滑走路を歩いていると、アスファルトの反射熱で脳みそが溶けそうだ。
目指す先に駐機している、その尾翼のマークと手にしたチケットを見比べる。エアロ・ガビオータ…間違いない、あのプロペラ機だ。その、小さなお尻の辺りがガバッと開いてタラップになっている。すげぇーなぁ、こういう飛行機に乗れるなんて!
そういえば、こうやって「後乗り」する飛行機に憧れたっけなぁ。戦争映画でしか見たことなかったもん、ちょっと形は違っているけど(サンド・マン)と呼ばれていた補給機に似ている。しかし実際に真下から見上げると、恐竜の体内を探検するような気分だ。
機内は思ってたより狭く、20席程度しかない。それに後ろの右側は荷物置き場、というか旅行バッグを床に積み上げてネットを被せただけじゃん…。エドベンの車みたく飾りっ気がない、これでも旅客機? って感じ。左側は2座席×5列、右側は3列程度だった。通路正面に鉄板の扉、この奥は直接コックピットなのだと思う。トイレはなさそうだし、全席自由でリクライニングもサイド・テーブルもない。
「替わろうか?」
窓際のトニーに、僕は「平気だよ」と答えた。深紅色の厚いカーテンを持ち上げると、船倉のような丸窓から主翼のプロペラ・エンジンが見える。後ろのタラップが閉じられ、エンジン音が高まってゆく。そして午前11時30分、カンクン空港を飛び立った。
可愛らしい飛行機だと思っていたが、いざ動き出したらそれが心配になってきた。
「これ、大丈夫なのかね…」
僕の言葉は轟音に呑み込まれ、自分の耳にも届かない。機体をギシギシと鳴らしながら、やっとの思いで離陸してゆく。まるで(よっこいしょ、よっこいしょ)と見えない階段をよじ登っているみたい。水平飛行に移ると、声にならない安堵の吐息が全員の口からもれてきた。
ここまできたら不安がっていても仕様がない、覚悟を決めて楽に行こう。トニーを見ると、落ち着き払って本を読み始めていた。旅馴れた人は、さすがに余裕があるものだ。
「何を読んでるの〜?!」
「…聞こえないよー?!」
すぐ横で絶叫してるのに、爆音にかき消されてしまう。彼はガイドブックに目を通していたが、細かな英字で写真ひとつないので面白くない。することがないし眠りたかったけど、やかましすぎるし揺れも激しかった。
丸い窓の外は海と空、主翼が上下に羽ばたきしてやがる…。多少は気圧が保たれているのだろうが、冷たい隙間風が吹き込んでくる。まさに「板コ一枚、海の上」ならぬ、雲の上だな。明らかに(高度何千メートルの空中を飛んでいる)という生々しい感触、気分は空挺部隊だった。
やがて着陸態勢に入ると、鉄板越しの操縦席から緊張感が伝わってきた。ここ一番の正念場だ、焦るなよ落ち着いて…思わず目を閉じて祈る。いきなり成功とも失敗ともつかない衝撃に突き上げられ、ゆっくりとスピードが下がり始めると、機内は乗客全員の喝采に包まれた。この生死を分かち合ったような、何ともいえない一体感!
タラップを降りてゆくと、地上ではクルーが整列していた。僕らを見上げて、両側から笑顔と拍手で迎えてくれる。こういうアットホームさに、僕は(やっぱり人だよなぁー)と改めて思う。乗り心地を補って余りあるもてなし方に、僕はクルー全員に礼を述べながら足を着けた。
キューバだ!
ハバナ空港は、やたらシンプルだった。滑走路もそうだけど、何よりも建物が箱なのだ。ガラス戸を押し開けると、20m程前方が仕切られているだけ。それも芝居用のセットみたいで、本当はどうだっていいのだろう。意味なく高い天井の下、風呂屋の番台みたいな税関の先にキューバ国内が見通せる。
僕は、トニーの後から審査を受けた。恐い顔付きをした係員のオッサンが黙って書類を見つめ、しばらく間を置いて僕に質問をした。
「職業は?」
非常に聞き取りにくい英語だが、係官のほうも僕の発音じゃ理解できないのか。
「だからさ、ナッシングだってば」
互いに苛立ってきて、同じ言葉を連呼し続け話が進まない。しびれを切らした係官が僕を小部屋に連れ込む寸前、トニーが説得に飛び込んできた。
「この日本人は失業したばかりですが、次の仕事は決まっていますので…」
今にも怒り出しそうな係官たちに、彼は辻褄あわせをでっち上げる。おかげで僕は、何事もなく通過できた。ありがたいと感謝してはいるが、理由は何であれ嘘は良くないんじゃないのかなぁ〜? そんな僕の発言に、彼は(判ってないな)という顔をした。
「あのねー、無職と言って税関の審査を通してくれると思うなよ」
そう言われても…だって、それが事実じゃん。そう僕が言うより早く、トニーは言葉を付け加えた。
「無職の人間が入国しようとしたら、普通はこう考えるだろうよ」
・不法就労しようとしている
・人に言えない職業に就いている
・何かの病気にかかっている
「…つまり君の意見がどうであれ、今の一件で分かっただろ?」
日本以外の国では、フリーターなんて言っても通用しないのだ。たとえ大金持ちだろうと、僕の年齢で職業を持たない事は考えられない。
「悪かったよ。トニーの言うとおりだね」
確かにそれが健全な認識というものだ、そういう意識を今まで持ったことが無かったけど…。意気消沈する僕に、彼は「君が悪い訳じゃないよ」と肩を叩いた。
「ただ、覚えておいて欲しかったんだ」
「ともかくハバナ市街に出よう」
ロビーの外には、メルセデス・ベンツが並んでいた。これ全部タクシーだ、と聞いてビックリ。ブルー・グレーの制服を着込んだ運転手たちが、次々に旅行者たちに群がっている。他の観光客なんて、スーツケースを持っていかれそうな勢いだ。よく見ると、50年代の古いアメ車も何台か混ざっている。
いつの間に交渉したのか、トニーが僕を呼んでいた。ありゃりゃー、日本車? とにかく出発、ガツガツ客引きしている空気には馴染めない。
左ハンドル仕様でも内装など日本車独特で、ハンドルの切れ具合やサスペンションの感触に懐かしさを覚える。日本では気にも留めない事なのに、エンジンやギアの音からも直感的に感じ取れるから不思議だ。
道幅は広くはないけど、中央分離帯を挟んで上下2車線ある。平坦で見通しが良く、車はほとんど走っていない。濃い緑は雨上がりの鮮やかな色で、空気も湿り気を帯びていて暑過ぎず快適だ。森林はカンクンよりも文字通りジャングルの様相を呈しているが、景色が開けると道に沿って家々が建ち並びはじめた。人も自転車も目立つようになり、元気に遊んでいる子供たちを見て妙に嬉しくなる。やっぱり子供はこうでなくちゃ。
対向車線を、オリーブ色の軍用車が走り去る。それがジープやトラックだけならまだしも、ロケット・ランチャーまで公道を走っているのには恐れ入った。しまいにはミサイルを積んだ超特大トレーラーが、野中の一本道を揺られて行く始末。(中米危機か?!)と、ギクリとする。でも誰も気にしていない。
次第に緑が減って、鉄筋の建物がそこかしこに現れた。壁面にチェ・ゲバラの肖像が描かれたビルを見て、つくづく(遠い国に来たんだなぁー)と思う。
自分が今、社会主義国家キューバにいるのだと感じた瞬間だった。
2006年06月30日
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