2005年11月08日

 メキシコ旅情【郷愁編・4 裸の勝者】

 トニーが大声で、僕らの優勝を教えてくれた。すっかり疲労困憊して、彼に笑い返すのもやっとだ。客席からの喝采を浴びながら、僕はビキニの小猫ちゃんに寄りかかるようにして立っていた。
 一体、僕は何をやっているんだろう? フラフラになって息を切らし、真夜中のストリップ小屋で素っ裸なのだ。男達の嫉妬と羨望が入り混じった視線に、訳もなく腹が立ってくる。これが傍目ほど気楽じゃないって事を、ちっとも解っちゃいないくせに! 誰が好き好んでやるもんか、けれども自分で踊った結果だけに心底うんざりしていた。
 よろめきながら花道から降りようとする僕の腕を、またもや彼女が引っ張り返す。(もう付き合い切れねぇ、何があろうと知った事か!)とばかりに、その手を反射的に振り払った。ところが、総立ちになった客が僕を押し戻してくる。優勝者の「ごほうび」を観るまでは、僕を許さないらしい。冗談じゃあないぜ、今度ばかりは折れないからな。
「僕は眠りたい、それだけだ。他のサービスは何も要らない」
 ステージ脇に立ったまま、僕は冷静にアピールした。だけど次第に押し問答になってきて、殺気立った気まずい雰囲気に。もういいじゃないか、僕を自由にしてくれよ…。
「勿体ないだろ、分からないのか? お前は素晴らしい(ごほうび)を貰えるんだぞ!」
 僕はガックリ肩を落とし、回れ右をした。
 そうする以外に、もはや僕の行き場所はなかったのだ。

(ごほうび)だからシャンパンでもくれるのかと思っていたら、照明が落とされて甘いバラードが流れ始めた。このムードにアクロバットは似合わないし、もうコンテストは終わったのだ。
 小猫ちゃんは僕から離れて、ビキニのブラを外した。客席はどよめいたが、僕は軽い溜息をつく。こういうコトね…つまり僕に、じゃなく観客へのサービスかよ。しなだれかかる彼女の体は、例によって触れそうで触れない。いつの間にか後ろにパイプ椅子が置かれ、座り込む僕に覆いかぶさる姿勢で彼女は囁いた。
「私が動くから、じっとしていて」
 スペイン語は解らない筈なのに、たしかに僕は理解した。ずっと集中して彼女の空気を読んでいたせいだ、そう彼女が言ったのは確かだった。
 背もたれに体を預けていると、この心身の疲労が椅子から床に滴り落ちてゆくようだ。小猫ちゃんは、僕の胸に舌を這わせる振りをしている。客席の男達は、きっとカン違いしてるんだろうな。目を閉じていると、このまま眠れそう…。
 ふと、彼女の気配が消えた。
 うっすらと目を開けると、目の前に立った小猫ちゃんが、ゆっくりとビキニの腰ひもを解くのが見えた。
 場内のボルテージは最高潮に達し、エドベンの同僚のオッサンは何事か口走りながらステージに上がろうとするのを周囲に押さえ付けられていた。ステージ・ライトが逆光となって、こちらから彼女の肢体は陰に隠れて見えない。
(まさかメキシコで〈まな板ショー〉か?!)
 あらぬ想像が浮かび、眠気が消えた。彼女が僕に向かってくる。それにつれて、客席のうめき声にも似たざわめきが一段と大きくなった。いくら僕が「俎上の鯉」とはいえ「寝た子を起こすな」だ、こんな人前で起こされては堪ったもんじゃないぞ! 逃げ出したい気持ちと裏腹に、全身が重くて動けない。
 小猫ちゃんは四つんばいで、僕の股間に顔をうずめた。しかし考えてみれば、僕に指一本触れさせようとはしなかったのにアレだけ…というのも辻褄が合わない。そして案の定、今度も触れてこなかった。

