ふとアイザックがもらした言葉に、イダルミが眼を輝かせた。
「彼がね、ダンス・ホールを勧めたらどうかって」
そりゃあ名案だ、僕らは喜んで彼の提案を受け入れた。
白タクは僕ら4人を暗い通りで降ろすと、さっさと走り去って行った。通りを動く気配は何もなく、点々と並んだ街灯が消えてたらゴースト・タウンだぜ…? 僕の脳内BGMは、歌曲「はげ山の一夜」。
十字路の角に、閉鎖された映画館みたいな建物が見える。華やかなネオンもなければポスターもないが、このダンス・ホールはキューバでも大変由緒ある所だそうだ。
「カサ・デ・ラ・ムジカ」…直訳すれば〈音楽の家〉か?
アイザックは、確か「今夜は、キューバでも最高のグループが出演する」と言っていた筈だ。この辛気臭さからは、とても想像できないけれど。もはや来ちゃった以上は行くしかない、他に行くあてもないし手段もないのだから。
ここでもUSドルしか使えず、申し訳なさそうな様子の2人に「気にしないで」とトニーがチケットを買う。奥にモギリのオバサンが立っていて、その投げやりな雰囲気からして絵に描いたような場末っぷり。
ホールに入る分厚いドアは閉ざされていたので、ロビーに併設されたレコード店で時間つぶし。青白い照明の、静かでガラス張りの小部屋だ。しかもレジの姉ちゃんしかいなくて、その視線がまた刺々しくて居心地悪いったらない。
この国では売れ筋かもしれないけれど、少なくとも僕が知っているようなロック系ではないカリビアンなジャケットばかり。今夜のメインは「エヌヘーラバンダ」というそうなので、カセット・テープで「NGラ・バンダ」の名前を見つけてレジに置く。
どうでも良い事だけど「G」を「ヘー」と発音すると、妙に間の抜けた語感に思えてしまう。実際、開演時刻に最初の客が来るようでは何が最高なのかと疑いたくもなる。人気? それとも実力? …アイザックの答えは、どちらも「Yes」だった。
カセット・テープなら、ビアネイ達のラジカセでカンクンに帰ってすぐに聴けるし、土産話のBGMにもちょうど良いだろう。それにしても収録曲が「リオ・スミダ」とか「ムラカミ・マンボ」とか、妙に日本的だな。まさか(勘違いオリエンタル)なコミック・バンドかと、一抹の不安が…。それでもいいや、ネタとして。何故かカナダ製で、安さ爆発の4USドル也。
そろそろ開演時間だ、ホールに入ろうとして(おや?)と思った。開け放された分厚い扉の、深紅の革張りに貼ってあったポスターが目に付いたのだ。モノクロ写真の男性が、やけに日本人的な顔立ちで…って、村上龍じゃん?!
そういえばキューバづいてるという話は何かで読んだな、一時期はキューバ音楽のプロモートまでやってたらしい。なるほど、噂はハッタリじゃなかったのね…。(1996当時)
フロア一面に、テーブルと椅子が散らばっている。どれもが、カンクンでおなじみの白いプラスチック製。広々とした会場に、客といえば僕らだけ…いや従業員も見当たらないな。舞台正面の席に案内されたは良いけれど、照明は僕らのテーブル真上のみ点灯。高い天井から降り積もる静寂、そして効き過ぎの冷房で身も心も寒々としてくる。
開演時間の8:30pmから1時間半を過ぎても、この深閑とした有様。逢ったばかりの4人で、そんなに間が持つ話題なんてないに決まっている。指先まで冷たくなって、たった一杯のコーラで何度もトイレに立っていた。
腹の虫も鳴き止んだ頃、やっと2番目の客が入って来て僕は(少なくとも日時を間違えてた訳ではないらしい)などと妙な安心感を覚えた。ようやくホールの客席が埋まってきたのは、なんと10時を回ってからだった。そして会場にBGMが流れ出したのは、更に小1時間して満席になった後。おそるべし、南国時間…。延々と待たされて、これでヘナチョコだったら座布団投げてやる(ないけどさ)。
やがて、客席の明かりが消えた。2時間ちょっと遅れで前座からスタート、結成20日くらいの若手らしい。とはいえラテン音楽だけに大所帯バンドで、ホーンに3人、キーボードが2人。その他にパーカッションで5,6人はいる。ドラムとベースが白人系で、それ以外のメンバーは褐色の男性だ。ベーシストがヤマハの黒いBBを弾いていて、いくら旧モデルとはいえ日本製とは意外だった。
1曲目はテナー・サックスを軸にした、コンテンポラリー・タッチのジャズを聴かせてくれた。とても急ごしらえとは信じ難い、タイトなアンサンブルだ。そのまま2曲目へ流れるようにつなぎ、ソデから男性ボーカルが登場する。
短髪で、いかにもジャズ・シンガーといった古風な出で立ちだ。きゅうくつそうなダブルのジャケットは細かいハウンド・トゥース柄、白い襟は大きく上に出している。黒いエナメル靴に、ゆったりした黒のパンツ…あれがいわゆる(マンボ・ズボン)なのかな。
彼の横に並んだ2人の女性コーラス兼ダンサーが、歯切れの良いステップを刻み出した。白いハイ・ソックスに黒っぽいギャザー・スカート、メンズっぽいシャツをはおってレジメンのタイを締めている。複雑なラテンのリズムを、軽やかにキレのある動きで乗りこなす。振り付けが完璧にシンクロしてる!
ベースがまた良いのだ。無駄がなく、パーカッシブでいて唄っているベース。エレキ・ピアノの、絶妙に切り込んでくるオブリガードも心をくすぐる。どの音もスキがなく絡み合い、なおかつお互いにフェイントかまし合っているような緊迫したリラックス感!
もう体中の血が逆流し、毛穴が一気に開いた。ステージ・ライトも激しく点滅し、僕の体は音の渦にもみくちゃにされて揺れる。前座にしてこのレベルとは、しかも組んで1ヶ月も経ってないって?! 思わず席から立ち上がろうとして…あれ?
何気なく後ろを振り向くと、誰も盛り上がってなかった。勢いを削がれた僕は、同時に頭の中が疑問符でいっぱいになってしまう。著名なダンス・ホールだからって、黙って静かに鑑賞するのがマナーなのか…そりゃヘンだよなぁ〜? でもやっぱり、最前列で下手な踊りを晒す勇気はない。
聴衆も曲が終わるごとに拍手で応えているし、プレイヤー自身が演奏を楽しんでいる。それなのに、観客のボルテージが音の熱気に見合ってないじゃん…。それとも、まさか僕だけ沸点が高いのか?
やがてステージ脇から、オジサンに伴われて女性ボーカルが登場する。客席、一斉に大拍手。なんだなんだ、みんなオジサンのほうに声援を送っているけど…ステージ衣装じゃないから、支配人か有名プロデューサー?
そのオジサンと男性歌手が引っ込み、女性ボーカルでミディアム・ナンバーを1曲。モータウン時代のダイアナ・ロスを思わせる、白いフリンジだらけのワンピース。小柄でナイス・プロポーションの彼女と両脇に立つスクール・ガールズは、楽しげに目配せしながら動きには寸分の乱れもない。
再び男性が加わって、4人フロントで最後まで唄い踊り続けた。「小ダイアナ・ロス&スクール・ガールズ」の白い衣装が、小麦色の素肌に映える。カラフルなステージ・ライトに染め変えられ、右ステップ、左ステップ、ジャンプしてターンして腕を拡げ、手をかざし…。
2006年06月30日
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