2006年06月30日

 メキシコ旅情【ハバナ!前編・4 キューバについて】

 キューバの女性は格別に魅力的だ、という。…まぁ一般論として。
「残念ながら、巨乳ファンの期待には添えないがね」と、トニー。
 すらりキュッとした肢体に小顔(死語か?)、彫りの深い目鼻立ちと豊かな腰回り。白人と黒人の優れた特徴が、絶妙に〈ブレンド〉された女性達のプロポーション。しかしながらそれは、サトウキビ生産のために多くの黒人が労働力として〈輸入〉された歴史の産物でもあった。農奴として所有されていた女性達に好き勝手しまくった、いわゆる男の性の愚かしさは同性として情けなく思う。もちろんそれは、社会主義国家として冷遇を受けるよりもずっと前の話。
 メキシコの大多数を占める「メスチーソ」も、インディオと白人の混血だ。それにもかかわらず世界の男性たちから、キューバ女性ほどの称賛を浴びてはいない。ヤられた事は同じなのに…というか、キューバには先住のインディオはいなかったのだろうか? やはり彼らは、キューバでもマイノリティなのだろうか。
 キューバに関して、僕が知っていること。
 有名な葉巻の産地で野球チームが強く、カストロ議長とチェ・ゲバラ…そんなところか。何も知らないようなものだ。僕は「メキシコについて」だって語るほどの知識は無いが、キューバは突然のオマケ旅行なので予備知識を仕入れてもいない。それでも旅は続く。気楽に構えていこう。そのキューバ女性にだって、もうすぐ逢えることになっている。
 現地に着いたら、先ず連絡を取る相手がいた。ハバナ近郊に住んでいる筈の、ビアネイの友人だった。

「しばらく連絡を取っていないから、引っ越しているかも知れないけど」
 ビアネイがそう言って前の晩にくれた、1枚のメモが頼りだ。その女性はイダルミという名前で、ビアネイとは元ルーム・メイトの間柄だという。2人ともなぜか、ベリーズの学校に通っていたらしい。ベリーズ。
 多分、知らない人のほうが多いだろう。僕だって、かろうじて名前を知っているだけの国だ。四国程度の国土面積を持ち、中南米では珍しく政情が安定している若い国。メキシコとはユカタン半島の付け根で国境を接しているが、政策的な経緯の違いから黒人が多いらしい。英語を公用語に定めている点でも、また距離的にもジャマイカに近い。そのせいか、レゲエとお祭りが大好きな人々が住んでいるそうだ。
 それだからって、わざわざ外国で英語を習うかなぁ〜?
 昨夜ビアネイがくれたポスト・カードに、上空から見たカリブ海の青い円が写っていた。それは「ブルー・ホール」と呼ばれるダイビング・ポイントで、石灰質の海底が円形に陥没して出来た巨大な穴だった。他には世界第2の規模のバリア・リーフでも知られていて、観光地化が進んでいないマヤ遺跡や広大な野生保護区が密かな人気を集めているとか。
 いつか行ってみたいものだ、ビアネイもお勧めだと言ってたし。

 僕らの泊まる「ホテル・コイーバ」は、キューバでも新しい高層ホテルだった。
 中心地オールド・ハバナ[旧市街]からは離れているものの、グランド・フロアには有名な一流ブランドの店がひしめいている。この位ならハワイイやグアムあたりにゴロゴロしてるが、何といっても豪快な眺望はコイーバならでは! と断言しても差し支えないだろう。目の前にカリブ海と、スラム街…。
 これは凄まじい絶景だなー、カーテンを開けた時は絶句してしまった。運悪く空がどんより曇っていたせいもあろうけど、薄暗いトーンに沈み込んだ街は廃墟さながらの光景。カリブ海もまた、カンクンの透き通ったブルーではない深みがある。防波堤を乗り越えて打ち寄せる荒波は、とても常夏の国というより陰鬱な北海だ。
Havana_downtown




