2006年09月15日

 メキシコ旅情【ハバナ!後編・9 ハンバーガーの聖者】

 気が付けば、真夜中過ぎだった。目を閉じてから、まだ5分と経っていない感じがする。目が覚めたのは無理な姿勢が辛くなったせいだ、再び椅子を並べ直して姿勢を変えたが…。もういけなかった、寝る気満々なのに眠れない。それでも執拗に(眠りの穴)に潜り込もうと焦る。
 突然、部屋の電話が鳴り響いた。頭に来て速攻で切る。何時だと思ってやがるんだ?
 しばらくして、また鳴った。それは間違い電話なんかではなく、明らかにモーニングコールだった。目を開けると、窓の外から淡いブルーの光が差し込んでいた。夜が明けてしまったのだ。
(冗談じゃない、何でオレが先に起こされなきゃいけないんだ!?)
 しかし電話が止んだら今度はドアのノックが激しくなり、さすがのトニーも跳び起きた。
「おい朝だぞ、早く起きろ!」
…くそ!

「私は何度も起こしたのよ、電話を掛けてもドアを叩いても…」
 小うるさい女主人の声に追われるように、手早く身支度を整える。
 女性から親身になって(やきもき)してもらう、それはくすぐったく照れ臭いものだな。案外と僕もまた、そういう男だったのだなぁ。いい年をして、手のかかる子供みたいな甘ったれ野郎。情けない反面、久しぶりの(微かな幸せ)が快い。気丈夫なマダムに繰り返し礼を述べて、名残惜しい宿を後にする。機会があったら、是非ここで暮らしてみたい…無理だろうけど。
 今度こそ、おさらばだ。アディオス・キューバ!

 気持ちばかりが急いてしまう。宿を出たのは8時だったが、時間には余裕があった。これで帰れなかったら本当にアウトだ、いや今日こそは何をしたって飛行機に乗るもんね。ともかく、また昨日の係官と揉める前に滑り込みたい。
 空港はガラ空きで、搭乗手続きも無事に通過する。まずはひと安心。入国時に比べたら、出国審査なんて無いも等しいものだった。あとは搭乗時間まで、何もする事がない。やたらに高い丸天井の下、無意味に広い待合所で過ごすのだ。空港の建物は(だだっ広い駅舎)を想像させる、出入り口の両方から10m以内に改札が設けられた空洞だ。
 暇つぶしに、片隅にあるイミグレ[税関]の売店をのぞく。この店のほうが、ハバナ市街よりも手頃な土産が揃っていた。
「ポルファボール」
 何度も声を掛けたけど一向に返事がないので「オイガ」と呼びかけ、トニーにたしなめられた。
「その言葉は、使ったらまずいョ!」
 でもほら、やっと出てきやがった。思ってた通り、若いのに愛想のかけらも知らない女だ。
「だって、丁寧な言葉でも完全に無視してたでしょ。」
 僕が日本語で言い訳すると、彼も日本語で言い返してきた。
「それでも良くないョ、それはケンカする時の言い方になるから。」
 丁寧な言葉でないこと位は知っていたさ、だから今まで一度も使った試しがない。
「どうして、そんな問題ばかり起こそうとする!?」
「…はいはい、僕が悪かったよ!」
 絵ハガキを選びながら、何げない調子で口論を続ける。
「ここは、よその国でしょ。そういう態度は良くないョ。」
「OK。これまで使ってないし、もう使わない。」
 ピッツァを買った時のキューバ・ペソで、絵ハガキを買う。値段が判らないので小銭を店員の手に空けると、そのまま彼女は奥に引っ込んでしまった。偶然にもピッタリの金額だったのだろう。
 記念に数枚ぐらい残しておけば良かったが、気付いた時には後の祭りだった。

 ベンチに座って、搭乗を待つ。
「腹減ったね、トニー。ハンバーガーが恋しいよ」
「カンクンに着いたら速攻でバーガーキングに行こう」
「それは良いね、ハラペーニョてんこ盛りにしてさぁー!」
…うぅっ、考えるだけで口の中に唾が溜まる。
 そんなことを言っていると、どこから現れたのか若い男が目の前に立っていた。彼はニコニコと人の良さそうな笑顔で、何も言わずに僕の手を取り銀色の包み紙を乗せた。それは柔らかくて温かく、まるでハンバーガーみたいな…ってまさか、そんな筈ないよね?!
(話を聞かれていたのか)と思うと恥ずかしくて、そして突然の成り行きに訳が分からなくなった。とにかく慌てて辞退するが、彼は慈愛のこもった眼差しで頷きかけるばかりで受け取ろうとしない。押し問答に詰まった僕は、つい手のひらの包みをめくってみた。立ちのぼる、めくるめく香り…やっぱり!! でも一体どういう事だ?!
 この青年に疑わしい素振りは感じられなかったし、ここで僕らをハメる理由も考えつかなかった。美味しそうな匂いに堪らなくなって、僕は好意に甘んじて有り難く頂戴する。すると、若者は嬉しそうに手を振って立ち去っていった。クゥーッ、感動。カッコ良さ過ぎ〜!
 彼の後ろ姿を見送りながら、思わずハンバーガーを持ったままで合掌。神はいる、そう僕は実感した。救いの手は、いつもどこかにあるのだと。
 最後に出逢ったキューバの人が、貴方で良かった…。と、ここで終われば僕らも少しはカッコがつく気もするが、一応オチがあった。拝むようにしてハンバーガーの紙包みを開くと、キューバ風バーガーはクッタリした貧相なツナ・マフィンだったのだ。なぁんだ、ガッカリ。
 でもそれはそれで半分こして、2人でパクッと胃袋に収めた。
 その美味さに、思わず泣けてきた。

 帰りの便はエアロ・ガビオータではなく、クバーナ航空のマークが尾翼に記されていた。
 念のため、僕は手元のボーディング・パスを見る。便所紙のようなペラペラだけど、確かにクバーナのロゴが印刷されていた。座席番号が無いのは分かるけど、行き先と便名だけが殴り書きされていて出発時刻の記載がないのは腹が立つ。航空会社からして、真剣に運行しようとなどと思ってもいないんじゃないか?
 正味2時間あまりのフライトで、トニーと僕はカンクン国際空港に降り立った。機内での記憶はなく、おそらく爆睡していたものと思われる。でなければ、宇宙人に連行されていたのであろう。何も覚えていない。

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