短い船旅は他に島影もなく、コスメル島の桟橋に接岸する。
見送ったばかりの景色に似ている、波間を一巡りして戻ってきたようだ。しかし上陸してみると、当たり前だがプラジャ・デル・カルメンではなかった。むしろそれよりも、やや高級なビーチ・リゾートの趣が感じられる。
桟橋から、海岸線に沿って走る外周道路を横切る横断歩道には信号機と交通整理のオジサンが。歩道の両側に若いリゾート客があふれ、奥のほうからは音楽のリズム。色とりどりのタンクトップ、チューブトップ、ショートパンツにフレアのミニ…。うーん、まさしく(真夏のバケイション・夜の部)といったムード。盛り上がりますなぁ。
信号を渡ると広場へと通じていて、噴水横のステージが終わったところだった。足を止め見入っていた人達が散り始め、周りの露店ふうの店には人だかりができている。いいねぇー、まるで縁日をぶらつく悪ガキみたいな気分。
そのまま円形の広場を抜けて、町中の通りを下ってゆく。区画のレイアウトが、いかにもコロニアルな感じ。まず中心に噴水を置き、その広場から同心円状に広がっている町並みだ。放射線状に伸びてゆく道路に沿って、どっしりとした石造りの建物が続いている。各階の天井が高いらしく、とても2、3階建てには見えないのも異国風情。
ともかく見物は後回しにして宿を決めなくちゃ。トニーの話では、広場の近辺に安いホテルが集まっているらしい。目に付くネオンも看板もないので、歩いて捜すしかなさそうだ。
脇道にそれると、ゆるやかな下り坂だった。島だからか、車はほとんど走っていない。ひっそりと掲げられた看板はどれも僕には読めないが、酒場かホテルかのどちらかだろう。何軒か通り過ぎながら、さりげなく値踏みする。どうやらトニーも同じだったらしく、看板が途切れた所で僕らは立ち止まった。
どのホテルも「安宿でござい」といった粗さを隠そうともしない。改めて数軒の前を行き来してみたものの、どこも似たり寄ったりな雰囲気だ。しかし悩んでいたって埒があく訳じゃなし、目の前に手頃そうなホテルの玄関があるのも何かの縁だ。
飾り気のないガラス戸の片側が押し開けられていて、正面の狭そうなカウンターの棚にルーム・キーが寝かされていた。アクリルの棒に部屋番号が印字されている、あれだ。天井でのんびり回るプロペラと、市松模様になったリノリウム張りの床が南国ムードをかもし出している。が、誰もいない。僕らは顔を見合わせた。
扇風機の羽根音だけで、シーンとしている。僕らが帰りかけた時、中年の男性が現れた。決して愛想が良いとは言えない顔で、面倒臭そうにカウンターの下をくぐった。商売っ気のない従業員だなー、まったく。
ちょっとたどたどしいスペイン語ながら、トニーは丁寧かつ明るく話しかける。相手の表情から、徐々に警戒心が解けてゆくのが判った。トニーは彼に背を向けて、僕に小声でささやいた。
「ここは安いよ! 日本円で4千円しないョ。」
それを聞いて僕は(安いか?)と思ったけれど、ベッド3つ+温水シャワー&冷房付きなら納得。1人あたり1300円程度か、悪くないじゃん。念のため、部屋を見せてもらう。すでに薄暗くなってきている1階の廊下は陰気な感じだけど、小さな吹き抜けに面したドアから中を見て(まぁいいか)と思った。
非常にあっさりしてるが、僕としては文句なかった。けれど、トニー的には今イチだったみたいだ。
「ま、いいじゃぁないか。いつまでもウロウロしてたら夜が明けるよ」
僕はトニーにそう言って、中央のベッドに倒れ込んだ。幅もクッション性も申し分ない。そして嗚呼、何だろうこの懐かしさは? 久しぶりに嗅いだシーツの匂い…。こんなにまともな寝床なんて、忘れてしまうくらい御無沙汰!
もう今から、寝る時のことを想像するだけで(ウットリ♪)する。2人が順番に旅の汗を流してる間、僕はベッドの快楽に浸っていた。
「あーっ。本当に、生き返るような気分だ」
温水は偉大だ。熱めのシャワーを浴びた瞬間、電撃のような悦楽に思わず力が脱けそうになった。冷水シャワーに慣れ切ってしまった体にとって、湯気と温水との再会は恵みでありヒーリングの世界だった。
グラシエラが髪を乾かすのを待って、僕たちは町に繰り出した。
2006年03月06日
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