2005年11月08日

 メキシコ旅情【郷愁編・8 ボンゴ、2週間】

 なんとかシエスタ・タイムをやり過ごし、改めて楽器屋のドアを押す。
 まだ開店前かと思ったのは、外の光が強すぎて店内が薄暗いせいだ。今時分はギター小僧でごった返しているような楽器屋しか知らない僕には、この店の静けさは異様に感じられた。物音ひとつしないので、自分の立てる音で妙にぎくしゃくしてしまう。
 以前、何かの本に(お店に音楽を流す理由)とかいう分析があった。人間はまったく音の無い状況よりも、ある程度の音があるほうがリラックスするのだという。店内に音を流して、パーソナル・スペースの心理的な錯覚を起こさせるらしい。いかに自分は雑音に慣らされているかが、こうしていると良く判る。
 店員は中年男性が一人、客は僕ら2人だけだ。彼に弦の事を尋ねる前に、少し見ていくとしよう。ガット・ギターばかりが豊富に取り揃えてあるのは、マリアッチ御用達だからかな。エレキ系が極端に少ないし、これじゃあギター・キッズは来る訳無いか。
 よく音楽雑誌のインタビュー記事で(海外で楽器屋に寄ったら安く売っててさぁ)なんて言ってるけど、やっぱそういう土地柄じゃないのかなぁ。フェンダー社がメキシコで生産しているという「ミュージック・マスター」どころか、エレキは日本製の「ヤマハRGX」が3本ぶら下がってるだけだ。
 RGXかぁー、せめて「SGサンタナ・モデル」とかにしてくれよ…。
 様々なパーカッションが、ガラス棚に並んでいる。まるで(さあ、手にとって試してよ!)と言わんばかりで、端から順に鳴らしてみるとグラシエラが(楽器は何でも演奏できるの?)とばかりに目を丸くして見ている。違うよ、ただ叩いてるだけ。
 僕は手に持った楽器を彼女の目の前で鳴らしてみせて、「ギロだ」と言って手渡した。
 彼女はギロを大事そうに受け取り、細いスティックで胴をこすってみる。こわごわ、という音がした。そのまんまだな、僕は可笑しくなった。ノーマルな木製のギロもあるが、これはプラスチック製でフランスパンくらいの大きさはある。南国の特大イモムシみたいな、虹色をしたグロテスクなセンスは何なのだ?
 さすがにそんなものは買う気が起こらなかったが、かわいいボンゴには一目惚れしてしまった。皮がビス打ちされていて、チューニングなんて端から考えてない大雑把な作り。普通のより一回り小さくて、民芸品っぽいのがまた良い感じ。ほとんどオモチャだけど、割に乾いた良い音がする。
 それに、何といっても安かった。単純計算で千二百円ちょっとだ、と思ったら買うしかないだろう。日本に持ち帰るとしても、大した荷物にはなるまい。それでこの金額ならばこりゃ、お買い得ってもんだよな。とんでもない衝動買いだとは思ったけど、いただきましょう!
 もちろん、肝心の弦も忘れずに買う。その値段が、日本と変わらなかったのは意外だった。なんでも安いとは限らないのだ。物価を置き換えて考えると、下手すれば一本数千円という感覚かもしれない。そりゃもう、遊びじゃ弾けないわな。日本だって、そんな高級な弦を使っているのはプロとオタクだけだ。
 小ボンゴをレジに出した時、店員の顔にありありと(オマエが?)と書いてあった。こっちも負けじと、鼻息も荒く(ナイショ!)…と顔で語ってみた。

 ボンゴを手にして店を出ると、僕は斜向かいのレコード屋に引き寄せられた。
 購買意欲に火がついたような危険を感じつつ、久しぶりのレコード屋に心躍る。とはいえ、置いてあるのはCDだけだ。日本ばかりではなく、メキシコでもレコードは生産中止に追い込まれたのだろうか?
 ワンフロア全体が洋楽じゃん! そりゃあクラシックや幼児向けなどもあるにしても…。いやいや、メキシコだものJ−POPなんて存在しないし。メキシカン・ロック、何枚か買っちゃおうかと思って結局やめた。トニーの部屋にもグラシエラの部屋にもCDプレーヤーは無かったのだ。
 その代わり、と言うのも変だけどTシャツを買った。〈ジミ・ヘンドリクス〉と〈グリーン・デイ〉のを、友人への土産用に。いかにもド派手な御当地柄よりは良いだろう。自分用にも一枚、そして帰りがけに寄ったスーパー「サンフランシスコ」で食料など。
 両手が重たい…。

 グラシエラの部屋で、コーラを飲みながら一休み。
 帰ってきて早速、買ったばかりの子ボンゴを叩きまくる。おかげで指が真っ赤になってしまったが、こういうのは慣れれば平気になるのかなぁ? けっこう歩き回ったので、疲れが出てきてシエスタしたくなってきたが、日が暮れないうちに写真屋に行っとかないと。ギターの弦を張り替えて、チューニングを済ませたら出掛けよう。
 ナイロン弦の優しい音色が、穏やかな午下がりに響く。陽が傾き始め、ようやく過ごし易い気温になってきた。誰かボンゴを叩いてくれないかなぁ、ギターでもいいんだけど。二つの楽器の組み合わせを想像すると、きっと似合いのコンビになるだろうと思った。
 今回の現像出しで、僕が日本から持ち込んだ分の使い捨てカメラは終了。セントロで買った分と、トニーから借りて焼き増しするネガだ。この間のバースデー・キャンプとか、彼の撮ったフィルムで良い写真が相当あった。
 しかし、もう2週間も経っちゃったんだなぁ〜。
 月日で言えば短か過ぎ、感覚的にはすいぶんと長い。いわゆる(まるで夢のようだ)という文句は、こういう気持ちの時に使うべきなのか? これをただ(夢)と呼んでしまうには、ここの空気も時の流れも馴染み深かった。
 経験を月日に換算して測るのは、なんだか非情なものだよなぁ。生まれ育った環境で設定された時間と、ここで現実に体験してきた濃さとの間に共通する目盛りなど見つけられっこないのに。
 帰国予定まで、あと10日を切った。といって、日本に帰りたくない! と思うほどの執着は感じなかった。そして同時に、自分が帰る場所についても実感がなかった。ここで思い出す日本とは、僕の頭にある架空の記憶だった。遠く不確かで古い、何か。
 思い出には戻れないように、自分の帰る場所は頭でイメージしてるよりも若干離れているのだろう…そう考えると、妙に落ち着かない気分になる。
 ともかく今は、まだメキシコ暮らしのド真ん中。先の事は、その時になれば全て解る筈だ。
posted by tomsec at 01:52 | TrackBack(0) | メキシコ旅情8【郷愁編】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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