[はじめに]
僕が行ったのは、高雄より南です。
旅行期間は2002年12月13日(金曜)から20日(金曜)までの8日間です。
行った理由は、暖かそうだし安く上がりそうだったからです。それから、普段の生活以上にノンビリしたかったからです。気持ちの良い草っ原のような場所を見つけたら、そこで毎日過ごそうと思っていました。
これは、僕にとって初めての台湾旅行であると同時に、初めての一人旅でした。
現地の情報と助言をくれた、旧知の友人Nに感謝します。
それでは、旅の顛末をご覧ください。
[ダイジェスト]
1日目<2002,Dec.13,Fri.>
夜便で高雄直行、初訪台。無事に宿を決め、近場の屋台で簡単な夕食。
2日目<2002,Dec.14,Sat.>
快晴、TVでJ・チェン「笑拳」観つつ至福のウトウト。行く先も決まらぬままチェックアウト、直感で駅を決めて電車に乗る。車内で相席の青年と話し、屏東駅で別れて乗り換える。
潮と肥の香る佳冬で下車、何もない駅前で地元オジサンに交渉し最寄の宿へ。しかし値切り損ねて宿泊できず、隣町の林邊までスクーターにて送ってもらう。
歩きつかれて廟の門前茶屋に入り、林邊駅前の宿を紹介され荷を下ろす。2泊の条件で交渉成立、周囲を散策し夕食。
3日目<2002,Dec.15,Sun.>
林邊の朝は少し冷えた。昨日の茶屋で食事して、近所の人々から情報収集。川沿いの公園までスクーターで送ってもらい、そこで読書三昧で夕暮れ時に。初夏の空気を満喫しながら歩いて戻り夕食、宿に帰ってもヒマ過ぎて夜食に出る。
また茶店に行くと廟に案内されて、三山國王協会の老人たちと語らう。明日以降の予定を訊かれて、適当に「小琉球にでも」と答えたら翌朝の送迎を仕切られてしまう。
4日目<2002,Dec.16,Mon.>
今朝も体が冷えて、眠りが浅い。朝8時前に迎えの車が寄越されて、東港のフェリー乗り場まで送ってもらった。30分で小琉球という小さい島に着き、宿に荷を下ろして銀行を捜す。が、警察署で訊いたら「島内での両替は不可能」という話。
残金100元では帰りの船にも乗れず、途方にくれていると日本語を話せる警官が機転を利かせてくれて事なきを得る。更に、島内パトロールに便乗してガイド付き周遊観光まで! 料理店まで紹介してもらって至れり尽くせりの恐縮至極。
その後、レンタル・バイクで島内探索。海岸めぐり&日光浴、そして夕陽を眺めに島の反対側へ。宿のMTBを借りてバイクは返却し、夜の小道をチャリで走り回る。
5日目<2002,Dec.17,Tue.>
海風のせいか、夜は冷え込んで体調を崩す。悪化する前に島を離れようとフェリーに乗るも、東港に着いたらピークに。宿を見つけて熱いシャワー&ベッドで3時間、小回復。
ガイドブックにない町を動いているので地元の地図を買い、これからの計画を立てる。またも名前で決めた萬丹という町でバスを下車、しかし排気ガスと肥の臭いに意気消沈。再びバスで屏東に向かううち、夜に。
街のネオンに「賓館」の文字発見、洒落で宿を取る(台湾では、一人でもラブホに泊まれる)。これが意外にも安価にして好条件、シャワーはお湯&バスタブ付きで魔法瓶の代わりに全自動給水機、冷蔵庫&TV完備そして肉厚な毛布が2枚! これで夜中も快眠間違いなし。
繁華街をブラついて夜市で屋台飯、ネットカフェ初体験。
6日目<2002,Dec.18,Wed.>
寝心地最高! なので延泊。宿決めまで荷物を担いで歩き回る心労から開放され、足取り軽く市街を散策する。大きな廟を観光し、ビンロウ(噛みタバコ的な植物)初体験。
夜は繁華街をブラつき、宿に帰るとフロントのオバチャンに高級烏龍茶をもらった。再び夜市に繰り出す。
7日目<2002,Dec.19,Thu.>
来台して初の雨。チェックアウト前に天候回復し、電車で高雄へ。初日とは別の宿、ビルの5階の角部屋に。市街は各々の店先で祝い飾り(?)と焚き火、訊くも要領得ず。駅前から愛河まで一帯を歩き回る。
夕方に一旦戻り、台湾通貨を使い切るために改めて街に。しかしすでに多くの店が閉まっていて、高雄の六合夜市は込み合い過ぎて疲れた。さ迷い歩くも開いてる店はなく、不必要に食べてしまう。
最終日<2002,Dec.20,Fri.>
またも雨…。早朝出発でバスに乗るが、暗くて気付かないうちに飛行場を通過された。東港近くまで行ってから慌ててバスを停めて降り、戻り路線のバスで搭乗に間に合った。更にオーバーブッキングとかで直前まで待たされたが、予定の便で無事帰国。
2005年05月30日
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