「早く起きるんだ、出掛けるぞ!」
急がないとバスに間に合わない…って、また例によって急展開かよ〜。しかも朝っぱらから!? 訳も分からないまま眠い目をこすりつつ、手早く荷造りしてセントロのターミナルに向かう。
僕が寝ている間に、トニーとグラシエラで「今日はエドベンが休みだから、皆でどこかに行こう」と話し合っていたそうだ。ところがエドベンの姿が見えないので予定を変更して、僕達3人でトゥルムに行く事にしたらしい。そういう話は勝手に決めないで欲しい。
不愉快さを別にすれば、その提案には異論などない。なんといっても(往復千円程度でマヤ遺跡+ビーチ付き)だ、実に良い話ではないか。
トゥルムはカンクンからさほど遠くない場所なので、日帰り小旅行には手頃な行楽地だ。位置的には南で、バスに乗って片道約2時間。
「時間があれば、プラジャ・デル・カルメンにも立ち寄ろう」
トニーは僕に言った。エドベンのバースデー・ピクニックで、最後に立ち寄ったビーチだ。ちょうどカンクンとトゥルムの間にあって、治安も悪くないし物価が低い(とはいえ、観光地だけに国内の基準からすれば高いらしいけど)。若いバックパッカーがたくさん集まる賑やかな所らしい。
トニーは、繰り返し「あそこはまるで楽園だよ〜」と言うのだった。
セントロのターミナルは、トゥルム通りのロータリー付近にある。クラウディア達と「クラブ・メッド」のビーチに行った時の、あのバス乗り場の奥だ。そこは、僕の自宅に隣接している鮮魚市場を思い出させた。
ひっきりなしに発着するバスを保冷車に見立てれば、あれより規模は小さいけれど似た雰囲気だと思う。券売所の黒板に殴り書きされた文字が、魚の名前とセリ値に見えてくる。…もちろん、本当は行き先と発車時刻なのだが。
チケットはトニーがまとめて買ってくれた。グラシエラに任せたほうが無難だろうと思ったけど、彼としては自分のスペイン語を役立てる機会だったのだろう。すぐに出発する便があるというので、僕らは乗り場に急いだ。一列に並んだバス停に、入れかわり立ちかわりバスが出入りしている。
乗り場の番号を確かめて、そこに入ってきたバスの車掌さんに行き先を確認する。長距離バスとはいっても、せいぜい乗れて三十人だ。トイレも付いていないし、多分ユカタン半島の付け根ぐらいまで行って帰ってくる路線だろう。
車内は、案の定よく冷えている。乗り込んだ瞬間は快適なんだけど、長袖シャツをはおって丁度良い。乗り込んで待つうちに、バスのエンジン音が一段とやかましくなった。ブシューッと乗降扉が閉まり、黒々とした排気ガスを撒き散らして走りだす。
間もなく、バスはセントロの街並みを抜けた。そこからは単調な風景が続く。交差点も標識も看板もない平坦な一本道、その両側は木々が埋め尽くしている。やがて検問が見えてきた。ここから先はカンクンの外なのだ。
バスがスピードを落として接近すると、明らかに検問しているのは軍隊だった。全員がオリーブ・グリーンの制服を着込んでいて、ヘルメットとライフルを装備している。路肩には装甲車、道路の四隅に土のうでトーチカが作られていた。
トニーが小声で僕に言った。
「カメラをしまえ! もし(軍の機密を撮った)なんて誤解されたら大変な事になる」
ずいぶんと大げさだなぁ、ツーリスト相手に。
「そんな、大丈夫だよトニー…」
トニーが険しい目付きで僕をにらみ、鋭くささやいた。
(言うことに従え!)
バスが停車したと同時に、自動小銃を構えた兵士が乗り込んできた。その素早い身のこなし、映画で観た〈テロリストがバスジャックする場面〉だ。車内の空気が、一瞬にして凍りついた。乗降扉は開け放たれたままでも、流れ込んでくる熱気がまったく感じられない。
兵士は席を見渡し、ゆっくりと通路を歩いてくる。銃を小脇に抱え、指は引き金に掛けたままだ。目が合った乗客が兵士に微笑みかけたりして、緊張感をほぐそうとするがニコリともしない。ピクリとでも動いたら、容赦なく銃口が火を吹きそうだ。
僕と目が合った。足を止め、一度そらしかけた視線を僕に戻す。兵器のように、男はゆっくりとした動作でこちらに向き直った。そして無表情のまま、僕のカバンを指さした。予期せぬ事態に作り笑いもままならず、僕は「あうあう」と口を動かしただけだった。男の指先が上下して、早くバッグの中身を見せろと言っている。
あぁ、なんてこった! よりによって、僕のバッグはサープラス(軍放出品)じゃないか…。指先の震えを抑えて中身を出そうとしたら、男は首を軽く振って立ち去った。ひょっとしたら、僕が外国人観光客と判らなかったのかもしれない。とにかく、ヒヤリとさせられた一瞬だった。
悔し紛れに、僕は窓越しに奴等の写真を撮ってやった。もちろん、バスが動き出した後で。
乗客の大半が寝ていた。残り半分も僕と同様、今しがた目覚めたばかりだった。
気が付けば、バスは民家の間を走っている。ブロック塀の向こうから、青々とした枝を伸ばす木々。車窓に踊る木漏れ陽と影を、すり抜けるように町を進む。家々はどれもコロニアルな趣があり、それぞれに違うピンク色をしている。こんな所で暮らしたいなぁー。
のんびりとした空気と、鮮やかな色に包まれた村。ここが、プラジャ・デル・カルメンだった。
この前は日が落ちてから来たので、夜の印象しか持っていなかった。未舗装で、ひどい水たまりが多くて、ココモ状態のビーチ…。そんな夜の表情も悪くないけど、昼はまた一段と良い感じのちっぽけな町だ。
バスはここを経由して、次のトゥルムに向かう。何人かが降りて、何人かが乗ってきた。次の機会は、ゆっくりと訪れてみたい。
うまくいけばトゥルムの帰りに寄れるかも…? 当てにはしてないが。
2006年03月06日
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