男のコというのは、一概に車好きという傾向があるようで。
だけど僕は、案外そうでもなかったな。70年代のスーパーカー・ブーム世代だから、それなりに夢中になったのだけどね。
あの時代はまた高度成長のもたらした副作用が取り沙汰されて、教科書には公害やら石油ショックなんかが取り上げられていたのを覚えている。子供ながらに(自動車=地球環境を損なう)というイメージがあって、それが先に刷り込まれちゃってたら車好きになるほうが難しいかもね。やっぱ教育って…。
それに第一、父親が免許を取ったのは僕が中学に入ってからだった、というのも関係してるんだろうな。つまり子供時代にマイカーのない家庭だったから、車に対して強い関心を持たなかったのかもしれない。
そう考えてみれば、僕が自転車を好ましく思うのも必然だった気がしてくるよ。とはいってもマニアックな執着はないのね、単に乗り物として理想的な手段だなって。もちろん現実的には車の利便性に及ぶべくもないから、どちらかというと思想的な意味合いで自転車を支持しているような感じで。
結局は乗り手の、人力の範囲でしか動けない。そのスピードも移動距離も、心が追いつけないほど身体性から離れていない。…というか、道具っぽいじゃない? ただマウンテン・バイクに乗るようになって、自転車も精密な機械に属するんだなーって実感したけど。それでも、まだ内燃機関に比べれば理屈は単純だから。
ところで腕時計というのも、携帯電話を持ち歩くようになって実用性が薄くなっちゃったけど、僕は自動巻きが好きだったりする。
なにしろ電池交換不要だもの!…って別に、エコロジーとか興味ないタチなんだけどさ。でも自分の庭で処分できないような物って、何だか身の丈を越えてるようでねぇ。そこに先祖の墓があっても構わないのよ、でも産廃処理場とか原発は厭だもん。
まぁ最近では、ソーラー・パワーとかいった方式もあるんだけど、より自立している感じとアナログっぽさが自動巻きの良い所。1日に2〜3秒は遅れてしまう、その大らかさも思想的に好きなんだよなぁ。
自動巻きの腕時計は、それ自体の振動によってネジが巻かれる仕組みらしい。だから置きっ放しにしたりして、動かしてないと止まってしまう。といって常に時計を揺すってやる必要はないのだが、なぜか自動巻き腕時計をすると腕を軽く振るクセがついてちゃってね。
たまに、町なかで無意識的に軽く腕を振っている人を見かけたりするのよ。そうすると(あ、自動巻き派なんだなぁ)って、勝手にシンパシー感じたりして。まぁ滅多にいないけど。
無意識の仕草で不思議なのが、女性の食事中の空き手。
何かを食べてる時の女性って、利き腕じゃないほうが面白い事になってるのね。よくあるのが、半分ガッツポーズで手の甲を後ろに向けてるタイプ。これを僕は、心の中で「猫パンチ型」と呼んでるんだけどね。
他には、中途半端に手を挙げて指が仏像みたいになってる場合もある。これは「アルカイック型」で、大体どちらかに分類されるんだよ。こういう仕草も何か理由があるのかなぁ? 見かけるたびに、手のやり場に困ってるような印象を受けるんだよね。試しにやってみたら、却って気がそがれて食べにくかったが…。
そういえば、これは真似した事はないけど、寝る時に両手を胸で軽く握ってる人ね(胸を、じゃなくて)。まるでボクサーがガード姿勢を取っているような、マンガの女性キャラが可愛さを強調してるようなポーズ。男性でも稀に、こういう人を見かけるんだが…寝にくくないのか? ま、いいんだけどさ。
あと、歯を磨く時の姿勢も不思議。
腰に手を当ててる人が、自分も含めて多い気がする。なぜか銭湯でコーヒー牛乳を飲んでるように、左腕がS字を描いている訳ですよ。そして妙に背筋がピンと伸びてるのね、まぁ髪の毛が気になったり背中が痒かったりした場合は別として。
もしも、食事時と歯磨き時のポーズを、それぞれ逆にやってみるとどうなんだろう?
きっと(しっくりいかない)感じかもなぁー。
という事は、まったく無意味って訳じゃないって事かもね。
そう思うと(真に無意味な物事などない)のかもしれないなぁ、主観的な意味とは違う意味でね。
平成17年7月12日
2005年07月26日
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