玄関を入ると左にレジと観葉樹、右に二階への階段が。その先には左側に厨房が、右のスペースにはテーブル席がしつらえてあった。壁には小さな絵なんかが飾られて、暖かなサンタフェ・カラーで統一されている。
唯一気になったのは、先客のいない静けさだった。僕らの他に一組でもいれば安心していられるのだけど…。そんな不安を消そうとするように、ラジカセから音楽が奏でられ始めた。ゆったりしたラテン・ナンバーだ。家族はそれぞれ支度にかかり、調理場に活気が生まれる。
「どうぞどうぞ、せっかくですから窓際の御席へ」
そんな感じで女主人に勧められ、トニーと僕はバルコニーの席に着いた。手すりの先には緑の茂る庭が夕闇に浮かんで、夏の宵の口の空気を漂わせている。小さな照明と共に、卓上のキャンドルが灯された。テーブル・クロスは、大柄で明るい色のギンガム・チェックだ。鮮やかな布地が映えて食欲を刺激する。
マダムがメニューを持ってきたので、先ずはトニーに渡す。彼は(チョット高いヨ)と言って、僕のほうにメニューを向けた。肉か魚のコースで、値段はほぼ同じく12ドルと14ドル。それぞれサラダとデザート、飲み物は紅茶かコーヒーが付く。
良くも悪くもファミレス並みだね、と僕は日本語でコメントして(出ようか、どうする?)と目線で尋ねた。でも彼は納得したようで、肉のコースを選んだ。僕は魚のコースを選び、ハーフ・ボトルのワインを追加する。マダムが席から下がると、トニーは小さくため息をもらした。
「今や何もかもが、アメリカ並みの値段だヨ。」
いつの間に調べてたんだか、一年前の相場とは比べものにならない物価高になっているそうだ。ホテル前のディスコは、去年は2000円もしなかった入場料が今は7000円近くなっているという。一年前の3倍以上とは!
しかしまぁ、ここで愚痴っぽくなっていても詰まらない。2000円しないコース料理と思えば、しかも落ち着いた内装と良い調べも含む貸し切り状態なのだから安いものだ。ここでの物価がどうだろうと、サービスのグレードはファミレスじゃない。それに気持ちの良い夜だ、草木の深い匂いと虫たちの静かな音色…。このムードで男同士ってのが、実に勿体無い。
ワインが来たので、静かに杯を上げる。サラダはパリッとみずみずしく、メイン・ディッシュもさっぱりしていて美味しい。ワインも肉と魚の両方にあって、味を引き立てている。
「あのさぁ、トニー。考えてみたら、こういうまともな食事はずいぶん久し振りだよ」
食後のコーヒーを飲みながら、僕は自分で言いながら可笑しくなった。カンクンでも、ママの手料理以外はジャンクフードばかりだったのだ。特にこの数日といったら、ろくな食事にすらありついていなかった。ここでキューバの家庭料理が食べられなかったのは残念だったけど、何といっても食べ慣れた味は気楽だ。
「サブロッシモ[非常に美味しかった]!」
帰りがけにそう言うと、女主人はとても嬉しそうな顔をしていた。通じたらしい。本当にそういう表現があるのかどうか知らないが「サブロー[美味しい]」の比較級が「サブローソ」らしいので、勝手に最上級の造語を作らせてもらう。僕はいい気になって、厨房から出てきたシェフと息子にも「サブロッシモ!」を連発する。(ちなみに、正確には「サブロシシモ」という言い方がある)
もしも機会があるのなら再び訪れてみたい店だが、二度と来られない事は判っている。何故なら、ここは(看板のないレストラン)なのだ。
待たせていた車に乗って、いよいよディスコ「コモドロ」へ。
しばらく閑静な住宅街を走ると、刑務所みたいな高いコンクリート塀が見えてきた。ぐるりと正面に回り込むと突然、滑走路の誘導灯みたいに両側から照らされた入口に出た。これまた監獄じみたゲートには制服姿のボーイが立っていて、乗客を確かめるように車内をのぞき込んでくる。なんだか会員制の秘密クラブみたいだ。
しかし門の中は、塀の縁にぼんぼり灯して盆踊り状態。外からは聴こえなかったダンス・ビートで地元の若者達が踊っている。屋外ディスコ、っていうか単にお祭り?
塀の片側に長いスロープがあり、奥に建っている平屋根の公民館っぽい建物に入場待ちの行列が。ドアマンが立っているものの、服装チェックは無し。ドアの向こうは真っ暗で、児童館の肝試しを思い出した。
次のドアが開かれて、ようやくディスコらしくなった。暗い店内に浮かび上がるブラック・ライトとネオンの照明、低音を効かせた音楽は新鮮でも懐かしくもない半端な選曲…。大した事ないじゃんか、ちょっとガッカリしたけど同時に安心もした。なんだか超満員で、ハリウッド映画の酒場みたいな感じもする。
とにかく酒をもらおうと、ギュウギュウのカウンターを押し分けて大声で注文した。なんだ、まさか1杯目から有料かよ!? トニーには黙ってたけど、彼が気が済むまでナンパしている間を酒で潰そうと思ってたのに…。来た早々ゲンナリ、これじゃあ単なるCOD(キャッシュ・オン・デリバリー)の呑み屋じゃん?
男2人でジン・トニックをなめながら、手すりにもたれてダンス・フロアを見下ろす。たわいもない話をしては、野郎共の間を縫うように泳ぎ回る女性たちの品定めに余念が無い僕ら。ただ、僕にはナンパの下調べなんて気はなかった。
どいつもこいつも行き場がないんだなー、自分も含めて…。
補足(後知恵)
両替・ブラック・マーケットについて
'937月市民のドル所持が解禁
'93に個人労働、自営法が承認された
(法律で認められている仕事に代わる、新たしい雇用を与えるため)
'95試験的に開始 国民がドルを所持する為にキューバ・ペソを両替する
レート
'94半ば 1USドル=130〜140ペソ
'95 =25〜30ペソ
土地の所有は、基本的に国のもの
使用権は農民や組合に
私有財産はある
多くが、植民地時代から実際に使われていた要塞
海賊などに対する砦
総督と知事の住居や宗主国スペイン向け金銀の倉庫に
コモドロも、それらの外観を利用したものらしい
コモドロ≠bPディスコ
奴隷制度は19世紀末に廃止
革命から40年、今も黒人差別は残っている
それ以前はどん底だったが、今は世界で最も差別の少ない国
参考資料:
「キューバ・ガイド キューバを知るための100のQ&A」著・カルメン・R・アルフォンソ・エルナンデス 訳・神代修、海風書房
「SERIES 地図を読む7 キューバへ カリブ楽園共和国探訪記」著・樋口聡(あきら) 批評社
2006年06月30日
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