2005年08月23日

87*野生の飼育と間合い

 猫か犬かと訊かれれば、僕は「飼うなら犬かな」と答えるだろう。たぶん。
 きっと飼った事がないせいだね、猫ってイメージは「居着く」動物であって「飼う」という感覚じゃなさそう。その点では犬のほうが、メンバーとしての守備位置を考えそうで。
 動物との間合いは、仲間以外は警戒対象だと思うんだ。相棒とかチームを組むとすれば、僕は猫を相棒にはできないなぁ。

 そういえば電子制御のペット、あの発想って(種なしブドウ)っぽくない? 愛知万博とか興味はないけど、近頃はロボットが話題になる時って「アイボ的」な雰囲気を感じるんだよね。
 ただ貴方に都合のよい愛想だけを、煩わしくない無償の愛だけを…。それは娼婦の仕事であり、奴隷の役割だった事をすり替えてるだけじゃないのかぁ? ディズニーが動物達を「良き友人」として描き、アシモフがロボットを「忠実な下僕」と規定した時代から一歩も前に出ていないじゃん。
 結局は(自分達に奉仕して当然の存在)を夢見た、とはいえ両氏の発想が古い制度を超えなくたって当然だよね。でもさ、もう21世紀なんだし。

 しばらく前にね、近所の公園でイスラエル人の男性に会ったのよ。お互い犬の散歩中で、ウチのは小型犬が嫌いだから他の犬を避けるようにしてたんだけど、向こうから話しかけてきたの。
 その男性は「まだ日本に来て1週間だけど、あと1週間したら祖国に帰る」と言っててさ、妻子を現地に残して2週間も仕事しないで物見遊山とは意外だったよ。9・11テロ以前だか以降だったか、とにかくパレスチナとの問題で戒厳令が敷かれていたのに。
 特に裕福そうでもないし、まったく呑気な口調だったなぁ。遠い国で報じられている噂が、あの国のすべてを語っている訳じゃないっていう感じがしたんだ。
 きっと普通に働き暮らす、他の国と変わりない家庭があふれている。そして、すぐ近くで自爆テロが起きて町中に戦車と銃声があふれている…。それはもしかしたら、戦時下よりも却って名状し難い日常なのかも。
 ローマ帝国の侵略からイギリスの3枚舌外交による建国と紛争、他民族による翻弄の歴史は僕の手に余るので止めとこう。パレスチナという名前の由来は、聖書のペリシテ人に由来するというから溝は深い。

 しかし教育というか刷り込みというか、そういう事を考えると僕もまた日本という社会集団に相応しい育てられ方をされたのだろうな。入力する情報の選択は、集団社会やそれを統括する側の意向次第だからね。
 原爆投下も、中国のチベット侵攻も、中東に対するアメリカの外交姿勢も。
 大昔の人間が生き延びるには、自然を観察し学び取る事が必須だった。その結果が今じゃ…謙虚に学んでる場合じゃないのかねぇ。

 ところで我が家の犬は可哀想に、しつけも何も知らない家に転がり込んできてさ。手に負えなくなって、成犬になる手前からトレーニングが始まったのね。子犬のうちならともかく、人間社会に順化させるのは難しい。でも彼が生きて行く道は、それ以外に選べなかった。
 しつけを始めた当初、家族全員でトレーニングに参加してたのよ。動物をコントロールするためには「飼う側が、動物の言語をマスターする」という訓練が必要なんだよね。つまり、しつけられてたのは僕らのほうだった訳。
 その事は、まったく理解できるんだ。馬に乗るのも鳥を操るのも、それが基本になけりゃ嘘だと思ってる。でも躍らされる側の気持ちになるとね、それを犬に押し付けるしかないのも…。で、耐えられなくなって僕は降りちゃったんだよ。
「野生の飼育→飼い慣らせると思うなよ」
 これは、最初に就いた仕事を辞める前に書き留めた言葉。
 それから何年も経って勤め人になった僕は、上司から「理不尽だと思っても我慢してれば、いつか報われる時がくる」というような慰めを言われたの。
 そんなこんなを、犬のしつけ訓練で思い出しちゃったんだわ。
 飼い犬のためでも、やっぱり僕自身が調教されるのは受け入れられなかった。物心つかないうちじゃないと、ね。守ることを強いられる、自分以外に根拠があるルールってのは。

 動物の言語だったら攻撃とか威嚇でしかないのに、いいオトナまで(動物は優しい下僕)だと勘違いして…。
 癒しってのは、逆から見たら搾取と虐待だったりして。

平成17年8月23日
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posted by tomsec at 00:58 | TrackBack(0) | 空想百景(ALL) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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