ここを左に行けば、今度こそ目指す大学窓口…なのだろうか。交差点までのゴースト・タウンのような閑散とした空気が、奥に進むほど人があふれ賑わっていく。期待して良いものか、それより自分の喉が渇き切っている事さえ感じなくなっている。朝から何も食べてないし、汗でベトベト足取りはフラフラだ。
待てよ、キューバに来てから四六時中こうじゃないか?
歩行者天国のように車道を歩き回る人を避けながら進む、車とサイドカーのクラクションとエンジンの音。ひっきりなしにバスが出入りする駐車場の前で、黒煙をまともに浴びて口を手で塞いだ。
(二つ目の交差点を左に曲がってすぐ)という説明が正しければ、この建物だろう。目星をつけた雑居ビルは、キャンパスの雰囲気と大違いの薄汚い印象。大学の敷地からは離れているし、またも疑念がわき起こる。どうやらトニーも同じ気持ちらしく、2人して足が止まった。
狭い出入り口からは、若い男女が引っ切りなしに出入りしている。明らかに外国人の僕らを見て、あけすけにジロジロ眺めてゆく。開け放されたガラス戸を透かして、通路に並べられたテーブルが見えた。
「とりあえず、あそこで訊いてみたら?」
僕は、やんわりとトニーを促した。そこに座っている白髪の女性は厳しそうな表情を浮かべているが、横にいるのは若いキューバ美人だ。彼が熱心に話すと、最初は眉をひそめていた老婦人も理解を示してくれたようだ。階段を上がって4階へ行くようにと言われ、トニーは何度も頭を下げた。
ついに辿り着いた! と感慨に浸る間もなく、ちゃっかりキューバ美人と写真を撮ってるし…。こういうのを、転んでもタダでは起きないっていうんだよなー?
以前、トニーとエドベンで(ハバナにアイスクリームの店を開こう)と考えていたらしい。なにしろキューバは社会主義国家、信じ難い発想だ。最初っから議論の余地すらないと決め付けてる僕とは、そこが彼達との大きな違いだろう。
しかし現実問題としては、開始するまでの莫大な設備投資や、採算の目処が立てられない等の理由から見送られたらしい。しかし、この目でキューバという国を見ていると(誰が手を着けるかは時間の問題だ)と思えないでもなかった。今はまだ模索している段階なのかも知れないが、それでも本音と建前の間で手探りをしながら外国資本との妥協点を見いだそうとしている…そんな気配が感じられる。
そして今、トニーは本気でハバナ大学への留学を検討していた。
「アカデミックにスペイン語を習得したい」
僕から改めて言うまでもないと思ったが、しかしキューバとアメリカとは基本的に今も犬猿の仲だ。
「君はアメリカ人だから、無理なんじゃないの」
僕の忠告に、彼は質問で応えた。
「世界で一番話されているのは、何語だか知ってる?」
彼は今後、アメリカ国内でのヒスパニック人口増加をも視野に入れていた。今後スペイン語はますます重要になってくるから、それをきちんと教えられる教師が求められる…と。
それならカンクンにだって大学はあるし、わざわざハバナにする必要性はないんじゃない? ところが、大アリなのだ。僕のヒアリングに間違いなければ、彼は確かに「キューバでは、学費どころか家賃もタダなのさ」と言っていた。なんとまぁ、ビバ社会主義! 旧ソビエト連邦もそうだったのかは判らないけど、ともかく、キューバでなら食費以外に一銭も使わず暮らせるって訳だ。なんて魅力的な生活、しかも卒業の暁にはトニーの肩書も更にハクがつく…って、そんな都合よく物事が運ぶだろうか?
キューバ政府がメリットを感じなければ、余計な外国人をタダで面倒みる筈がないだろう。そこもトニーは検討済みで、彼の持つ英語を教える国際的な資格で市民の英語教育に貢献する提案を用意していた。
トニーの世界観は、僕とは違う広さとを持っていた。ビジョンと、それを近寄せるプラン。
ついに僕らは、捜していた場所に辿り着く事が出来たらしい。狭い階段をギシギシと4階まで上ると、廊下に面した扉をノックした。そこが入学手続きに関するオフィスのようだ。出てきた年配の職員に用件を説明するトニーの表情を追っていて、物事はすんなりと運びそうにない感じがしてくる。
時間は長く掛からなかったが、相手の男性は最後に済まなそうな表情を浮かべてドアを閉めた。会話の内容は一言も解らなかったけれど、それだけでおおよそは察しがつく。どうやら入学志願の倍率は高く、現状では外国人向けの特別枠を用意することは出来ないといった理由から丁重に断られたようだ。
もちろんトニーもめげずにアピールをしただろうけど、一介の職員に大学の基本的な方針を変える力は望むべくもない。結果は芳しくなかったにせよ、これで本日の約束は終わった。トニーには申し訳ないが、僕にしてみれば義理を果たして荷が下りた気分だ。あとは宿に帰って、サン・ルームでのリラックス・タイムを満喫するのみ…。おっと、その前に!
僕らが立ち話をしている間に、女子大生が廊下の応接セットに腰掛けた。くたびれたモスグリーンのソファーで、黄ばんだ古めかしい本を読み耽っているクール・ビューティ。勉学の邪魔をして恐縮だったが、写真を撮らせてと頼んでみるとニコリともせずOKしてくれた。
「彼女の横に並んだら?」
ファインダー越しにトニーが言う。僕が一人用のソファーに腰を下ろしたのは、美人の隣で緊張するだけじゃないのだ。カメラ・アングル的にはこの位置がベストなのだ、壁に貼られたポスターを使わない手はない。若き日の革命家が笑っている。
「ここでいいんだ、ミスター・チェを挟んでのツー・ショットだぜ!」
トニーに説明すると、彼も同じアングルで撮りたいと言い出した。ダメダメ、君は1階の美人で満足してなさいねー。悔しがる彼をなだめつつ、建物を出た僕らは来た道を引き返す。
「街に戻って、カフェで休もう」
トニー、それは名案だな。
怪しいピザ屋を通過して滑走路を渡り、山道を上って最初のキャンパスに戻る…その道程を想像するだけでウンザリだけど。
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