2005年11月08日

 メキシコ旅情【郷愁編・7 炎天下】

 これから皆で「サムズ・クラブ」に行くという。
 僕は(今日こそ両替しなくちゃ!)と思ってたのに、なぜか強制的に連れて行かれた。銀行は早めに行かないと閉まっちゃうから、会員制のスーパーマーケットなんて付き合ってるヒマはないんだが…。結局は今回も、トニーの執拗さに押し切られちまった。
 エドベンの運転する青いゴルフ、またもや僕は後部座席でグラシエラとビアネイの間に片尻座りで腰を浮かす。
 メルカドの前に出ると、セントロの方とは逆方向に進む。絶好のドライブ日和だ、けれど窓から入る風だけじゃあ解消されない蒸し暑さだ。流れる汗で、Tシャツがシートに張り付く。しばらく走ると、中央分離帯の木陰を抜け出て青空が開けた。
 思わず「ほぇー」と声が出た。何と言っても、土地の違いが大きい。建物の面積よりも駐車場が広過ぎて、ガラ空きなのかと勘違いする程だ。工場のようなプレハブの店舗が、向こうのほうに建っている。
 この「サムズ・クラブ」は、登録した人だけが買い物できる安売り店なのだそうだ。東京近郊でも、同じように空き倉庫を使ったスーパーが続々と登場していた。もっとも、食料品から家具まで幅広く揃えたスケールは比べ物にならない。
 店内は、金属製の巨大な棚いっぱいに商品が並んでいる。まるで物流倉庫だ、フォークリフトを入れなければ積み上げられないだろう。家具類のコーナーでは、天井高くに組み立て見本品がワイヤー吊りされている。
「こんだけ広いと、皆とはぐれたら二度と会えないかもね…」
 僕はトニーにそう言いながら、呆気に取られて商品の峡谷を歩いていった。背の丈を越す冷凍庫の中に、業務用にしか見えないパッケージがずらりと並ぶ。これだけ豊富なメニューなら飽きることもないだろう、そして何でも冷凍食品化してしまえるんだな。
 人間とは、実にいろんな物を必要としているなぁ。
 僕は時々はぐれそうになったりしながら、何も買わずに皆に付いて歩いた。逆にスカンピンで来たおかげで、余計な衝動買いをしないで済んだのかもしれない。
 あれ、レジの女のコ…知ってる顔だよなぁ? そう思ってたら、グラシエラが大声で笑いながら手を取り合っていた。そうだ、クラウディアだ。一緒に海水浴に行った、グラシエラの英語学校のクラスメイト。
 彼女と目が合うと、僕を覚えているようだ。「やあ」と言って小さく手を振ってみせると、クラウディアはにっこりした。きゃしゃで、物静かな女性だ。ゲラゲラ笑ってるグラシエラが元気すぎるのか。彼女がここで働いているのを知らない訳でもないだろうに、まるで古い親友に出くわしたかのような大騒ぎで。どこの若い女性も、こういう動作は基本なのかね。
 買い物をカートに山積みにして、広大な駐車場を横切って行く。
 炎天下、アスファルトの照り返す熱気で目まいがしそうになる。店内はひんやりと肌寒いくらいだったのに、外気が一足飛びに上昇するのだ。みんな、よく平気そうにしていられるよ。閉め切っていた車にギュウギュウ乗り込むと、あんまり蒸し暑いので胸クソ悪くなる。初日以来の暑気あたりだ。それでも大分この気候に慣れたのか、すぐに回復してきた。

