出発の時が来た。
そして僕らは寝過ごし、飛行機を逃した…!
今になって思えば、カンクンとハバナの間に時差があったのかもしれない。あるいは、サマータイム絡みとかで1時間ズレてたんだろう。とにかく僕らが大慌てで空港に駆け込んだ時、僕らの腕時計は10時15分前を差していた。
「よしっ、ギリギリセーフ!」
僕らは見合って笑うとロビーを横切り、駅の改札みたいな出国ゲートに急いだ。しかし突然、トニーは青ざめた顔で立ち止まった。
「乗れないって…」
10時の便は、すでに飛び立った後だというのだ。飛行機がフライング? 冗談キツイぜ! 番狂わせもいいところだ、出国審査の係員が間違えているに決まってる。じゃなけりゃあ嘘をついて、セコイ手数料でも巻き上げようって魂胆だろうさ。
頭に血が上って強行突破しようとして、僕はトニーに力ずくで押さえ込まれた。
「事態を余計にややこしくするな」
粘り強く説得を試みる彼と腕時計を見比べ、5分、4分、3分…。僕は極度のストレスで吐きそうだった、もはや土壇場の奇跡を祈るしかない。
僕の頭の中から、飛行機が離陸して行った…時間切れだ。
そして僕はカンクンに帰れないどころか、日本にさえも帰れなくなってしまったのだと思った。日本へ帰るのは明後日の便だ、おそらく間に合わないだろう。FIXチケットだから変更できないし、もし何とかなるとしても僕に差額を払うほどの余裕はなかった。
「どうしてくれるんだ、トニー!」
こんな相手と交渉しても無駄だったんだ、強引な手を使ってでも乗り込むべきだったんだ…! こちらの落胆ぶりに、係官は初めて気の毒そうな表情をみせて言った。
「次の便は満席だけど、おまえ達が可哀想だから何とか都合して乗せてやる」
それを聞いて一気に怒りと絶望が吹き飛び、今では〈地獄に仏〉という気分だった。
「助かったぁ〜、それで何時の出発だい?」
大喜びでトニーに訊くと、浮かない顔で「彼は『明朝の便に乗せてやる』って」と答えた。そんな、一日一便かよ…。今夜はどうすりゃ良いのさ、でも帰れるんだから文句は言えないか。
急に元気を取り戻した僕に、トニーは冴えない表情のまま日本語で耳打ちしてきた。
(何かおかしい。彼の言ってるヒコーキの値段、スゴーイ高いョ)
なるほど、やっぱこいつは悪徳係官って訳だ。もう一歩で危うく引っ掛かるところだったが、こうなったら責任者にねじ込もうぜ。
「ダメだ、証拠ないョ。それより、すぐに行こう。」
トニーはそう言って、チケットは必ず買えると断言した。次の便が本当に売り切れていたら、彼なんかに都合をつけられる筈がないのだ。
僕らは彼に目もくれず、足早に立ち去った。
再び、タクシーでハバナに逆戻りする。空港周辺には、ホテルどころか民家もないのだ。この道を2日前に通った時、まさか同じ眺めをもう一度見るとは思いもしなかった。さすがに今は何も目に入らない。
明朝の便は押さることが出来たし、後は今日をいかにして乗り切るかだった。単純な話だ、でも冷静に考えるのは難しかった。トニーの言うとおり、確かに明後日の帰国便には間に合うだろう。だけどまた乗り損ねたり、係官の妨害や欠航などでカンクンに帰れなかったら僕は…? 延々と、良くない思考が渦を巻く。
漠然とした不安+余計な出費が、重なりあって心にのしかかる。明日を逃したら今度こそ成田行きのチケットは紙切れ同然で、そうなったら買い直すなんて無理だ。いや、それどころかキューバに来るためトニーに借金した分ですでに赤字じゃん。
少しは帰国後の生活費が残る予定だったのが、すべてキューバに来たせいで計算が狂ってしまった。
僕は(トニーに押し切られて来てしまった自分)を責めた。相手の意見を尊重したつもりでも、最後は僕自身の責任なのだ。結局は己の問題だ、理屈では分かっていてもトニーへの苛立ちを抑え切れない。へそを曲げてどうなるものでもないが、僕はムッとしたまま沈黙していた。
ともかく街にUターンして、タクシーで宿を探す。
ハバナに向かう車中、トニーはガイドブックの安宿をくまなくチェックしていた。良さそうな所から総当りでいけば、平日だから空き部屋が見つかると彼は言った。僕は、わざと投げやりな言葉を返す。あからさまな態度に(我ながら情けない)と思うけれど、むしろ元気が残っていたら怒鳴り散らしていたろう。
市街に入り、トニーは安宿に車を止めてフロントに向かう。言われるがままに同行したものの、スペイン語で交渉しているのに僕が立ち会うのは無意味だった。この旅行は彼に頼まれたから来たのだし、僕は一切の決定に従ってきた。落ち度はトニーのほうにあるのだから、彼が宿と食事をフォローするのは当然だと思っていた。
フロントが「満室です」と言ってゆずらないのに、トニーは粘り強く事情を説明している。彼のそういうやり方も、端で見ていると焦れったい。日本に限らず、まともなホテルは飛び込みの客を嫌うのだ。満室と言われたら、それがその宿の方針なのだから諦めるしかなかった。次の候補へと車を走らせる。
「ここで待ってるよ、僕が行っても意味がない。それに、退屈で疲れる」
僕はそう言って後部座席のシートにもたれかかり、しばらくして2軒目も無駄足に終わった事を知った。3軒目も4軒目も同じ結果で、すっかりトニーは汗まみれだった。僕は(せめて当日アポでも電話の一本でも入れれば違うだろうに…)と思いながらも、涼しい車内で目を閉じていた。彼のやることに口出しする気はないし、僕のミスではない。
僕は、自分の態度を客観的に想像してみる。嫌な奴かもしれない、と思った。
2006年09月15日
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