僕らは古い町並みからさまよい出て、まだレストランを見つけられずにいた。薄曇りの空が、ますます暗くなってくる…なーんか気分まで滅入るなぁ。
車道には、中古アメ車のオンパレードだ。路肩はギッチリ路上駐車、道幅も狭くてカンクンとは大違い。交通量も多く、四方八方からクラクション。思わず(事故か?)とキョロキョロしちゃうが、どうやら単に渋滞のストレスを発散するため「プップー」とやってるようだ。
歩道はやっと2人が通れる幅で、入り乱れる観光客の流れを泳ぐようにトニーを追いかける。その混雑に拍車を掛けるのが、やたらに多い客引きの若者だ。ほっそりした、黒人ふうな顔立ちの青年たち。
「アミーゴ、どこにいくんだい?」
「タクシーに乗らないか?」
ひっきりなしに「チーノ[中国人]!」と間違われ、いちいち「ハポネス!」と訂正すれば「そうか、じゃあリッチなんだな」ってさぁ…。見りゃ分かるだろ、金持ちがこんな格好しねーっての!
カンクンの客引きは「ノ・グラシアス」の一言で済んでいたのに、ここじゃあ「ノ・エンティエンド[解りません]」でも引き下がらない。無視したところで、一方的に「自分の知りあいがどうだ」とか「安くて得する話だ」と足止めにかかる。しまいには仲間を集めて、数人がかりでカモろうとする始末。
「おーい、トニー。待ってくれよ!」
「そいつらに構うな」
違うってば、薄情者め。
彼らは「ヒューイッ」と片手で指笛を吹いて、離れた場所の知り合いに合図する。それはなかなかカッコ良いけれど、うっかり振り返ると目ざとく寄ってきちまう。口笛で僕を呼び止めようとする奴までいて、反応しないよう気を張ってるうちに肩が凝ってきた。
ついに小雨が降り出して、ハバナ初日からツイてない。クラクションの喧噪と排気ガスの臭いで、ネズミ色に濡れた街が余計に息苦しく感じられる。都会の嫌な面ばかりが鼻に付くようだ、サングラス越しの街並みは何もかもセピア色。車も建築物も道路の感じも使い古されて、外国の古いTVドラマみたい…。そう思ったら少し可笑しくなった。
通りの向かい側にある寂れた映画館は、ポスターも何もないから廃業したように見える。でもアメリカの古いシアターみたいなファサードには、ビル・ボードの文字が(マルクス兄弟を上映中)って…ウソだろ〜!?
グラサンが雨と人いきれで、拭いたそばから曇ってくる。すごい湿度だ。
結局、食事はどうってことない外人向けの店で済ませた。トニーも僕も(安く食べさせる地元の食堂)みたいな所に行きたかったが、もう日本のファミレス並みの料理だろうが構ってはいられいほど空腹だったのだ。
その店の隣はブランド品を扱っていて、昼間から毒々しい格好をした女性が出入りしていた。明らかにキューバ人の、いかにも娼婦な彼女たちが肩に掛けたハンドバッグに一目瞭然の紋所が輝く。他に地元の客はなく、海外渡航者然とした白人の姿がちらほら。
その店は全面ガラス張りなのに、びっちりと各種一流ブランドのポスターで店内の様子を隠している。ドアのすき間から見た印象は日本の格安店で、すべて箱のまま山積みしていた。外観のポスターからして統一性がなく、アディダスとディオールとフェンディが肩を並べてブランド・イメージまるで無視。
早めにホテルへ引き上げ、待ちに待った風呂に入ろう。高級ホテルの小生意気さは虫が好かないが、何といってもバス・ルームの充実ぶりは文句の付けようがない。広い窓の向こうに、カリブ海の夕景が見えた。
「その前に、ちょっとスケートしないか?」
トニーが言った。まったり気分なんだけど、風呂でさっぱりする前にひとっ走りも悪かないな。荷物の底からインライン・スケートを引っぱり出し、部屋から履いていこうとする僕をトニーが慌てて引き止めた。
「マズいよ! 仮にもここは一流ホテルなんだから…」
はいはい。スケート・シューズを靴紐で肩に掛け、エレベーターに乗る。2階で降りて、倍の高さはありそうなエスカレーターでフロント前へ。こういう大仰な仕掛けはオーナーの自己満足だな、豪奢なシャンデリアとか。
