2005年11月08日

 メキシコ旅情【郷愁編・2 ワイルド・キャット】

 入り口の黒い幕をくぐると、目の前に花道があった。
 どぎつい照明に染まったダンサーが、後方のステージからゆっくりと歩いてくる。花道の先は、天井からスチール・パイプが伸びている小さな円形ステージだ。ダンサーの女性は、ひとしきりパイプに絡み付いて後方ステージに下がった。脱ぎ捨てたビキニを拾い上げて引っ込むと、大柄な金髪の女性が同じように踊りながらブラを外してパイプと絡みはじめる。
 花道を囲む「かぶりつき」の席はまばらなのに、壁際の暗がりは人で埋まっていた。それに気付かず壁に寄って、間近で客と対面して焦った。暗闇とステージ照明の眩しさで、足元さえ見えないのだ。
 奥まったカウンターに、エドベンを見つけた。そこはDJブースの前で、PAが真横にあるので絶叫しても会話にならない。どうやら「良い席が空くまで待とう」という事らしく、トニーと3人でスツールに腰掛けてショーを見る。
 場末というより、学園祭のような小屋だ。ホノルルと比べるのは間違いだろうけど、内装も音響も照明も手作り感すら漂うチープさ。高い天井も派手なドアマンもなし、踊り子さんもプレイメイトには程遠い。まぁアットホームといいましょうか、洗練されていない「いかにもストリップ小屋でござーい」っていう気安さは楽だ。
 きれいな顔立ちをした金髪の踊り子は、嫌々ながら我慢してるみたい。高飛車なのは銀行員と郵便局員だけで充分だ、唯一のブロンド娘だから商品価値が高いのかもしれないが僕には関係ない。素人目にも下手なのに、見ているこっちまで厭な気分になってくる。
「メキシコの女性は胸が小さい」
 いつだったか、そうトニーが言っていたっけ。胸に関しては、どの踊り子も小振りだ。僕は巨乳派を支持するつもりはないけれど(あればあったほうがビジュアル的に見栄えがするな)とは思った。だからホノルルのダンサー達は、とんでもないことになってたのだろう…。と、あらぬ事を考えてたら席を移ってボックス・シートへ。
 超かぶりつきの、舞台と花道の角だ。少し年上の男性4人と相席になった、と思ったらエドベンの同僚らしい。おじさん達は「若いんだから、遠慮するな」みたいなことを言って、僕らをシートの奥に押し込んだ。トニーが花道の真横で、僕は彼に並んで座り直す。エドベンは舞台を背にする格好で、向かい側で腰を下ろした。
 サルベッサ[ビール]のボトルが人数分、テーブルに置かれた。コロナ・ビールではない銘柄だったけれど、小皿に乗ったライムのかけらを絞って飲み口に押し込むのは同じだ。
「サルー[乾杯]!」
 おじさん達は陽気に笑った。別の皿に並んだライムと岩塩をつまみにして、彼らは早くも二本目を頼んでいる。僕はこういう店に入り慣れていないので、ビール一本でも高くつくんじゃないかと心配になってしまう。高いと言っても円換算にすれば大した事ない筈だが、それだけ僕もペソ感覚に慣れてきたのだろう。
 それにしても、この席は近過ぎだ。目の前にビキニ姿じゃ、顔を上げるのも恥ずかしい。とはいえ踊り子さんは、まるで素人みたいにぎこちない感じ。ただ一人だけ、指先まで気を抜かないような踊り方をしている女性がいた。気合というかエンターテイナーの心意気というか、とにかく惹きつけて飽きさせない動き。
 小柄で締まっているのに、黄色いビキニがはちきれそうだ。褐色の肌は濡れて、挑みかかるような黒い眼差し。その眼力は、ヘセラよりも野生の猫のよう。

 夜も更けたか、客席が埋まって熱気を帯び始めた。客もすっかりこなれてきたし、ヌード・ダンサーも興が乗ってトニーになまめかしい愛想をふりまいたりする。酔いが回ったのか、エドベンの同僚が押しのけるように身を乗り出してくる。おぉ、絵に描いたようなオッサンらしさだ!
 その同僚は筋金入りのオッサンで、本能に忠実なタイプらしい。なんとか踊り子達の気を引こうとして、人目も気にせず声を掛けたりお道化てみたり、挙げ句は舞台でチークを踊ったりして周囲から喝采を浴びていた。
「トニーも気に入られたんだから、もっとガンガンいきなよ」
 僕がニヤニヤして尻を叩くと、彼は恥ずかしそうに身をすくめた。
「ダメダメ、出来ない。それより席を交替してくれよ」
…ヤなこった!
 ちょうど僕らの真正面、舞台の袖だと思っていた部分が明るくなった。そこはガラス張りのシャワー室になっていて、次の見せ場になるらしい。それでもビキニの下は脱がず、風呂なのにパンツ一丁で泡まみれの肢体をくねらせてシャワーを浴びるとバスローブをはおって別のドアから出て行った。
「何時まで、ここに居るんだろう?」
 トニーが腕時計を見ながら言った。
 確かに、いくら夜更かしの僕らだって寝てもいい時刻だ。ここに来たのが10時か11時頃で、もう2時近かった。おじさん達の雰囲気は、むしろこれからって勢い。気を遣ってテンションを上げているにも限度がある。トニーと僕は疲れてきて、とっとと帰りたかった。

 六人位のダンサー全員のシャワー・タイムが終了する、と同時に音楽と照明が消えた。(もう閉店か)と思ったら、再び景気よく音楽が鳴り出した。もったりとした男性の掛け声と共に、ステージには踊り子達の揃い踏み。
「お待たせしましたー、いよいよ本日のスペシャル・ショー・タイムでぇーす!」
…という事らしい。何言ってんだよ、もう寝る時間じゃないの。
 僕が耳打ちで(この調子じゃあ、まだまだ帰れないね)と言うと、トニーはがっかりした顔で肯いた。エドベンは何を誤解したのか、こちらに身を乗り出してきやがる。
「おいおい、これからがスゴイんだぜ?!ダンス・コンテストをやるんだよ」
 それぞれのダンサーが客席から相手を選んで一緒に踊り、優勝者には特別サービスをしてくれるのだそうだ。早くも何人かの踊り子が、ステージに連れ上げた男性客と組んで踊り始めている。冴えない中年男ばかりなのに、誰もがラテンのステップを踏めるのだ。いずれも軽やかに女性をリードしていて、なんか悔しいけれどカッコ良い。
 エドベンは面白がって、冴えない顔したトニーを花道に押し上げようとしている。トニーのほうは俄然、必死の抵抗を試みていた。彼には可哀想だけど、ちょっと退屈しのぎに踊ってもらおうか?
 ちょうど目の前を踊り子が通りかかったので、僕も調子に乗って
「さぁトニーズ・ダンスを見せてやれー!」と背中を押す。
 トニーが悲鳴を上げた。「ダメだよ、止めろ!」
 本気で嫌がっているのが可哀相になって、押し手を緩めた途端エドベンが僕に振り返った。すかさずトニーが叫んだ。
「お前はマカレナが得意じゃないか、お前が踊れ!」
 この切り返しで、一気に形勢が逆転してしまった。
 僕は体をシートに沈ませて逃げたが、同僚のおじさん達まで面白がって手足を掴んでくる。これでは多勢に無勢、上体が持ち上げられてしまった。その瞬間、僕と踊り子の目が合った。
…野生の猫だ。
posted by tomsec at 01:52 | TrackBack(0) | メキシコ旅情8【郷愁編】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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