ホエール。
クジラの事じゃなくて、僕の洗礼名「ジョエル」をスペイン語で発音すると「ホエール」になるのだ。これは(もしも僕がカトリックを信仰していたら…)の話だが。昨日の夜、グラシエラが調べてくれたのだ。
洗礼名というものが、生年月日によって決まっていたとは初耳だった。日本人には馴染みの薄いミドル・ネームという風習に話が及んだ時、グラシエラが思い出したように本を取り出してパラパラまくり始めた。ちょうど小振りな辞書みたいで、1年分の日付毎に2〜3の洗礼名が記されているものだ。確か僕の誕生日にも他に2つ書いてあったが、両方とも覚えにくそうな上に語感も今ひとつだった。
「ジョエル?」僕が声に出して言うと、女性達が訂正した。
「僕はジョエルのほうがいいよ」
「いいえ、あなたはホエ〜ル!」
そう言って笑った。
トニーのミドル・ネームはダニエルだが、こちらは本名だ。一応はプロテスタントの筈だけど、本人も「詳しい由来は知らない」という。きっと、そんなもんだよな。自分の意志ではないもの。
ガイドブックには「メキシコの国民は、ほとんどすべてがカトリックに帰依している」と書いてあった。曰く、女の子達の(日常的な挨拶)を勘違いして、うかつに手を出したりすると「うちの娘をどうしてくれる」と父親に捩じ込まれて、そのまま結婚+永住という羽目に…云々。
今になってみれば(書いた人は気の利いたジョークのつもりだったのか)と思えないでもない。しかしメキシコについて何の予備知識もなかった数カ月前は、半ば本気で信じていたのだった。地域差はあるのかも知れないけれど、肌で感じる意見としては「そんなに厳格なクリスチャンでもないでしょ」という程度だ。
あのロレーナだって、離婚した今は新しいボーイ・フレンドと仲良くやっている。グラシエラとビアネイにしても、特に宗教的な行為を見たことがない。教会に通っている気配はないし、本人達も僕の質問には笑って首をすくめただけだった。
彼女たちの部屋には聖書とイコンがある。けれど冠婚葬祭を別にすれば、宗教に起源を持つ様々な祝日は絶好のパーティ日和、といった程度で日常を過ごしているのだろうな。宣教師が植えた種は、その土地の風土に適応して実を結ぶ。もうすでに、第一世代のカトリックではない。
僕は、その感じは(自然の理に適っている)と思う。人為的に区切られた歴史ではない生々流転の中で、大きな生命の流れは調和している。日本の無宗教ぶりも、そういう視点から見れば気持ちの良いものだ。いろんな種が絡み合いながら、混じり合って育つ。
混沌は、何も拒まない風土なのだ。
トニーと一緒に、昨日のビデオを返しに行く。
ウシュマル通りを渡った向こうにビデオ屋「ブロック・バスター」があり、手前にはトニーお気に入りの雑貨屋「スーパー・マックス」がある。周囲は住宅地で、他に店といえば雑貨屋の隣にある文房店ぐらいだ。
ここの主人には、僕が以前ほんの少し世話になった。
いつだったか、家の前でディエゴと遊んでいて、僕は彼の大事なスーパーボールを失くしてしまった。強く弾んだ拍子に、隣家の塀を飛び越えてしまったのだ。僕はディエゴに謝ったけれど、泣いて怒りだしたので買って返す事にした。
約束はしたものの、どこにも売っていなかった。雑貨屋「マックス」にも売っていなくて、もう他に思い当たる店がないので隣の文具店に入ってみたのだ。きっとファンシーな文房具と一緒くたになって、スーパー・ボールぐらい……と期待したのは甘かった。事務用品店と呼んだほうが相応しい雰囲気の店だった。
応対に出てきた主人は、不審そうな面持ちで僕の話を聞いていた。けれど僕が日本人だと分かると、表情が変わった。
「日本の、どこから来た?」
状況がつかめないので、さりげなく僕は逃げ出せる構えを取る。日本人だと何だというのだ?
「東京です」と答えると、今度は「東京のどこだ?」と畳み掛けてくる。苛々してきて今度はこちらが怪訝な顔をすると、やっと主人は笑顔を見せて種明かしをしてくれた。
「これは失礼。妻の実家が、亀戸なものでね」
彼は店名の印刷してあるカードを出して、僕に一枚くれた。
「これは妻の名刺でして…このエンブレム、判りますか?」
指さすまでもなく、日本人なら一目瞭然の家紋じゃないか。紙質といい、アルファベット表記なのが奇妙な位の立派な名刺だ。ナオコ・フジモリ・デ・デュケー。マネージャー、とある。
「この店の名前もね、ほら」
パペレリア・アキラ…あきら紙舗、と訳せば良いのか。アキラは私の日本名です、と言われても意味が通じない。帰化してないでしょ、おぬしは。
「また寄って下さい、妻を紹介します」と言われて店を後にした。スーパーボールの手掛かりにはならなかったが、面白い体験だった。
メキシコのアキラ氏に、どんな経緯があったのやら。
父親が出てきて「うちの娘をどうしてくれる」…あの、ふざけた文章を思い出した。
閉店間際の「マックス」に入って、コーラとナチョスを買い込んだ。帰り道の途中に、日本人の経営するという鍼灸院があったのを思い出した。
日本が身近になってくる。
2006年03月06日
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