2006年06月30日

 メキシコ旅情【ハバナ!前編・16 ディスコ・インフェルノ…?】

 僕らは最初の一杯でずいぶん粘っていた。トニーは、まだ腰を上げそうになかった。
 エスコートなしに、1人でディスコに来る女性はいない。というのは建前で、男性客が連れてくる女性達の同業者がうようよしてる。要は相手を入店前に決めてくるか、ディスコで口説く体裁にするかの違いだ。
 出入りする客は男性全員が白人観光客、女性達もまたカモを狙って集まって来る。だからイイ女なほど、例外なく一番年老いた男性を選ぶ。ここでは、年配であればあるほどモテる。小気味よいくらい、目的がハッキリしてるのがいい。
 眼下のダンス・フロアで、最高の美女が最高齢の白人に寄り添っている。二番の女は、次に老けた男…その組み合わせからいけば、男女の比率からして僕らには何も回ってこない筈だ。

 ところが、こんな唐変木にもチャンスはあったのだ。背中越しに吐息を吹き掛けられ、気取って振り返ると厚化粧の梅垣…っぽい女性が2人!! 僕は言葉が分からないのを良い事にトニー任せ、彼もへどもどと断った。
 何やら妖艶な捨て台詞を残して去る人の渦に、イイ女が小金持ちにすり寄ってゆく姿が過ぎる。そんな格差をため息まじりに眺め、ずいぶん経った頃に再びカラスが舞い降りる。ピタリと寄り添う、この強い香水の匂い…。
 また出ました、先程の腰を抜かしそうな2人組。その口元に浮かんだ不敵な笑み、まるで(そろそろ観念したらどうなの?)って感じで全身鳥肌状態。もとから僕には、女を買うために使う金なんて無いのだ。さすがのトニーも、彼女達にお願いする気がないのは分かっていた。

 深夜、ホテルに戻る。しかしロビーは宿泊客が行き交い、とても真夜中とは思えない雰囲気。みんな夜更かしして遊んでいるんだな。
 エレベーターに乗り合わせた宿泊客が、降りる間際に何かつぶやいてゆく。後に残った人々も一様に、ボソッと何か言い返す。昨夜、この不思議な状況に僕らは首をひねったのだった。
 おおよそ察しはつくのだけれど、小声で早口だからまったく聞き取れない。今朝、イダルミから「アスタ・ルエゴ」だと教わった。それでも僕らには舌がもつれて「ムニャムニャ」と言葉を濁すばかりだった。
 その意味は日本語では[また後ほど]だから妙な気もする、それに素人耳には「ハロー」にしか聞こえないのだから物凄い早口だ。
 カンクンの場合、たとえば「パードレ[お父さん]」が「クール[カッコ良い]」を意味するスラングとして若者に使われていた。エドベンの家族を見る限りではママが一家を牛耳っていたから、もしパパが知ったら喜んだろう。
 キューバには「クール」に相当する言葉は存在しないらしく、イダルミ達に「パードレ」と言っても通じなかった。

 喉が渇いたが、彼は「水道の水はやめとけ」と忠告してくれた。一流ホテルとはいえ、アイス・ルームにミネラル・ウォーターもあるだろうという。そんな部屋があるなんて、初めて知った。各室のスモール・バー用に、氷や水を補充する場所があるのだという。
「このフロアになければ、上か下の階に行けばある筈だ」
 早くも寝る態勢のトニーに言われ、僕は1人で部屋を出た。廊下にあるフロア見取り図には、それらしき小部屋は見当たらない。ということは、上か下の階だな。エレベーターを待つまでもなく階段を使おう、だが夜中の非常階段って不気味…。小さな虫のように、遠くから冷たいノイズが押し寄せる。打ち放しコンクリート独特の湿気、異界の空気だ。やっぱエレベーターにしよう、先客があってホッとした。
 アイス・ルームは、オフィス・ビルの給湯室に似ていた。大きな製氷機のスイッチを入れると、ゴンゴリンと耳障りな音を立てて氷が落ちてくる。それはまるで、ハンド・スピーカーの前でうがいしているような音だった。近くの部屋の人を起こしてしまいそうで、ちょっと気が咎める。アイス・ペールを手に提げて、上に行くエレベーターに乗った。下りる時よりも先客が増えていて、夜遊び同士の親近感みたいな空気があった。降り際に早口で「ハロー」と言ってみたら、背後の空気が固まっていた…。

 トニーはディスコ「コモドロ」で落ち込んでしまい、僕が戻るともう寝てた。
 1年で様変わりしたハバナには、彼の期待してたロマンスの欠片もなかったのだ。それを目の当たりにすれば、気を落とすのも無理からぬ事だと思う。
 僕は逆に、気分転換に一人で踊っているうちゴキゲンさんになってしまった。
 見とれるほどの美女が、足取りもおぼつかない爺さんをエスコートしてる。首から(アメリカの片田舎から、フルムーン旅行のついでに青春を取り戻してます)と大書きした札を下げているような、厚顔無恥な小市民。でも、同時に(様々な苦難を乗り越えて余生に至った、名も無き庶民)のささやかな幸せを祝いたいような気持ちにもなったのだ。
 誰もが、他人の視線など気にせずに充足している。そして誰の事も気にしてはいない。フロアに降りても気分だけ味わって引き上げてしまう老人に、セクシーな現地女性が手を添えながら優しく付き従う…こんな世界も在って良いのだ。だけど何というユーモアのセンスだ! バカバカしくって笑える。





補足(後知恵)

植民地時代より、実際に使われた要塞が多く、コモドロも、それらの外観を利用したものらしい
コモドロ≠bPディスコ

参考資料:
「キューバ・ガイド キューバを知るための100のQ&A」著・カルメン・R・アルフォンソ・エルナンデス 訳・神代修、海風書房
「SERIES 地図を読む7 キューバへ カリブ楽園共和国探訪記」著・樋口聡(あきら) 批評社

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