2005年08月15日

メキシコ旅情【立身編・2 セクレテ・アルマ】

 ピニャ・コラーダが出てくるまで、意外と時間がかかった。店は満席で混んでいる。今はちょうど「ハッピー・アワー」なのだ。実はエドベン達も、半額程度で呑めるそれを狙って来たのだった。
 カウンターの向こうに戻っていたエドベンが、大声で僕を呼んだ。人目につかないようにデニムのコを指さして、僕に日本語で耳打ちをしてきた。
「…キミは、ヘセラの事が好きなんだろ。」
 えっ!? いきなり何を言うのさ、図星を突かれたが白を切る僕に「ヘセラも君を好きだって」と駄目押ししてくる。えぇ〜っ!? だけど彼女はガレージ・パーティの夜、草むら君と…。
「彼女は付き合ってる人いないよ、さっき確かめたんだから大丈夫。さあ、アタックしろ!」
 エドベンは焦れったそうに眉をひそめた。だって彼とは…本当に違うのか? 
「OK分かった、じゃあ僕の[秘密兵器]を使っちゃうよ〜ん。」
 そう言って僕はニヤリとしてみせたが、彼には意味が通じない。そこへ、ちょうどトニーが来たので密談を要約してもらう。もちろん、周囲に解らないよう日本語で。
 まぁぶっちゃけて言えば(指先で口説き落とす)ってコトだ、でも僕は本気じゃなくて下世話な冗談のつもりだった。が、聞き終わるやいなやエドベンは彼女に叫んだ。
「ヘセラ、彼がマッサージをしてくれるってさ!」
 一瞬、周囲の目が僕に集まり、ヘセラの黒い瞳に好奇心が浮かんだ…気がした。
 エドベンめ〜、まったく…!

「彼女、やって欲しいって。」
 当然ながら、まさかこんな場所で奥の手を披露する筈がない。軽く肩でも揉んどいて、無難にお茶を濁そうっと。
 ヘセラが黒い髪をかき上げて、うなじをあらわにする。却って不自然な程、きれいにムラなく焼けた肌。細い肩を覆うワンピースの生地は、近くで見たらデニムではなくダンガリーだった。
 彼女の肩に指を置いた瞬間、思わず僕はビクッとしてしまった。その恥ずかしさで一気に緊張して、関係ない事を思い浮かべようとする。でもダメだ、柔らかな感触がワンピース越しに伝わってくるのだ。離し難い気持ちで、くびすじと二の腕までマッサージしてしまった。
 この先はもう、非公開の手しか残っていない。名残惜しいけど終わりにしなくちゃ。
「サンキュー」
 僕が指を離すと、微妙に間を置いて振り向いた。白い歯をみせて笑う瞳が、見上げるようにして僕を見ている。ドギマギして目を泳がせながら、僕はなんとか平静を装って訊いた。
「気分はどう?」
 彼女は僕の目線を捉えたまま、意味ありげに微笑んだ。
「いいわ」
 考えてみれば、ヘセラと言葉を交わすのはこれが初めてだ。今まで抱いていた(つん、として気位が高そう)という印象と全然違う。そんなギャップもまた魅力的に感じる。
 この続きなんて、おそらく二度とやって来ないな。うーん、残念。もしも2人っきりになれるのなら…なんてね、可能性が無いから残念がれるんだって解っているんだけど。

 大学生達の周りのブランコは埋まったままで、あぶれた僕らは話すでもなく後方のベンチに座る。グラシエラとビアネイも、飲み物を持ってやって来た。エドベンと大学生達が盛り上がってる一方で、僕らは空腹のせいか手持ち無沙汰…となれば話は早い。
「何か食べにでも行きますか〜!」
 という訳で、ハラペコ四人組はビーチの喧騒を抜け出す。芝生を横切って低い木立をくぐり、月明かりと静けさの中に出た。ほの暗い舗装道路を歩くと、やがて通りの両側にレストランが。張り出したテラスではマリアッチが陽気なメキシコ民謡を奏でて、照らし出されたテーブルの上には色とりどりの料理と笑顔。
 もぉーたまらん! ようやく店に入り、僕はメニューを三人に任せる。要するに(とにかく早く喰わせろ)状態。出てきたメキシコ料理の名前なんて、僕には興味なかった。片っ端から、トルティージャに色んな具をくるんで平らげた。過積載の具がどんどんこぼれる、それも気にしない。
 店を後にする頃には、通りの人影もまばらになっていた。まだ店を開けている何軒かの間をマリアッチが渡り歩いている。彼らはそれぞれ、揃いの衣装に様々な大きさのギターを抱えていた。どのマリアッチも、華やかな金の刺しゅうを施した黒のスーツだ。
 トニーも「マリアッチといえばブラック・スーツに決まってる」と言っていたが、ならば以前僕が出逢ったベラクルスからの白マリアッチは何だったのだろう…ニセモノか?

 虫の声と、かすかな波音。
 すっかり人の気配が絶えたアスファルトの坂道は風もなく、僕ら四人の足音しか聞こえない。
 黙って出て来たんじゃないけれど、エドベン達は心配してないかなぁ? 僕達だけディナー食べて、怒らないかなぁ…。って、今更そんな事を気にしたりして。いや、いいのだ。さんざっぱら振り回されて、合わせてばっかりいられるかっての。
 すでにハッピー・アワーを過ぎたバーの賑わいに戻ると、エドベン達が見当たらない。僕らのほうが周りを捜す羽目になったが、やはりエドベンは待ちくたびれて機嫌悪そうだった。
「ごめんよ」
「いいさ」
 そう、これは本来、エドベンのバースデー・ピクニックなのだ。ずっと運転しっ放しで、疲れているだろうに…。そこに思い至って、申し訳ない気持ちになる。欲求が充たされて人は思いやりを知るのだ。彼は「ダーイジョーブだよ!」と言って微笑んでくれた。
 帰りの車中では、トニーが得意の冗談を連発して大笑いだった。もしかしたらそれは、彼のエドベンに対する気遣いなのかも知れない。
 暗い夜道の陥没に突如現れた水たまりは深く、ワーゲン・ゴルフは再び床上浸水に見舞われた。僕は後部座席で両足を抱え上げ、水が抜け切るまで丸まっていなければならなかった。その姿勢は、酔っ払って腹一杯の僕にはかなりキツい。幹線道路まで、ひどい道路事情だった。

 結構飛ばしていたのか、意外に早くカンクン空港を通過した。大学生達はエドベンと同じく、この空港で働いているのだそうだ。セントロの入り口にあるロータリー交差点で、ダッヂ・バンはクラクションを鳴らして別方向に走り去った。開け放した窓から、僕は大きく手を振る。
 僕はまた彼女に逢うだろうか…?
posted by tomsec at 02:37 | TrackBack(0) | メキシコ旅情7【立身編】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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