 チェック・イン早々、トニーはイダルミに電話をかけた。地元に知り合いがいる、というのは心強い。メキシコにいて実感したが、美味い店、穴場に修羅場、危険なエリア、面白い体験などなど…それは土地の事情を知る友人がいなければあり得なかったもんね。
 だが、あいにくイダルミとは連絡がつかないようだった。
「こうしていても、埒があかない。先に何か食べよう」
 そうこなくっちゃ、朝食から何も口にしていなかったのだ。着いて早々、休む間もなく部屋を後にしてエレベーターに向かう。ロビーには、高い天井からジャラジャラした馬鹿でかいシャンデリアが下がっていた。こういう社交界然とした悪趣味さは、およそ僕らに似つかわしくない。 玄関を出た外には本物の光があり、この街の現実がある。ガタガタにひび割れた歩道、ほこりっぽい空気、黒い肌の子供たち…。虚飾の夢が覚めるように、ホテルに漂っていた倦怠も消し飛ぶ。
 玄関前に横付けされたベンツ、このタクシーはホテルと契約して車寄せを使っているに違いない。きっと近くに、別な車が客待ちしている筈だ。だけど周囲は閑散としていて、仕方がないのでホテルに戻ってベンツに乗る。値段は組合料金だとかで、交渉は出来ない決まりになっているらしい。白髪の白人運転手が、嫌な顔もせずにそう言った。
 この車の料金メーターが、唯一のタクシーらしさを感じさせる。デジタル表示の隅っこに、USドルであることが示されている。この国で外国人が使えるのはキューバ・ペソではなく、USドルに限られるのだ。同じ$表記ではあれど、アメリカとは今も国交断絶しているのに。

 思わずウトウトしかけていると、目的地についてしまった。
 ホテル・コイーバから10分程度だったろうか、オールド・ハバナでタクシーを降りた。歴史を感じさせる石造りの建物、その路地を入ると賑わう市場に出た。といっても大聖堂らしき建造物の前で、民芸品の露店が並んでいるだけの広場だ。今日が縁日なのか不明だけれど、きっと観光客相手に毎日やっているのだと思う。ヤシの実の人形とかボンゴとかいった、いかにも素朴なオミヤゲ中心。
 空は雲が多く、陽が射したり陰ったりしている。トニーに付きあって、彼の後ろから一通り見てまわった。売り手は何もせずに座っている割に目付きが鋭いので気味が悪く、立ち止まらずに通過する。一軒ぐらい南国の果物をジュースにしている店なんかがありそうなものだが、残念な事にそういう飲食を扱う屋台はひとつもなかった。
 大聖堂は、外壁の補修工事をしていた。門は閉じられていて、内部を見学できないのは惜しい。広場を囲む建物は、どれもスペイン植民地時代の名残を留めていた。オールド・ハバナは、こういった風情ある町並みが多く残されている人気エリアだという。首都機能は、近接するハバナ・シティに移されている。
 広場から離れるとすぐに人だかりが見えた。路地に面した、レストランらしき店だ。外国人観光客が通りにまであふれ出して、店内の様子はまったく判らない。まさか、ここが作家ヘミングウェイゆかりのバーだなんて知る由もなかった。一番奥には、彼の指定席が残されているのだそうだ。
 とにかく今は、観光よりも食事が先だ。頭の中は、そのことだけしかなかった。




補足(後知恵)

キューバの国土面積は日本の1/3、人口は1/10
日本からの観光客は年間2千人弱(ジャマイカの1/10)、ダンス留学生も多い
キューバ人は一生に3〜4度は結婚と離婚を繰り返す
奴隷制度は19世紀末に廃止
革命から40年、今も黒人差別は残っている
それ以前はどん底だったが、今は世界で最も差別の少ない国

アメリカとは1819世紀後半より不仲
国交断絶、1959カストロ革命より単一政党政治に
トリセリ法('92父ブッシュ署名)対キューバ経済封鎖
'94アメリカ在住キューバ人の旅行と金の送付を制限
'96ヘルムズ=バートン法 キューバ孤立外交政策

'95末 外国投資法が成立(キューバ)
公衆衛生、軍事、教育を除く全部門の国外資本の参入が緩和されたらしい
ホテル等は、国と海外資本の合弁企業
衛星放送TVと観光用TV
テロも麻薬もなく、インフラ設備が整っている
(ただしハバナ上下水道は老朽化していて使い物にならない)

ラ・ボデギータ・デル・メディオ(キューバ料理レストラン)
ヘミングウェイは、この店でエル・モヒートというカクテルをオーダーしていたとか
政治・科学者、画家、詩人など壁じゅうに写真が

参考資料:
「キューバ・ガイド キューバを知るための100のQ&A」著・カルメン・R・アルフォンソ・エルナンデス 訳・神代修、海風書房
「SERIES 地図を読む7 キューバへ カリブ楽園共和国探訪記」著・樋口聡(あきら) 批評社

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