2005年05月29日
【台湾の7日間('02.12/13〜20)】5日目・1 「本土再上陸」
朝の空気は肌寒い。海に囲まれた小さな島だ、考えてみればそういうものか。
でもさー、1000元も払って寝心地悪いんじゃ話にならんよ。体は冷えきってるし。
10:30AM、真夏の日差しに部屋が暖まってきた。重い頭でベッドを抜け出す。
まずは郵便局、窓口でカード5枚を日本宛に出した。まだ昼前なのに、めまいがしてくる熱気だ。風邪気味でサウナに入ったような気分。とにかく何か食べなきゃ。
昨日の昼、カクさんに教わった店に行こう。あそこのメニューに粥があったのを思い出した。
虱目魚粥(80元)頼む。粥で一番高いのに(他は50元均一)期待外れ。柳橙汁(50元)は美味、オレンジの一種? さっぱりしてる。少し元気になった。
宿の屋上で洗濯物を取り込み、荷物をまとめてチェックアウト。と思ったらフロントには誰もいない、呼んでも人の気配なし。辺りを見回すと、横の食堂でカワイコちゃんと両親らしき人々が食事中だった。僕の呼び声に、まさか気が付いてないとは思えないんだけどなあ。ま、急がないし出直すか。
食堂のガラス戸に「自助」と書かれていて(妙な店名だ)と思っていたら、後で「自助というのはバイキングを意味する」と本で読んだ。
いったん部屋に引返し、ガイドブックとにらめっこ。
小琉球にもう一泊するほどの手持ちはないし、あったとしても寝冷えする宿は勘弁してほしい。この島は非常に気に入ったので夕方まで過ごしていたい位だけど、東港で宿を捜すのが億劫になる前にフェリーに乗らないと。
それに、3時までに銀行を見つけて両替しないと昨日の二の舞いだ。
再度フロントに行くと、カワイコチャン…ではなくチェックイン時の男性。ガックリ。
とりあえずチェックアウトして、荷物を預かってもらう。チャリに乗って、港までブラブラ。船が来ていたので、乗船券だけ先に買おうかと思ったら売ってる様子がない。東港側と違って、船着き場には待ち合い所も発券ブースもなかった。フェリーは30分間隔で運行している、慌てる事もないか。
港の先に、ドーム型の建物を見つけた。真新しい感じがするが、使われた形跡もないまま中までホコリをかぶっている。これも、日本でいう箱モノ行政ってやつか?
地方(ましてや離島)の経済なんて、所詮それしかないのかもしれない。ただ、日本のようにうまく回ってはいかないようだな。誘致推進派の島民には悪いけど、僕には小気味良く思える。
立ち遅れたインフラは、補われてしかるべきだろう。でも、それまで自給自足で何とかやってこれた島の自立性が建設業に依存し始めると損なわれてしまう例は、日本によくある気がする。この島は、そんなふうに流されないでいてほしい。いつかまた来た時も。
港からの急坂を駆け上がる。見た目は本格的マウンテンバイクだけど、まるで使えない21段ギア。雨ざらしで、チェーンが真っ赤に錆びついてる。一気に大汗が噴き出し、同時に気力も急降下。
夕方までいるのは止めだ、次の事を考えよう。
そうと決めたら即行動、停泊中の12:00AM便に乗るべく宿に戻ってリュックを受け取る(最後もカワイコちゃんに逢えなかったのは無念だが)。途中で警察署に顔を出し、カクさんに礼を言わなければ。しかしあいにく不在で、当直の警官によろしく伝えて乗船。
腰を下ろして休みたかったけれど、船内は冷房で寒かったし後部デッキは椅子がなかった。手摺りに寄りかかっていると、物売りのオバチャンが干物を買えと言ってくる。それがベニヤのようにでっかい剥き身の干物で、どう考えてもバックパッカーに勧める代物じゃない。
オレが買うように見えるか? と眉をひそめて追っ払ってから、今の自分はいっぱいいっぱいなのだと気が付いた。背中は汗ばんでいるのに、海風で鳥肌が立っている。
なんとか30分を耐えしのぎ、東港に再上陸。
乗る時ノーチェックだったので、もぎりのオバサンに船賃を支払った。片道分、210元。
正午を過ぎ、舗装路にユラユラと立ちのぼる熱。風はなく、すでに真夏のけだるさだ。
ヤバイ、と思った。どこかで休まないと。でも、知らない町の勝手なんて分からない。
(とにかく何とかしなくちゃ)
どこに向かえば良いのか、見当もつかないままあてどなく足を動かしていた。リュックを背負っているのがつらくて、やり切れない気分だ。
寝冷えどころか、思った以上に体調を崩したらしい。それに、船のデッキで海風にさらされていたのも堪えたようだ。
交通量も多いし、整備された歩道には人どおりもある。だけど、言葉の通じない相手と筆談を交わすような気力も体力も失っていた。
ガイドブックには載っていないし、土地勘もない町でどうすればいい? 立ち止まって休めそうな場所さえ目に入らない。ぼんやりと(肩で息をするって、こういう事か)と思った。
泣きてえ。
この信号を渡って、そこで何も見当たらなかったら休もう。荷物を投げて、その場に座り込んでもいい。
信号が青になった時、見上げた先に「華安旅社」という文字が見えた。
目の前の、角のビルの看板だった。その意味が分かるのに時間がかかったが、点滅する信号を急いで渡りフロントの女性に声をかける。
彼女に「休息?」と書いて見せた筆跡は、自分でも驚くほど弱く乱れていた。
(本土再上陸−おわり)
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