僕はスポーツ中継を観ないので、サッカーボールの変化に気付かなかった。
すでに白黒の亀甲模様なんかじゃなくなっていたんだよね。あの柄も、実は1968年のメキシコ五輪から普及していったのだとか。それ以前は、バレーボールみたいに単色で細長い縫い目が入っていたらしい。
そして、そのバレーもサッカーも何回前かの五輪から訳が分からないボールになってしまっていたそうで。はぁー、時代ってやつですか
1968年。いつからか、僕のアンテナはその年を意識するようになっている。自分が生まれた年ってのもあるんだろうけど、それ以上に気になってしまう年代で。
明治維新から、まる100年後。高度経済成長、学生運動、日米安保、フリー・ジャズ、アクション・ペインティング、ベトナム戦争、ヒッピー、サイケデリック…などなど。年代的な幅はあるけれど、そういった時代のキーワードには敏感かもしれないって思う。
そしてなんとなく、そこには現代の分水嶺があったんじゃないかってね。根拠はないけど、そんなふうに思ったりして。
で、時々ふと思うのよ。その辺の時代性に反応しやすい、自分の('68アンテナ)が出来ちゃった根っこについて。そうすると、どうしても「〇パン三世」というTVアニメに辿りつくんだよなぁ。
僕は、物心付いた頃にはその番組を観ていたの。幼稚園の頃から、再放送も欠かさず観ていた記憶があるし。それで小学校高学年で最初のアニメブームに当たって、少ない小遣いで本やらレコードを集めてね。
一説によると、あの主人公は元フーテンだったという。闇のシンジケートによって一族の後継者として見出されるまでは、ヒッピーまがいの若者だったのだ…。そんな企画当時の裏話を知って、当時の時代風俗に関心を抱くようになったのが('68アンテナ)の萌芽だろうな。
そこで出合った知らない言葉を追いかけていくうち、子供ながらに(70年代の空気とは違う何か)を感じてね。この物心付いた時から平穏無事な日常が、ちょっと前まで目茶苦茶だったという…。それはたとえば肉親の別の顔を見ちゃったような衝撃で、一種コペルニクス的展開だった訳よ。世の中の営みは、幼い身の丈を越えてたというか。
ちなみに〇パン三世は読心術(読唇術?)の達人という設定もあって、そっちに伸ばしたアンテナが心理学につながっていったのね。フロイトからユングを経て西欧のキリスト教的世界観(神秘主義・オカルト)に拡がって、しまいには構造哲学や文化人類学やニューエイジもアンテナの範疇に…。って、もちろん専門知識は皆無よ?
所詮は素人の浅学、ただの好奇心だから大した事ぁない。
それに、すべてはこじつけかもしんない。そう思っていても、何かしら興味を持った事柄ってのは関連してくるんだよなぁ。大抵は、その年代にフックがある気がしてね。まぁ人間の性質って先天的な要素は大きいから、もともと自分の内にあった傾向が偶然「〇パン三世」を観て引き寄せられたのかも。
風が吹くと桶屋が儲かる、という諺がある。巷には、色々な風が吹いてるんだよなぁ〜。
ところで(明治維新から100年しか経っていない)というのも、改めてそう考えると驚きだよ。今年で137年か、でも当時のザンギリ頭で想像してた程じゃなかったりしてね。ハードはともかく、ハートの面では。
だって未だに西洋偏重主義が幅を利かせてるじゃん、クールビズとか言ってみてもさぁ。案外100年昔のほうが、梅雨はしのぎやすかったりしてね。
平成17年6月15日
2005年06月15日
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