2006年03月06日

 メキシコ旅情【逃避編・8 自己責任】

 やがて木立に囲まれた、エメラルドグリーンの池が現れた。この高さから飛び込んだら、さぞかし気持ち良いだろうな。でもすり鉢状の急斜面で怪我をしそうだし、水から上がってこられるのか微妙だ。
 そこを過ぎて上り坂になり、砂地に変わった。坂の上には青空が広がり、海の予感が気持ちをはやらせる。…パラダイスに到着だ!
 花のようなパラソルが渚に影を落とし、波打ち際が白い翼を拡げている。僕はグラシエラとトニーの後を追って、低いパラソルの間を抜けながらビーチハウスに向かった。そこは南国ふう海の家だったが、二人は気にも留めずに素通りして行く。
 僕は喉がカラカラだったし疲れていたから、お構いなしに先を歩く2人に腹が立った。けれど、もう付いて行くのが精一杯で言葉が出てこない。行く手に見える白い建物は、どうやらトイレ兼更衣室だ。まず着替えを、という訳か。
 しかし服を脱いでから、僕の短パンは水着と兼用だった事を思い出した。あらかじめ2人が行き先を言ってくれればビーチハウスで待ってたのに〜! それでついトニーに刺々しく厭味を言って、グラシエラの照れ臭そうな水着姿を無視した。
 ビーチハウスまで戻る途中、さすがに八つ当たりをしてるのが情けなくなって気分を入れ替える。が、リゾート用品のレンタル表を見て(入場料を払って更にぼったくる気か!?)と新たな怒りがこみ上げてきた。これ以上、2人に不快さを伝染させたくはなかった。
「僕の事は気にしないで、各自で楽しく過ごそう」
 トニーにそう言うと、ひとり木陰に寝っ転がり目を閉じた。わざわざレンタルしなくたって、波の音と心地よい潮風、つま先が陽に焼ける感触…それで充分だ。

 さっきから、目の前をTバックの姉ちゃんが行ったり来たりしていた。
 さらりとなびかせたブロンドと、小麦色の肌に張り付いた青いヒモ状の布。大柄で均整のとれた肉付き、その立ち振る舞いは一見してモデルのようだ。
 初めての生Tバックに、どうしようもなく視線は釘付けに。自分の品の無さに呆れながらも(心を偽る方がいやらしい)とか理由付けしてる、抑えきれないオヤジ目線…。あ〜、もう自己嫌悪ばかりだ!
 ふと、すぐ近くで誰かの気配を感じてドキドキしながら顔を上げると…? イグアナだった。奴はデッキチェアのギャル連をキャアキャア言わせて、悠々と去って行った。なんだか微妙に哀しくなってきた。
「海に入ろうよ」
 トニーが遠慮がちに声を掛けてきた。これが3度目だ、いつまでも気持ちを尖らせてたって誰も楽しくないもんなー。
「なぁ、僕らもレンタルしないか?」
 うむむ。ビーチハウスの料金表とにらめっこ、で結局(まぁいいじゃないか、ここで散財したって)というリゾート気分に。3人揃って、海中散歩と洒落込むか。

 海岸は岩場で、所々にテラス状の階段が設けられている。そこから直接、海中にエントリー出来る訳だ。波に足を浸しつつ階下をのぞくと、いきなり5m下の白い海底が見えた。粒が見分けられるほど澄んでいて、海水がある事を忘れて足がすくむ。
 普通、誰だって硬直するだろう。ところが不思議と、周りの海水浴客は平然と足ヒレをばたつかせて泳ぎだすのだ。これがメキシコでは「普通」なのか? どう考えても自然な地形とは思えないし、金を払ってる利用客に不親切だろう。浅瀬を設けたり注意事項の説明板を立てるとか、いくらでも対策はある。
 そもそも海水浴場なのに監視救助員がいないのも問題だ、利用者各自で責任を負えとでも?…いやむしろ、本来こうあるべきなのだろう。確かに優しさに欠けるきらいはあるかもしれないが、自然は私企業のアミューズメント・パークじゃないもんなぁ。
 僕は、昔から見慣れた海辺の光景を頭に浮かべてみた。賑やかな海の家がなかったら、ゴミの散乱やスピーカーの音楽もなくなるだろうか? そうではないなぁ、やはり「個人のモラル」っていうヤツかも。

 海底は砂漠状態で、魚の姿は見えなかった。レンタル代が勿体ないけど、飽きちゃったんだから仕方ない。陸にあがってグラシエラに声を掛けると、水シャワーを浴びて着替えた。
 汗と砂と潮風のせいで、潮気を洗い落とした肌がたちまちベタついてくる。来た道をゲートまで戻った時には、もう一度シャワーを浴びたくなってきた。車寄せが日陰になっているのが、せめてもの救いだ。
 桟橋近くでタクシーを降りると、空が雲でかげってきた。船着き場には人が集まり始めていたが、フェリーの到着には少し時間が早い。それまで海を見ていようか、とトニーが言った。悪くないね。泳いだせいか、動きまわる気にはなれないもの。
 海沿いのコンクリート堤防に座って、ただ何となく遠くを眺める。まだ3時過ぎだというのに、空は一面どんより雲で薄暗い。眼前のビーチの、鮮やかなパラソルもくすんで見える。風が出てきて、空の様子や波の色は黄昏ムード満点。まったり加減が心地よく、三人は無言で船を待った。
 いきなり、周囲が黄金色に包まれた。手品師がスカーフをめくった瞬間の、拍手喝采のような熱気。同時に、沸騰した汗が噴き出してくる。陽射しの復活と共に、世界は止めていた息を吹き返し始めたのだ。太陽の偉大さを、古代のマヤ人とエジプト人の気持ちになって受け止める。
 フェリーはすぐにはしけを離れ、なだらかな島影が揺らめきながら遠ざかっていく、それはまさに夢のたとえだ。船内には腹の底から響くような、くぐもったエンジン音が充ちている。短く浅い眠りに落ちて、僕はそういった光景が交じり合った夢を見た。

 プラジャ・デル・カルメンは、まだまだ昼間の顔だった。静かに賑わう通りを抜けて、僕らは寄り道せずにバス乗り場へと直行する。ちょっとした建物の裏手にバス停が並び、外の待ち合いスペースは日除けが大きく張り出している。
 バス待ちの列に加わったけど、風通しが悪いので蒸し暑い。行列は、ゆっくり動いては止まる。僕はあまりの暑さに苛立ってきたが、バスに乗るまでの辛抱だった。
 どうせ車内は強烈な冷房で、かいた汗も引っ込むというものだ。
posted by tomsec at 19:59 | TrackBack(0) | メキシコ旅情9【逃避編】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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