早々と宿をチェックアウトして、朝食を食べに来た。
海沿いの道に、ぽつんと建った一軒家。珍しく冷房の効いてない店で、開け放たれた扉から朝の空気が流れ込む。こざっぱりとした板張りの内装で、海辺の食堂っていう気安さが良い。広さの割に席数が少ない、しかも僕らが最初の客のようだ。
バルコニーの草木が、朝の太陽を浴びて照り返してくる。その先は、すぐ海になっていた。午前中の強烈な陽射しが寝呆け眼にしみる。起きぬけに歩かされたから、やっと人心地付いた感じだ。わざわざトニーが連れてくるだけあって、観光地ズレしていない店の雰囲気が気に入った。
注文したのは、ごくありふれたコンチネンタル式の朝食だったはずだけど…。正直なところ、眠気まじりで何を食べたのか記憶にない。ただ、とても美味しかったのは間違いない。それはよく覚えている。それから、吹き抜ける風が気持ち良かった。
小さな店の割にゆったりした雰囲気で、一人で切り盛りしているらしい店員がにこやかで、ここで食事できて良かったと思える店だった。
満足して店を出ると、外は光の洪水だ。目をしばたかせながら、朝日の当たる海岸沿いの道をゆく。トニーとグラシエラは当然のように、元来た道を引き返し始めた。確か、食事の後はビーチに行く筈だったのでは…?
「まだ少し時間が早いのさ」と、トニー。
彼の説明によると、この辺のビーチも有料で管理されていて開場時間までは入れないそうだ。朝食が思いのほかスムーズだったので、こうして今はタクシーを拾えそうな桟橋前で時間調整している…という次第だった。あらかじめ話してくれたのだろう、しかし寝起きの僕は記憶になかった。
タクシーを拾って、チャンカナブーという愛嬌のある響きのビーチに向かう。
海岸通り沿いの賑わいを過ぎて、さっき朝食を取った店の前を通った。しばらくすると民家は姿を消し、森の中の一本道に変わる。日差しの力が、枝葉の木陰を押し切って地表に射し込む。緑の透過光に染まったジャングルは、うっそうとした重さはなく活き活きと輝いていた。
小さなサービス・エリアみたいな場所に着くまで、大して時間はかからなかった。車でゲートの中まで入ってゆけるのだろうけど、僕らは道路に面した車寄せで降りた。グラシエラがトイレに行ってる間に売店をのぞいてみると、森の中なのに海の家っぽい品揃えが意表を突く。
勝手を知っているグラシエラを先頭に、舗装路を外れて脇道を入る。明るい木立は熱気が和らぐ替わりに、植物の発する湿気で蒸し暑さが増した。Tシャツの中で、汗がダラダラ滴り落ちる。植え込みに点々とある石像は、よく見るとマヤ遺跡の複製だった。これはきっと、密林探検で遺跡に遭遇したかのような趣向なのだろう。
「トニー見て、ラベンタの石頭だよ!」
僕はすっかり嬉しくなってしまった。まさかここで見られるとは! 実際より小さな複製品でも、ちょっと得した気になる。植え込みに入り込むのには気が引けたが、ラベンタの石頭と記念撮影しとくか。
正確にはマヤ以前に栄えたオルメカ文明の頭像といわれるが、アメリカ大陸には存在しなかった黒色人種的な顔立ちの特徴がみられる。なぜ黒人ふうなのか、なぜ頭だけなのか、なぜ遺構の近くから発見されなかったのか…。頭部を偏平にしてやぶにらみにさせた、マヤ時代の風習と関連づける学者もいるそうだ。
その先にはチェチェンイツァーの石像があった。これはちょっと、トニーに「一緒に写真を撮ろう」と言われても気乗りしない。いくらニセモノとはいえ、この像には生け贄の心臓を乗せたといわれているのだ。しかし彼は僕を引っ張って、石像の前に押しやった。
なるべく触れないようにして、あまり失礼にならないポーズを取る。
「さっきみたいな面白い格好してよ〜!」
観光客って、やっぱり皆こうなんだろうね。くわばらくわばら。
この小道はビーチへの近道かと思ったけれど、そうでもないらしい。くねくねと回り道をしながらマヤ文化の学習もできる、これは一種の庭園だな。途中に、先住民の暮らしを再現した小屋が現れた。
葦のような植物でふいた低い屋根、壁も同じような細長い植物の茎をすだれ状の柵にして巡らせたみたいになっている。失礼ながら、3匹の仔豚が建てたワラの家を思わせる素朴な造りだ。その小さな掘っ建て小屋の中に入ると、薄暗い中にマヤの民が…!?
ビックリさせるぜ、スタッフが先住民役で座っていたのだ。こうして彼らは日がな一日、土間の片隅に肩を寄せているのか? 土間にはムシロが敷かれ、吊り下がったザルの中にトウモロコシの粒が盛られている。小学生の社会科見学で訪れた竪穴式住居跡そっくりの空気だ。
つまり、僕が思ったのは(展示方法が日本と近てるなぁ)という事だった。まぁ黎明期の住居はこういうものかも知れないし、モンゴロイドとして近いものがあるのかも知れない。
そこを過ぎてしばらくすると、通りすがりのオジサンが話しかけてきた。僕らは誰かとすれ違う度に微笑みかけたり「オーラ」とか声を掛けたりしていたから、それに応えて話しかけてくる人がいても驚きはしなかった。だけどこの人は、僕に「この先にハポネス・フロールがある」と教えてくれたのだ。
オジサンは振り返ると、キツネにつままれたような顔をしている僕にその言葉を繰り返して(あっち、あっち)と指し示してみせた。ハポネス・フロール、直訳すれば日本の花だけど…何のこっちゃ?
順路に従って進んで行くと、蓮の葉が浮かぶ小さな池に出た。彼が言っていたのは、この花だったのだろう。僕にとって、睡蓮と言えばクロード・モネとか仏教のイメージなんだけどな。ツタ植物を絡ませた周囲の景観とあいまって、これではむしろアマゾンのオオオニバスじゃないかという気がしないでもない。
どちらにせよ、木漏れ日に咲く薄紅色の花は美しく、神秘的であった。蓮は英語ではロータスと呼ぶ。その言葉には、夢見心地の状態や涅槃のような意味合いもあるらしい。
ちなみに、エジプトの国花だそうだ。
2006年03月06日
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