2006年06月30日

 メキシコ旅情【ハバナ!前編・14 看板のないレストラン】

 シャワーを浴びた後、ホテルの便せんで手紙を書く。
 ついでにアイザックのくれたカードを自分宛に送ろうと思いついたが、フロントで「日本には送れない」と断られた。詰まらなそうに働いている姉ちゃんだから、ひょっとしたら面倒で適当にあしらってるのでは…と思ったけれど、やっぱり駄目なものはダメらしかった。何しろ国交が無いからなぁー、でも国際郵便法はどうなってるんだ?
 最初は仏頂面だった従業員が(送ってあげたいのは山々なんだけどねェー)という表情で、お手上げポーズを作ってみせる。彼女につられて僕もニコッとして、仕方がないと肩をすくめた。それなら明日、メキシコに帰ってすぐに出せばいいか。海外郵便は、メキシコからでも1,2週間はかかる。だから僕はこちらの自分が出したカードを、日本に帰国して数日後に受け取る事が出来る訳だ。
 まるで一人キャッチボールをするみたい。これを受け取る未来の僕は、今この瞬間に感じるすべてを(書かれた出来事)として読むのだろうな。
 たかが1カ月前までの(記憶のなかの日本)が、目を凝らすほど遠く色褪せている。ほとんど地球の裏側で、まったく違った時間を生きているのだ。こうしてカリブ海を見下ろしていると、東京のリアルさをまったく思い出せない。
Hnavana_oceanview





 部屋に戻ると、だしぬけにトニーが「キューバで一番のディスコに行く」と言い出した。あいにく僕はTシャツに短パンしかないけど、観光客なんだから行けば追い返しはしないと彼は楽観的観測。確かに、昨夜のカサ・デ・ラ・ムジカも大丈夫だったしなぁ(ただ他は全員、長袖長ズボンだったけど)。
 白タクを拾って乗り込むと、今回の運転手は感じの良い初老の男性。念願のアメ車ではあるけれど、とりあえず50年代といった程度。外国で日本車というのに比べれば、雰囲気があってよろしい。
 まずは夕飯を、運ちゃんオススメのレストランに案内してもらう。尋ねられた初老ドライバーは何やらメモを読み込んで、閑静な住宅街まで車を走らせた。割と裕福そうな一戸建てが並ぶ、真っ暗な区画のド真ん中。運ちゃんは紙切れを見直して頷くと、僕らを促して先を歩く。そしてなぜか、灯りの消えた一軒の民家へ…。
 トニーと僕は目線で(どうするどうする?!)とやり合いながら、運ちゃんの後に付いて階段を上がった。呼び鈴を立て続けに鳴らし、静まり返った家々に響き渡る。運ちゃんは何か勘違いしちまったに違いない、うろたえたトニーは運ちゃんを引き止め僕は階下で逃げの構え…。
 やがて窓が明るくなり、中年の女性がドアを開けた。トニーが平身低頭で謝ろうとするのを運ちゃんが押し止め、低い声で家人と何やら話し合っている。奥さんは家じゅうの人間を集めている様子で、ドアの向こうでドタバタと走り回る人の気配があった。僕は階段上のトニーを見つめ、緊急事態のシュミレーションを何通りも組み立て直す。
 運ちゃんは階段を下りてきて、僕に(上に行きな)という仕草をした。ちょうど玄関先に出てきた奥さんが、にわか作りの笑顔でトニーを招き入れようとしている。どうしたものか戸惑っていると、僕に気が付いた彼女がにこやかに階段を下りてきた。促されるまま警戒心を隠して入口に立つと、トニーの背中越しに見た内装は完全にレストランそのものだった。しかもドア脇には、しっかりレジまで備え付けられている!
 外目には洒落た一般住宅なのに、これは一体どういうコト?
 振り返って後ろを見ると、階下の奥さんが素早く運ちゃんに何か手渡して駆け上がってくる所だった。なーるほど、ようやく合点がいった。別に彼が知り合いの家で飯を食わしてくれる訳じゃなくて、いわば非合法のレストランなのね…。多分ここは営業許可を持ってなくて、客を紹介してくれる白タクの運ちゃんにバックマージンを出しているのだ。そう考えれば、彼らがコソコソやっていたのも説明がつく。
 持ちつ持たれつ、こうしてみんな外貨収入を得ているのだろう。なかなか、たくましいなぁ。僕は(一般市民の裏事情)をかいま見たのだと思うと、ちょっと得した気分になった。
 でも当局に〈違法営業行為〉で踏み込まれたら、僕らも危険な立場かも? いや万が一そうなっても、こっちに害が及ぶ心配はないな。あのブラック・マーケットの警官からして、おそらく(誰に外貨が落ちるか)よりも全体として潤っていれば問題ないのだろう…そんな計算が一瞬のうちにまとまった。
 僕の観察眼が確かなら、運ちゃんは決して悪人ではない。道中の、トニーとのやり取りから判断する限りでは。食事が終わるまで車の中で待っている、彼はそう言っていた。

 僕らを迎え入れたシェフと若いコックは、どう見てもこの家の住人に思える。慌てて支度をしたのを隠そうとしているのか、はつらつとした笑顔は良いけど荒い鼻息で肩を上下させているのが気色悪い。そんなに気張らないでくれ、まるでこっちが食い物にされそうな勢いだぜ。
 観光客を相手にするには不向きな立地条件とはいえ、充分に雰囲気のある店だ。今さら他を捜す気にもならないし、この(看板のないレストラン)で食事をするのも一興じゃないか。家庭料理で庶民の味を知るなんて、滅多にない機会だ。



補足(後知恵)

日本からの観光客は年間2千人弱(ジャマイカの1/10)、ダンス留学生も多い

'95末 外国投資法が成立
公衆衛生、軍事、教育を除く全部門の国外資本の参入が緩和されたらしい
ホテル等は、国と海外資本の合弁企業
衛星放送TVと観光用TV
テロも麻薬もなく、インフラ設備が整っている
(ただしハバナ上下水道は老朽化していて使い物にならない)

両替・ブラック・マーケットについて
'937月市民のドル所持が解禁
'93に個人労働、自営法が承認された
(法律で認められている仕事に代わる、新たしい雇用を与えるため)
'95試験的に開始 国民がドルを所持する為にキューバ・ペソを両替する
レート
'94半ば 1USドル=130〜140ペソ
'95       =25〜30ペソ

土地の所有は、基本的に国のもの
使用権は農民や組合に
私有財産はある


参考資料:
「キューバ・ガイド キューバを知るための100のQ&A」著・カルメン・R・アルフォンソ・エルナンデス 訳・神代修、海風書房
「SERIES 地図を読む7 キューバへ カリブ楽園共和国探訪記」著・樋口聡(あきら) 批評社

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