 家に着くなり、ママの注いでくれたコーラを一気に飲み干す。
 書棚の前のソファーに転がっていたギターを手に取ると、2弦が切れてチューニングが狂っていた。月蝕の日にディエゴが何処かから持ってきたけれど、持ち主はママも知らない様子。それにしても所有者に断りもなく弾いて、その上ほったらかしで弦が切れたなんて申し訳なさ過ぎる。
 階段を上がってグラシエラとビアネイの部屋に行く。トニーも案の定そこにいて、僕は彼に楽器屋さんの場所を知らないか訊ねた。
「多分、あそこに楽器屋さんがあったと思うわ」
 グラシエラが言って、腰掛けていたベッドから降りた。
「私ヒマだから一緒に行くわ。いい?」
 グラシエラは楽しそうな笑みを浮かべて、バッグを肩に掛けている。
「先に銀行に行ってからだよ。じゃあ、急ごう」
 僕は振り向きもせずに返事をして、両替の事以外は頭から追い払う。急いで部屋に戻ると、戸棚から財布を出してT/Cを切り取った。もう昼になろうとしている、もたもたしてはいられないのだ。早足でセントロへ。

 両替窓口は奥にあり、珍しく行列が出来ていた。
 並んでいるのは2、3人だったけれど、思ったよりも時間が掛かった。列の後ろに並んで裏書きを済ませる間にも、列は微動だにしない。
 自分の番になった。今日の担当者もまた、不機嫌そうな面構えだ。透明プラスチックの仕切りから、僕はT/Cをくぐらせた。男は引ったくるような勢いでそれを机に叩きつけ、まずは大きなため息を吐いてから仕事にかかった。良い気はしないけれど、こういう風習にも慣れてくるものだ。
 彼は計算機を弾いて、伝票を書き込んでから席を立った。なかなかの体格だ、銀行員よりルチャ・リブレに向いてる…人相からして悪役レスラーだし。ともかく、無事に暮らしの糧を手にする事ができて一安心。今日の目的は達成されたから、あとは楽器屋だ。
 楽器屋は案外と近所にあって、帰宅するついでに立ち寄れば良かった。
 今まで店の前を通っていたのに、初めて気が付いた。表には看板もなく、肩幅しかない間口のガラスに小さなスペイン語が書かれているだけだもの。こりゃ見逃すわ、目立ちたくない理由でもあるのかい?
 よく見るとそこに下がった札に「シエスタ」と書かれ、時計の絵が印刷されていた。針は1時から4時を指している…あと3時間半は休業中かよー? 考えてみれば、僕が動き出す時間にはいつも休業中だったのだ。これでは見過ごしてしまう筈だ。
 仕方ないので時間潰しにメルカドをぶらつくか。
 楽器屋の向かい側、郵便局の並びにレコード屋さんがあるのを見つけた。当然、その店も今は昼寝中だ。メルカドの周囲を歩いてみたけど、ことごとく居眠り中とは! ついてないなー、うだるような昼下がりにグラシエラだけが相も変わらず元気に喋って笑ってる。そんな彼女の受け答えをするのが、なぜだか苛々してきた。彼女の無邪気さが、今はただ気に障る。
 行く手にソーダ・ファウンテンを見つけて、やっと僕は正気に戻りかけた。白く張り出したテントの下、ショーケースには色とりどりのシャーベットが…! なのに誰も居やしないから向かっ腹が立つ、まるでオアシスに辿り着いて「断水中」の立て札でも見ちまった気分だ。
 もはや動く気もせず、ガーデンチェアにドッカリ腰を据えて待つ。不機嫌まるだしの僕に、さすがのグラシエラも黙り込んでしまった。心の中では申し訳ないと思っても、一々それを説明する気にはなれない。
 しばらくすると、遠くからピンクと白の制服姿が近付いて来て、その少年がカウンターの中に潜り込んだ瞬間に僕は復活した。突如、元気ハツラツな笑顔でアイスの3段重ねにご満悦。グラシエラは僕の豹変ぶりに狼狽して、うっすらと愛想笑いを浮かべるばかりだった。
 遠慮しなさんな、オレのおごりだってば!
posted by tomsec at 01:52 | TrackBack(0) | メキシコ旅情8【郷愁編】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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