ビアネイ達の部屋で笑い話に興じていると、ノックもなしにドアが勢いよく開いた。そうやって登場する輩は、エドベンしかいない。女性達も彼の流儀には慣れたもので、驚く様子も見せず笑っている。
「さぁ、ディスコに行こう!」
話の途中だったのに、彼の勢いに圧されて出掛けることになっちまった。トニーと僕は女性陣も誘ってみたが、グラシエラとビアネイの二人は笑って辞退した。そりゃまぁ、普通はもう寝る時間だもんね。彼女達は気にしてなかったけれど、なんだか僕らが話の腰を折ってしまったようで恐縮してしまう。
エドベンめ〜、いつも急に現れて一方的に決めるんだから〜! この男の、子供のように無邪気…というより無頓着な態度には苛々させられる事があった。悪い奴じゃないんだが、時々おふざけの過ぎる一面にもウンザリさせられる。
例えばトニーの誕生日に「メキシコでは、ケーキのロウソクを吹き消したら目を閉じて祈るんだよ」と言って、真に受けたトニーの頭をケーキに押し付けて喜んだりするのだ。トニーはその件を苦笑いしながら話してくれたのだけど、よくシャレで済ませてるもんだと思う。それとも僕が、融通の効かない石頭なのか?
一日だけでいいから、エドベンを思いっ切りコケにしてみたいものだ。
その夜、ディスコに向かう途中でジュビアが降りだした。
エドベンの車がゾナ・オテレッラへの一本道を走っていると、一気にアスファルトが水浸しになった。ホテル前のレストランやカジノには雨宿りの人々と、夜遊びに繰り出した車があふれ返っている。リゾート客が逃げ惑うように通りを横切り、迎えの車でちょっとした渋滞になっていた。
エドベンは無理矢理Uターンして、目当ての店にゴルフを横付けする。ディスコの入口までダッシュで駆け込むと、ファサードの下は若者でごった返していた。場所がリゾート地区の中だけに、若い観光客で満員だ。ブロンドの女性達を縫って店に入ると、席はすでに埋まっていた。ステージがまぶしい。
「セニョール・フロッグ」は、ディスコというより生バンドのライブ・レストランだった。エドベンは、駐車場から戻って来たと思ったらまたすぐに消えた。あの大学生達に連絡して呼び出すつもりらしい。
ステージでは次から次へと、休む間もなく演奏が続く。フロアの客が踊りながら入れ替わってゆく度に、僕は前の方に押されていった。芋洗い状態の頭上に、ダンサーやシンガーの兄ちゃんがダイブしてくる。
クライマックスの長い曲が終わって休憩になり、テーブル席の手すりに寄りかかるようにして立っているトニーを見つけた。僕に気が付くと、手に持ったグラスを掲げて合図をよこす。
「ヘーイ、楽しんでる?」
「そうでもないけど、トニーは?」
僕が聞き返すと、彼は肩をすくめてみせた。
「ダンスはね、見てるほうがいい。もうオジサンだからね。…何か飲む?」
「自分で行ってくるよ、どこ?」
しかしトニーは「いや、一緒に行こう」と言うと先に立って歩きだした。
この店には、外の湖につながる滑り台があるという。トニーが以前来た時は、女のコ達が服のままで飛び込んでいくのを見たそうだ。ステージ斜め後ろの天井に、太いダクト状のチューブが走っている。それは窓を突き抜けて、環礁内の湖に向かって口を開けていた。
雨は止んだみたいだけど、総ガラス張りの壁の外は真っ暗。そこに拡がっている筈の湖が、どんななのか見当がつかない。僕は頭の中に、酔っ払った女性達が落っこちていく姿をイメージしてみた。水深は? 岩肌の防護は? 監視員は? …僕が気を揉んでみても詮無いが、一度は死人が出てるだろうな。
違うバンドが演奏を始めて、ダンス・フロアの人口密度が再び上昇してゆく。しかし女性客が大半で、男性はテーブル席をキープするかの如く座ったままだ。
「男はあんまり踊らないものなの?」
「ここは地元のカップルも多いけど、マヤ人はシャイだからね。」
なぜか日本語で返されたけど、別に密談するような話でもないだろうに。
「ディスコで酒飲んでるだけじゃあ、女のコが可哀想じゃない?」
僕も一応、日本語に切り替えて話を続ける。
「女のコは踊るのも好きで男のコを誘うんだけど、彼らはお酒飲んでるだけで踊らないんだ。」 と答えるトニーに、念を押すように聞き返す。
「女のコが一人で踊ってたら、ナンパされちゃうかもでしょ?…そしたらどうするの?」
そう言いながら、僕は無意識に女性達を品定めしている。
「どうって、多分どうもしないでしょ。男のコはケンカとかしないし、女のコも一緒に帰るよ。みんなグループで来ていて、自分の彼女が踊ってる間は男のコたち同士でずっと飲んでる。」
そしてトニーは付け足すように、本気とも冗談とも取れる言い方で僕にほのめかした。
「…でも〈アイヌ〉は、君次第だよ。」
ヘセラの事だ。
先日のプラジャ・デル・カルメンで彼女の話をする時、名前で内容がバレないようにと考えた暗号だった。インディオ系の濃い顔立ちをしたヘセラに相応しいコード・ネームで、差別的な意味は皆無だ。
僕は、ヘセラは(デビュー当時の中山美穂に似てる)と思った。ワイルドかつエキゾチックな、僕が今まで出逢った事のない通好みなルックスだった。滑らかに焼けた肌と、妖しい微笑み…。したたかそうな、その野性的な視線が僕の心を捕らえていた。
「女のコが来たぞ〜!」
突然、エドベンが背中から僕の肩を叩いた。
(えっ、あっ、どうしよう?!)と戸惑いながら振り返ると、彼の背後から顔を出した女性と目が合った。トニーが彼女の名を呼んだ。
「エレーナ!」
そう、彼にスペイン語を教えているブラジル人だ。チッ、すごく良いタイミングでガックリさせてくれる。
僕らは、フロアで輪になって踊った。彼女も友達と一緒だったが、ブラジル女性は2人とも豊満で開放的だった。エレーナは愛嬌があって良いのだけど、友達のほうはキツイ香水+化粧で、派手な服の下からホルモンが盛んに分泌されている感じ。失礼ながら精が吸われてく気がして、強烈な個性にタジタジ…。
「ダンスはね、もっと腰を使って〜?! もっとセクシーに、こうして…」
めちゃくちゃ寒い流し目で、ホルモンの彼女が僕に体をすり寄せてくる。踊りの極意を指導されて、僕は半ばヤケクソで真似して踊った。でも確かに彼女の言うとおり、踊りは下半身だ。ブラジル人は皆ダンスが上手なのかな?
「ブラーボ、ダンスは腰がポイントなのよ。…セックスと同じ…(流し目&ウィンク)」
うぅ、凍るっ!
「トニー、このヒトこわい。やられそう。」
エドベンの姿が見えないすきに、僕はトニーに話しかける。彼も、いかにも楽しそうに踊りながら同意してくれる。
「〈アイヌ〉じゃなくて残念ね。」
なんだか、ますます面白くなくなってきた。やっぱり来るんじゃなかったな。
帰りの車中では、後部座席でエレーナ達に挟まれたまま硬直していた。ホルモンの彼女の濃い匂いで胸がムカムカして吐き気を覚えたが、酒のせいかもしれないし…とにかく耐え忍ぶ。
明け方近く、簡易ベッドに倒れ込んで午後2時まで眠っていた。
どんどん生活リズムがズレてゆく。
2005年08月15日
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