2006年06月30日

 メキシコ旅情【ハバナ!前編・8 NGラ・バンダ】

 前座にしては長いステージが終わり、客電がついて休憩時間になった。いつの間にか超満員で、新しい席が次々と用意されてゆく。世間話で盛り上がる人々と、合間を立ち回るウェイター…有名人のパーティみたい、トイレに行くのも人込みをかき分けて大回りだ。
 客層は中年男性客と、若い女性客が目立つ。どこを向いても、肌を大きく露出させた鮮やかな色の曲線が。男性客はシャツかポロにスラックスで、色褪せたTシャツと短パンという格好は僕だけだ。もう少しまともな服も用意しておけば良かったかな。ところで化粧室はモデルルーム並みに清潔で、予想に反して落書きひとつなかった。

 再び、会場の音楽と照明が落ちる。
 立ち話をしていた人々は、着席するかと思えばステージ前に押し寄せて来た。前座バンドとは大違いで、始まる前から異様な熱気だ。柱の時計は、11時30分を指している。
 舞台上の暗がりに人影が集まってくるごとに、観客のボルテージが高まってゆく。音合わせのデタラメなフレーズが収束され、ステージ・ライトが全開になると瞬時にホール全体が沸騰した。
 大御所の登場だ! はちきれたように女性達が叫び、みんな弾かれたように踊り出した。出遅れた聴衆も前に集まり、僕らの席から舞台までの空間が一気にダンス・フロア化。もはや座っていては何も見えない、僕も席を立って芋洗い状態へ。ステージの上も下も、まるで午前8時の山の手線だ!
 こんな押し合いへしあいでも、みんな軽やかにステップを決めている。後ろを振り返ると、シャイな3人は相変わらず腰掛けていた。トニーは(自分はダンスが下手くそだ)と思い込んでいるから判らなくもないが、イダルミ&アイザック・ペアが平然としているのは意外だった。まぁ(キューバ人は誰もが陽気で踊り好き)なんて思っちゃいない、僕は2人に演奏に負けない大声で尋ねた。
「踊るのは好きじゃないのー?」
 アイザックは伏せ目がちに微笑して首を振り、イダルミが彼の肩に手をかけて笑った。彼が照れ屋なのかぁ。なら良いんだけど、席に着いているのはこのテーブルだけだ。
「でもさ、トニー。もう遅いから帰らない?」
 僕が腕時計を指さして言うと、彼は気乗りしなさそうな表情を見せた。僕としては存分に満喫したのだし、もう今夜は寝るだけで充分だった。
「いいじゃないの、せっかくなんだし。最後まで楽しみましょうよ!」
 意外にも、そう言って身を乗り出してきたのはイダルミのほうだった。見開いた黒い瞳を、いたずらっ子みたいにキラキラさせて。あらら、帰る潮時だと踏んだのに…そうなの?

 1時間も経たずにステージが終わった。
(あっけない終わり方だ)と思ったら予想通り、まだ最初のステージが終了しただけだった。さすが〈キューバNo.1バンド〉の名声はダテじゃない、休憩を挟んで3ステージぐらい続けるらしい。これだけ人気も実力もあるんだから、入れ替え制にしたって不思議じゃないのに。
 客もタフだよなー、誰も帰る気配がない。おそるべし、ダンス天国!
 でも最後まで付き合ったら明日がキツイなー、キューバの最終日は有意義に過ごしたいし…と頃合いを計っているうちに第2ラウンドに突入〜! またもやステージ前は人があふれ、こちらのテーブルをグイグイ圧迫してくる。
 よーく観察していると、ダンスが下手な人の見分けがつくようになってきた。面白い事に、踊れない男と踊れる女がペアになっている。外国人観光客、主に非ラテン系男性とセクシー系のキューバ女性だ。要するに(ダンスが下手でも平気で踊っている人が結構いる)っていう事で、僕も図々しく踊ってみる気になった。
 まずは椅子に腰掛けたままで、上手そうな人のステップを真似てみる。それでトニーに声をかけてみたら、意外にも彼はすんなり腰を上げた。言ってみるもんだな、ダンス嫌いでも座り疲れたか? アイザックは、また人懐っこそうに微笑んでいた。

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