カンクンの外れ、まるで都営住宅のような団地にやって来た。
道路を挟んだ向かい側に、目的地の「スシ・マニア」があった。こじんまりとした店構えは、繁盛してないファーストフード店にも見えるが…。何故か宇宙空間と化した店の壁を、ヒップホップ調で巨大な原色スプレーの「握り」が飛び交っている!
ク、クレイジー〜!
空いた口がふさがらない、いくら異郷の風土料理とはいえ…。これでは食欲がもんどり打ってしまう、というか日本人を悶絶させるつもりか?!
ガラス張りの店内は、白いプラスチック製の丸テーブルと椅子が置かれている。カウンターもハンバーガー屋っぽい造りで、メニューがスペイン語なのでトニーに注文を任せた。
「それじゃあ、アボカドにクリーム・チーズに…」
それを聞いていた僕は慌てて、彼をさえぎった。
「ちょっと待って、そんなの寿司じゃないよ!」
「いやこれが美味いんだよ、ビックリするから」
もう充分ビックリしたから、せめてママ達には日本らしいスシを頼んでくれよ。そんな訳分かんないニッポンはダメ〜!
「だって、ここにサシミはないよ」
おいおい、冗談だろ〜? 壁に描かれた不気味な握りの大群は、それじゃあ一体なんのつもりだよ?
「残念だけど、サシミ以外ならあるから」…って、それじゃ寿司ネタ全部ないじゃーん!
ひどい、ここでは得体の知れない物を海苔で巻いて「スシ」と称して売っているのだ。奥の調理場で、メキシコ人が慣れない手つきでスノコを使って巻物をこしらえてる。あれじゃあ料理教室だよー、なんか刹那くなってきた。
そして段々と、自分のバックグラウンドを茶化されているみたいな気分になってきた。背広にチョンマゲとか、玄関入るとドラが鳴るとか、それと似たような方法で僕がママ達に日本の文化を紹介するのか…? それは、ちょっと違うだろう。
代金はトニーが支払ったが、この辺の物価にしては決して安いと言えない額だったようだ。確かに安価に流通する食材ではないだろうし、輸入物も使うのだろうけど。
テイク・アウトを待つ間、何組か親子連れが入って来てテーブルに着いた。
僕もあんなふうにして、近くの町に初めてハンバーガー・ショップが出来た頃は家族に連れられてきたものだ。父親の満足げな表情、戸惑い交じりの晴れやかな顔をした母親。もちろん嬉しくて仕方無さそうな子供たちにとっても、時折の休日に家族で外食するのは特別の行事なのだろう。
でも…、でもそれはスシじゃあな〜いっ!!
空にはいつもの晴れ間が戻っていた。いつになく強い風が、停滞してた湿気を追い払ってゆく。
帰り道、僕らはセントロで「バーガー・キング」に入った。迷わず(ワッパー×2+ハラペーニョ山盛り)を選ぶ。考えてみれば、二人とも朝から何も食べていなかった。大体、あの「スシ・メニア」の内装を見たら食欲も引っ込むっての。
店内は活気づいているが通りの人影はまばらで、目抜き通りの角に面した広い窓からは脇道の様子が見える。トニーが、向かい側の小さなカメラ屋を目線で示して日本語で言った。
「あの娘、ちょっと良くない?」
少し奥に引っ込んだカウンターから出てきた女のコが、風にあおられた看板を直そうとしていた。ショート・パンツから伸びた素足が、何といいますか、健全なお色気であります。
「うーん。顔はノーマルだけど、あの脚が良いねぇー。」
わざと話に無関係なジェスチャーをして、呑気に品定めをする下世話なオッサン二人。店を出た僕たちは何気ない顔で、初めて気が付いたふりをして「おっ、こんな所にカメラ屋さんが?」と店内をのぞき込む。
女のコは最初、怪訝そうな目をしていた。しかし僕らが親しげに、イノセントな笑顔で声を掛けると…ほぉら、彼女もニッコリした! 自己紹介をして、他愛ない話をして打ちとけた後で手を振って別れた。
「ま、今日はこんなモンでしょ。」とか言って、いい気なもんだ。
「可愛いねー、今度からここに写真を出そう。」
僕たちは、その脇道を通り抜けて家に戻る事にした。これからセントロに来る時は、この脇道を通って来よう。昼の陽差しに眠りこけた場末の居酒屋とか、ちょっとヤバそうな顔の土産物屋が店を連ねている。明るいうちなら僕にも横切れそうな、生活感がある裏道の雰囲気は少しゾクゾクして良い感じ。
脇道をまっすぐ抜けると、映画館と教会に挟まれた公園があった。その先を行けば郵便局が見えてくる、ここはもう見知った一角だ。
公園の隅にある教会グッズの店が気になって、ちょっとのぞいてみた。結構ユーモラスだったりグロテスクだったりする、カトリック的な聖人を模したイコン(偶像)たち。僕の(神は信仰の対象であって、茶々を入れたりするもんじゃない)という思い込みと裏腹に、店で売られる像にはどこか人懐っこく庶民的なノリが感じられた。ラテン系カトリック?
ビアネイ達の部屋やエドベンの部屋なんかにも、肖像画やイコンや聖書があったりするのを見た。実際に祈りを捧げたり、教会に通っている姿を見たことは一回もないが…。メキシコはカトリックが広く信じられていると聞いていたけれど、熱心な教徒がいるのかは別問題なのかもなぁ。
それともマヤの誇りを受け継いでいる人々にとって、所詮は押し付けられた外来宗教でしかないのか…。その辺はどうなんだろう?
夕食は、とてもおかしなものになった。テーブルの上に(怪しげなスシ)が並べられ、それを囲んだ一同が興味津々といた面持ちで見入っている。
エドベンとトニーが、スペイン語で何やら前置きを話していた。細かい部分については僕に確認を求めて解説し、ママ達はそれを聞いて感心したように頷いている。日本の食文化について、寿司について、箸について等々…多分そういった説明なんだろう。
僕は口を挟まないで座っていたけど、本心では「この食べ物は、日本と何の関係もありませーん!」と言いたくてウズウズしていた。
そして、合掌。それを見たママは、キリスト教の食前の祈りを連想して感激していた。おごそかに神妙に、日本食の夕ごはんになる。
みんな使い慣れない箸に悪戦苦闘しながらも、スシの味はすこぶる好評だった。みんなの称賛を耳にするたび、心はグルグルしてくる。僕は二切れ食べて箸を置いてしまった。残念ながら、僕には口に合わない。寿司だと思ったら吐き出したくなるが、現地料理だと思えば気持ち良く食べられる。そういう類いの代物だった。
エドベンとトニーの〈外部の目を通した日本〉が、更にママ達なりの解釈をされてゆく過程は興味深いと思う。換骨奪胎、黄身のない玉子みたいだ。しかも、この場での僕は偶像としての日本人だった。
もし異国の伝道師が死んだ後、自分の教えがトンチンカンに広まってゆく様子を目にしたら…。きっと同じようなニュアンスを味わうのだろう。
買ってきた「スシ」だけでは、全員で分けるには量が少なかったようだ。もちろん僕も満腹には程遠いけど、何か割り切れない嫌悪感のほうが先に立ってしまった。今迄で一番、口に合わなかった食事だ。ごちそうさまと手を合わせつつ、複雑な心境だった。
2005年11月08日
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