10時にアラームが鳴った。
昨晩、グラシエラとビアネイから海水浴に誘われたのだ。2人の休みが重なったらしい。しかしトニーは生憎だが、2時からエレーナが来てスペイン語の授業がある。
「他にもクラウディアっていう、確かグラシエラの英語学校の友達も来るんだって」
あんまり彼が未練がましい顔をしてるので、からかってみる。
「それからティミーもね!」
「…ちょっとだけ、行こうかな」
真顔で言ったって、下心みえみえだぞ! 彼はベイビー・ベイブの一件以来、ティミーに御執心だからな。
ビアネイにグラシエラ、ティミーとトニー、そして僕。
クラウディアとは、セントロのバス・ターミナルで待ち合わせだった。
トニーは終始ジョークを飛ばしまくって、みんなを笑わせ続けた。歩いているだけで暑さに参ってしまいそうなのに、よく疲れないものだと妙に感心したりもする。
バス・ターミナルの発券ブースの上には、様々な行き先が書かれていた。このキンタナ・ルー州よりも離れた遺跡や、メリダなどの周辺都市に行くような長距離バスも発着している。ここからホテル地区へ行くバスに乗り、僕らはクラブ・メッドのプライベート・ビーチに向かうのだ。
ターミナルの横に土産物屋があり、女のコ達の後に付いて入っていくとグラシエラが急に大声を出した。何事かと思ったら、店内で偶然クラウディアを見つけたのだった。やれやれ、これは奇遇じゃなくて(どこの国でも女のコは同じ事を考えてる)って証拠だろう。
アクセサリーや髪飾りを手にとっては、楽しそうにキャアキャアやっている。それを横目で見ながら、トニーは時計を気にして僕に耳打ちした。
「どうして女のコって、こうやって時間をムダにするのかな。もう1時になっちゃうよ!」
それとなく彼が急かし立てると、女性陣はスーパーに行って食料の買出しをするという。残念ながら、ここでトニーは時間切れだ。彼は、女のコ達に聞こえないように囁いた。
「聞いてくれ、ひとつだけ頼みたい。これを持っていって、これで…」
彼の落胆ぶりに釣り込まれ、思わず真面目に聞いてしまう。すると彼は切羽詰まった眼差しで、ポケットからカメラを僕に手渡した。まさか、ティミーの水着姿とかって言うなよ?
「笑うなよ、忘れずに撮ってきてくれ!」
…ったく、さっさと帰って勉強したまえ。
ホテル地区は、典型的なハリウッド型のリゾート地だ。一流ホテルに外海の眺めを奪われて、銀色のバスから見えるのは建物とヤシの並木。これで素直に感動できたほうが幸せなのかもなぁ、だけどちょっと…と思う。
段々とホテルの間隔が広くなってきて、やっと海が見えてきた。気が付けば、バスの乗客は僕達だけだ。終点で降りると、銀バスはUターンして引き返して行く。まだ道は続いていたが、この先には何もないらしい。
ホテルの階段を上がってゆく女のコ達は、入り口の脇を素通りする。ビーチを背景に写真を撮った。僕を取り巻く四人の女性たち! い〜ねぇ、こんな機会は二度と来ないかも…いやいや、そんな事ないって。
砂浜に下りると、みんなサンダルを脱いで素足になった。ホテルから張り出したプールのデッキチェアに、どう見ても日本人のカップルが僕を見ている。グラサン越しに、まるで変わった動物でも見るかのように。女が男に耳打ちした。
「現地女性に囲まれてる男の人、なんか日本人っぽくない?!」と言ってるのか、
「あの男性だけ、歩き方が変じゃない?!」…だったりして。
いかん、意識して歩くと却ってモタついちまった。
しかしエドベンがいなければ、僕も彼らと同じようにするしかなかったんだな。ああいう場所で時間と金を使い果たし、あのセノーテの青さもヘセラの事も知りようがなかったろう。
月蝕の夜も、月光浴も。
かなり遠くまで砂浜を歩いた。岩場に行き当たると、みんなホテル側に上がった。そこの敷地は他と違って、低い建物が分散してゆったりとした感じがする。あぁ、多分ここがクラブ・メッドなんだな。他のホテルよりも〈品の良い滞在型リゾート施設〉といったイメージに近い気がする。
少し離れたゲートからマイクロバスが入って来た。
スタッフと滞在客らしき若者達がワサワサ出て来て大合唱する中、バスから降りてくる旅行者たちが迎え入れられる。なんだか、健全なるボーイ・スカウトの儀式でも見ちゃったような気分だ。
岩場に沿って敷地を行くと、角にわらぶきの低い屋根があった。昼食にするには、おあつらえ向きじゃないか。敷地内の施設は利用できないという事らしいけど、僕が「施設といってもテーブル一つだ、注意されたら片付ければ構わないんじゃない?」と言って半ば強引にランチ・タイム。
食べ終わってくつろいでいるところに、警備員らしき初老のメキシコ人男性が現れた。言われるままテーブルから離れ、後片付けしてビーチに引き返す。
ふと波間に目をやって、僕はギョッとした。なぜだかそこに、ペリカンがゆらゆら浮かんでいたからだ。一瞬、何がなんだか分からなかったが誰も気にしない。ひょっとして、この辺じゃニワトリ並みに珍しくもないの?
ペリカンは、近くで見ると案外に大きな鳥だった。別にこちらを気にする素振りも見せないが、どことなく威圧感がある。見とれていて近寄り過ぎたのか、いきなり凄い目つきで睨まれてしまった。
「そっとしておいてあげようよ」
タイミング良く、女のコの誰かが呼びかけてくる声が聞こえた。動物だろうが人間だろうが、間合いというのは大切だ。小さな声で、彼らへの非礼を詫びて退散する。それにしてもペリカンが、逃げるどころか「ケンカ上等」的オーラを出すとは!
やっぱり海は気持ち良い。
湯冷ましのような海水だが、汗にまみれていた体が潤ってゆくようだ。肌の表面から、水分をチューチュー吸い込んでいる感じがする。
濡れた腕を持ち上げて、頭髪の海水を払い落とす。意味のない習慣的な動作だったけど、頭に触れてみて本当に不必要な動きだったと気が付く。そういえば今の僕はマルガリータで、こめかみの辺りから鉢でも被ったような坊主頭だった。
ベイビー・ベイブめ、どんなイメージで切ったんだか。僕は確か(カンクンで一番クールな髪型に)とリクエストした筈だ、でもこれじゃあメキシコ全土で一、二を争える間抜け頭ではないか!
そういえば、あの日の帰り際に彼女は「今日はまだ完成ではないので、もう少し髪が伸びたら段差を整えるから」とか言っていたらしい。ちゃんちゃら可笑しいぜ、そんな床屋があるものか。
ここでは鏡を見る機会がなかったので、僕は余計この髪形に慣れる事が出来なかった。毎度、不意に触る度にギクッとする。…そうか。さっきの若い日本人カップル、この髪形を話題にしていただけかもしれないなぁ。これは日本にない発想のヘアスタイルだ、彼らは僕を見て(メキシコ・インディオって日本人みたい)とでも思ったのだろうか?
2005年08月15日
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