 またもやお色気パントマイム、しかも今度は2人とも全裸だ。椅子に座った僕の上で、彼女は器用に体をくねらせていた。そして僕の手を取って自分の体をまさぐらせるが、やはり背中から脇腹止まりだ。どうでもいいのに、なぜか僕まで恍惚の演技をしてしまう。
 僕の肩に掛かった太ももの谷間から、股間がせり上がってくる。熱帯の花の荒い息遣いを感じつつも、薄暗がりの中で判然としない。彼女がどんな体勢でいるのか不思議だったが、頭を両脚で挟まれているのだ。
 結局は彼女の好きなように翻弄されているのに、どこか共同作業の感覚があった。だが所詮は小猫ちゃんのステージであって、僕は小道具の一種でしかなかった。彼女が全身を密着させるようなグラインドを始めると、陰毛の微風が鼻をくすぐった。
 それが(ごほうびショー)のクライマックスで、やっと解放された僕はヨタヨタと汗まみれの服を着てソファーに体を投げ出した。
「何か飲むか?」
「いや、今は要らない」
 最初のサルベッサだけで充分に酔いが回っていた。空腹すぎて、胃が何も受け付けられない状態だった。ソファーに丸まっていると、このままスゥーッと意識が遠のく。今まさに幸せな気持ちで旅立とうとする瞬間、僕は強く揺さぶられてボックス・シートの現実に引き戻された。もう放っておいてくれ…。
 大きく深呼吸をして体を起こすと、先程の小猫ちゃんが通路側から割り込んできた。僕達はベスト・パートナーだ、互いの健闘を称えあうように目線を交わす。小声で耳打ちされても、騒がしくて聞き取れないし言葉が理解出来ないんだってば。
「これから私とやれるけど、ペソでもドルでもいいわよ」
 通訳してくれたトニーが(足りなきゃ貸すぞ)と背中を押した。ばかいえ! すげーシラケた。

(くされオヤジども!)…僕は胸の中で毒づいた。
 あのオッサン共、勘定をゴマ化しやがって。20ペソづつ割り勘にしたら、一人分が足りない。なのに全員しらを切り、挙句はニヤニヤしながら「日本人は金持ちだから、それくらい払っておけよ」と言い出す始末。
 そういう算段だったのかい…! 睡眠不足も手伝って目を三角にしていると、よせばいいのにトニーが余計に払ってしまった。それに引き換え、オッサン連中に啖呵の一つも切れない自分が情けない。
 午前3時過ぎ。店の外でオッサン達と別れ、エドベンの車に乗り込む。明け方の薄闇に包まれた町並みに、クラクションを鳴らし調子よく手を振りながら散ってゆく車。
 空腹で道化を演じてさ、疲れ切った上にカモられて…。まったく最悪な夜だ。

 帰宅してから、トニーの提案でタコス屋台に繰り出した。
 エドベンはガレージに車を入れると自室に直行したが、こっちは数時間後に出勤する彼と違って自由の身だ。第一このままフテ寝じゃあ気が済まない、それに腹も減っている。あそこでは、サルベッサ[ビール]とフルーツ数切れしか口にしていなかったのだ。
 ガレージ・パーティの後でエドベンに連れて来てもらった場所が、こんな近所だったとは思わなかった。メルカドの少し先で横道を折れると、路肩に沿って数軒の屋台が並んでいた。週末だからなのか、この間よりは屋台の数が少し増えたようだ。前回に比べれば客も入ってるし、滅入った気分も忘れさせてくれる賑わい。
 僕らは、今回も二個づつ食べた。性懲りもなく、チリサルサ・ソースをたっぷりかけて。会計係はヤサ男じゃなかったけれど、屋台のオヤジは同じ顔だ。だけど無愛想じゃなくて、僕らも自然と笑顔になった。
posted by tomsec at 01:52 | TrackBack(0) | メキシコ旅情8【郷愁編】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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