「よっしゃぁー、行くぜいっ!」
車寄せの下で準備を整え、威勢よく滑り出して歩道のひび割れにつまずいた。カンクン以上にガタガタの歩道で、トロトロ走っていると却って転びそうになる。海岸通りは防波堤を越える波に洗われてビシャビシャだ、濡れた路面ではスリップするので内陸寄りを市街方向に走った。
先行するトニーを追って加速するものの、所々に出来た水溜まりを植え込みの影と見間違えて足を取られる。いつの間にか陽は落ちて、すでに足元は真っ暗だった。やっと外灯で照らされた場所でトニーに追いついた。
「この公園には、ヘミングウェイの像が立ってるんだって」
少し先には、グラン・パパの記念碑だか何かがあるという。海に面した緑地帯を遠巻きに囲むビル群が、わずかな夕日の残照に映えている。トニーの指さすほうに白いものが建っているが、公衆便所か小さな灯台か判然としない。
「工事中なんだね」
遠目にも、それが見学できない事が見てとれた。僕も学生時代には好んでヘミングウェイの短編を読んだものだから少し残念な気はしたが、史跡名所を巡る「観光」をするのは得意じゃない。それに今は、まっすぐホテルに帰って休みたかった。歩道を回れ右して、今度は僕が先頭に立った。
トニーが後ろから何か言っているので、何かと思えば車道のまんなかで大きな看板を指して手招きをしている。
「何してんだ、危ないよトニー!」
そこにはアメリカを風刺した絵と、ポップな字体でスペイン語のスローガンが踊っていた。カストロ議長はともかく、星条旗をまとった男がレーガンだとはトニーの解説がないと判らなかった。それにしても古いなぁ、いつ描かれたんだろう。
きっとレーガノミックス時代は冷え切っていたのだろうが、現状はホテル・コイーバでMTVのビデオ・クリップが観られる。今や社会主義のキューバでも、スマッシング・パンプキンズがリアル・タイムで流れるのだ(1996,10/12)。
だからといってキューバ全土をCATVが網羅している訳ではなかろう、でなけりゃ首都の目抜き通りに「喜劇王・マルクス兄弟」の白黒映画を持ち込んで採算が取れる訳がない。表向きは外交断絶しながらも、資本主義に侵食されつつあるのだ。イデオロギーの手前で悶々として、ねじれながらも外貨は欲しい…という感じか。
USドルしか使えない海外渡航者を相手に、一般市民が無認可で商売しているという。これは憶測だけど、こっそりドル製品が流通しているのだろう。市街では、ドアを黒くした店に一般市民が出入りしているのを見かけた。街を歩いていても、そんな外的資本の気配がある。
だけどその一方で国威発揚のスローガンを掲げ続けているのが、如何にも社会主義らしくって健気にも思える。
「ねぇ、これをバックに写真を撮ろうよ!」
「トニー、もう暗いから明日にしようね」
あーもう、早く帰ろうよ!
補足(後知恵)
両替・ブラック・マーケットについて
'937月市民のドル所持が解禁
'93に個人労働、自営法が承認された
(法律で認められている仕事に代わる、新たしい雇用を与えるため)
'95試験的に開始 国民がドルを所持する為にキューバ・ペソを両替する
レート
'94半ば 1USドル=130〜140ペソ
'95 =25〜30ペソ
トニーと写真を撮った看板は、マレコン通りアメリカ合衆国利益代表部前に立つ
「帝国主義の皆さん、我々はあなた方を全然恐れてはいません」
参考資料:
「キューバ・ガイド キューバを知るための100のQ&A」著・カルメン・R・アルフォンソ・エルナンデス 訳・神代修、海風書房
「SERIES 地図を読む7 キューバへ カリブ楽園共和国探訪記」著・樋口聡(あきら) 批評社
2006年06月30日
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