に浮浪者がいて、そういえば台湾に来て初めて見た事に気が付いた。昨夜は物乞いも初めて見たけれど、逆にそれだけ極貧状態の人が少ない事に驚かされる。
この国の福利厚生(?)が充実しているのか、あるいはホームレスが生きていけるほどの余剰がないのか。
門を背に、火車站とは逆のネットカフェ方向に歩く。
この大通りは中山路で、高雄にも火車站前に同じ名前の道があった。つながっているのかと思ったら、そういう訳ではない。台湾では、同じ道路の名前を街々で使い回している。そういう歴史があるのだろうが、しかし車に乗ってて紛らわしくないのかね。
慈鳳宮に隣接する休み処のテーブルでは、母親と子供がビンラン(檳榔)を作っていた。青いドングリのような実を、白い樹液を塗った細切りの葉で巻いている。
友人Nへの土産を思い出し(本当は売り子の水着写真とセットで頼まれたのだが)、試しに買ってみる。「幾ら?」と訊いたら、50元だと言って袋にゴッソリ出してきたので20元分にしてもらう。その量でも、お試し程度には多すぎるんだけど。
僕が手のひらに乗せてためらっていると、母親が手振りで(実のガクを取ってから、丸ごと噛み潰せ)と教えてくれた。では早速。
と思いながら、妙に気乗りしない。案の定というか、予想をはるかに凌駕する激マズであった。
うえー! 僕を見て母親は笑い、子供はキョトンとしてる。
排水口に吐き出すと、唾は植物の緑色だった。柿渋のエグ味がいつまでも口の中に残っていて、やたらと苦い唾が溜まる。吐き出す度に、その色は濃い赤に変わっていった。
適当に歩き回りながら、中山公園に。地図で見る限り、まとまって緑がありそうな場所としては大きかったのだ。
園内は割と広く、木陰の芝生にはベンチがあり、中央に涸れた池が――つまり面積が大きいだけで何の変哲もない普通の公園。おまけのような、またがり系の遊具もちゃんとある。ま、こんなもんだよな。
作り付けのテーブルを囲んで、年寄り連中がゲームに興じていた。マス目もコマも見慣れない物で、どういうルールか見当がつかない。僕が眺めていると、ジイサン達から一瞥を食らって腰が引ける。うさん臭い顔付きに見えるせいか、何だか良くない博打のような気配。
でもまだ昼だし。
おなかも空いたし、ちょうどカメラを撮りきったのでコンビニで買い物。使い捨てカメラとサンドイッチと飲み物、ハム&コーンのおにぎり(!)を買って400元ちょっと。残り900元だ、また両替しとかないと。
店の外で店員に呼び止められ、レジに置き去りにしたレシートを手渡された。それは厭味ではなく、店員の義務らしい。あとで知ったのだが、台湾の法律で「領収書の類いは必ず受け取って保管しなければ罰せられる場合が」あるそうなのだ。そう教えてくれた友人Nは何でも知っている、ような気がしてくる。
公園のベンチでランチ。昼寝していた若い職人が起き出して、藤棚に電飾を取り付けていた。もうすぐ花見の季節なのかな。
そういえば、ここの池のほとりにも鯉型の餌の販売機があった。その頭上にかかる枝の花に飛びつこうと撥ねているような、とぼけた味のあるオブジェだ。
公園の出入り口は、透かし彫りの鉄板を組み合わせたような不思議な通り抜けになっている。車止めを兼ねているのだろうけど、自転車も通れないし大人の背丈並みに高くする必要はないのに。
と、なんだか気にかかる物が、台湾にはやたらある。
もちろん文化や芸術の大部分はオマケだ、不必要の必要性も分からない僕ではない。それでも引っ掛かりが多過ぎるが気がするのは、文化背景の違いだけだろうか?
歩いてるだけで楽しい町ばかり、空想の余地が大きいのは大歓迎だ。くたびれてくると時々しんどく思えるけれど、それでも人の作る物にユーモアが感じられると嬉しくなる。
(町のユーモア−おわり)
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