レース越しの太陽が眩しい。キューバ2日目は、上天気で始まった。
数時間前までの夜更かしを思えば仮眠のようなものだったが、それでも旅先での緊張だか興奮だか目覚めも良好。
「おはよう、もうすぐイダルミとアイザックが来るから」
いつの間に段取りを付けたのか、トニーはすでに彼女たち2人分のスケート道具をバッグに詰めていた。早起きした気でいたけれど、すでに10amを回ろうとしている。
「でも朝ごはんは?」
「すぐにお昼なんだから。ちょっと我慢して、みんなで一緒に食べればいいじゃない?」
…ちぇっ、そこまで段取るか。
周囲の家並みは、日曜日だというのに閑散としていた。
ホテル前の車道に挟まれた緑道では子供が遊び、ベンチにはお年寄りが座っている。イダルミ達が来る前に、僕らはインライン・スケートの支度を始めた。滑りながら体の筋を伸ばしてゆくと、昨夜の踊り疲れが全身から染み出してくる。
木陰の向こうに、チビッ子のスケーターが見えた。僕は子供達からは目の届かない場所で、クルクルと円を描いて足を慣らす。コンクリートの散歩道は、アスファルトよりガタつきがなくて滑りやすい。
やがて、イダルミとアイザックが現れた。「グヮグヮ」で来たという。
「グヮグヮ」とは大型バスの呼称で、ハバナ中心部と郊外を結ぶ一般市民の足として活躍しているらしい。けん引するトレーラーの騒音が名前の由来だそうだ。僕も昨日、ベンツ・タクシーに乗っている時に見かけた。確かに喧しい。
早速みんなで滑ろうという事で、トニーがイダルミにスケート・シューズの着け方や立った時の姿勢を説明している。彼女ら2人は英語ペラペラだけど、トニーのほうがスペイン語を使いたいのかもしれない。
いやきっと彼のことだから、初スケートでガチガチになってる彼女を気遣ったのだろう。僕が最初の時も、いざ滑り出すと頭がパニックだった僕に日本語でコーチしてくれたっけ。
おそるおそる立ち上がったイダルミを支えている、アイザックのほうはチャレンジする気はないようだ。コツをつかんだイダルミは、アイザックの手を離して滑り出した。だけどまだ及び腰で、付き添って歩く彼も身構えたままだ。
すると向こうのチビッ子達が、僕らの声を聞き付けて集まってきた。最初は遠巻きに、そして少しづつ近寄ってくる。なぜか連中は僕に話しかけてくるけれど、とりあえずはトニーの対応を見て考えよう。
彼にも子供達がまとわりついて、話しかけながらバッグの中をのぞき込んだりしていた。トニーはイダルミ達を眺めつつ、一見ニコニコとチビッ子の相手をしているようだ。しかしそれはフェイクで、油断した子がバッグに手を入れようとする前に素早くブロックしている。
獲物に群がる野犬のように人数が増えて、さすがにピリピリしたオーラが噴き出てきた。その気配を察した子供が仲間を仕切り始め、僕を見上げて(違うの、見張り番だからね)と必死の眼差し。
横からは裸の少年が、熱弁を振るいながら僕に左手に触れてくる。振り払ってもあきらめず、まっすぐ見つめて手を伸ばしてくる。彼は本気で僕に頼んでいるのだが、この防具が君の何に役立つの?
これでは気が抜けないので、海沿いに移動する。車通りのない海岸道路を走って渡ると、チビッ子達は緑道の端で引き返して行った。分厚い堤防と車道の間にある、えんじ色のコーティングがされた幅い歩道だ。
防波堤は腰までの高さで、向こうにはカリブ海が見渡せる。波は穏やかだ。今日は朝から晴れているとはいえ、うす曇のような青空だ。降りそうな気配はないので、むしろちょうど良い位だ。ふいに雲が晴れ、照りつける太陽が灼熱の風を吹かせる。昨日のぐずついた空模様はどこへやら…真夏だ。
防波堤の上で戯れている若者達が見えた。彼らからは距離を置いて、トニーは歩道に荷物を降ろした。コーティングされた歩道は、スケートにうってつけだった。なめらかに滑れて、しかもデコボコや段差がない。
防波堤の上の少年達は、こちらの警戒心を察してか、すぐには近付いて来なかった。しかしトニーが誘いに乗って、うっかり言葉を交わしたのが呼び水になった。どこにこんなに潜んでいたのかと思うほどの人数が、まるで旧知の仲みたいに僕らを取り巻いた。
ほとんど全員が上半身裸で、白人系の若者や未成年に見えない奴らも混じっている。さりげなく離脱を試みてはいたが、すでに僕らは包囲網の中だった。知らず知らずに僕ら4人は孤立させられ、僕がトニーやイダルミ達を見ようとすると目線をブロックされるのだ。その純真な眼差しとは裏腹の見事な戦略、まさに多勢に無勢だった。
「離れるな、みんな固まれ!」
トニーの声が聞こえ、僕は少年をかき分けて合流する。僕らの周囲だけがラッシュ・アワー状態だ。アイザックは僕らの荷物を取られたりしないように、弱々しい笑みを浮かべて抱えて込んでいた。彼は物怖じしない少年達に当惑しながらもガールフレンドを守り、トラブルが起きないように気を配っているのだった。イイ奴だなぁ。
僕は(この少年達の言葉が判らなくて良かった)と思う。僕の耳は彼らの声を「やかましいノイズ」として無視することが出来るけど、アイザック達には聞こえているのだ。自分達の要求を「外人連れの同胞」に通訳させようとする、彼らの声が。アイザックとイダルミの目に、この少年達はどのように映っているのだろうか? 僕が二人の立場だったら…。
アイザックは微笑みを浮かべたまま、疲れたような悲しげな顔をしている。けれどイダルミは対照的にニコニコとして、なんだか少年達を弟のように思ってるみたいだ。僕は、ひたすら彼らを無視することで余裕を保ってはいた。昨日の客引き以来、僕は「キューバ人恐怖症」気味だった。
とりあえずスケート遊びはあきらめ、僕らは目配せで引き上げる。連中のほうはあきらめが悪く、何人かはホテル付近まで付きまとってきた。
2006年06月30日
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