僕の席は最後部に近い、中央の列の右から2番目だった。乗り込んだ時には、ほとんどの乗客が席に着いていた。すでにシートベルトを締めていた男性には、ゆっくり搭乗待ちをしていた事を申し訳なく思う。
機内のシートに腰を下ろすと、機長からの出発前のアナウンスが始まった。
「現在、目的地の東京は午前5時、気温は10℃…」
これから約10時間の、長い長いフライトが始まるのだ。
スチュワーデスが配置に就いて、例によって「緊急時のジェスチャー」を始める。引き続いて免税品の営業になり、僕は耳かきのようなイヤホンで機内放送を聴きながら機内誌を拡げた。僕にとって不運なことに、この席は左右どちらの窓からも離れていた。たとえ小雨まじりの曖昧な空模様でも、窓からの眺めは気晴らしになるのに。
未来都市のようなタワーが、旋回する飛行機の下端をかすめて消えた。港に面して立つ、周囲に調和しない塔。設計当初に夢見た安直な未来像は、むしろその使い古された(いかにも未来っぽい造形)がレトロ・フューチャーだ。
成田への到着は「明日の午後4時過ぎ」らしい。フライト時間がおおよそ11時間として、時差は16時間。もうサマー・タイムは終わったろうから、プラス1時間の時差になる。…さて、それでは僕がシアトルを飛び発ったのは何時頃でしょう?
僕は本を読み耽っていた。
何しろ、他にすることがないのだ。
時々、僕は席を立って喫煙コーナーで一服した。さすがに通路側の人に気兼ねしてしまって、そうそう何度も行ったり来たりは出来ない。それでも、まだタバコが吸えるだけマシかもしれないな。
そう、これは携帯も普及してなかった1996年の出来事なのだ。
今では完全に全面的に禁煙だから、もう僕が飛行機でアメリカに行く事はない。この成田−シアトル路線が〈日本人サラリーマンが主な客筋〉だったから、この時点でも辛うじて喫煙ゾーンを残していたのだった。
長いフライトだった。窓の外は、海と雲だけ。
やがて、水平線に細い影が浮かんだ。軽いざわめきに包まれる機内、早くも身支度を整えにかかる人々の慌ただしい空気がみなぎってくる。みんな一斉にアクビし始めるのが可笑しい。すべての乗客が、退屈し切っていたのだ。
折よく「ポーン」と鳴って、機長さんのアナウンスが流れる。言われるまでもない、間もなく当機は日本に着くのだった。ゆるやかな傾斜を滑り落ちるように高度が下がり、少しづつ陸上の様子がはっきり見て取れるようになってきた。いくつかの島影を遠目に、本島に接近する。
やがて子供達の声が騒ぎだし、乗客の目はいっせいに窓際に集まった。遠くに見えるのは、霞たなびく富士山だ。ほとんど雲海に隠れてしまっていて、残念ながら姿はあまり見えなかった。それでも〈日本の象徴〉という威力は見事なものだな。シートのあちこちから、かたまりのような吐息が聞こえた。
はるか下界の海岸線から、いよいよ東京湾上空に差しかかった事が分かる。行く手に、ネズミ色の巨大なドームが浮かんでいるのが見えた。
(なんて汚いのだろう…)
まるで汚染された外気を遮断するために、意図的に張られたバリアーのようだ。だがしかし、実際には正反対の役目を果たしてくれている。都心の悪い空気を、周囲に撒き散らさないようにしているのだな…。自然の力はスゴイ。
あそこの中に、僕は住み暮らしていたのだった。そして今、再び降り立とうとしている。
税関へ向かうガラス越しに差し込む光は、すでに淡い夕刻の色を帯びていた。壁いっぱいの窓に、団子っ鼻のジャンボ機が顔を寄せ合っている。まるで(巨大なペットショップの子犬)みたいで、図体はデカいが妙な可愛さがあるなと思う。
大方の乗客が降りてから出たのに、それでも背後から押しのけるようにして追い抜いてゆく人々がいる。やたら手荷物が多くて人にぶつけながら、詫びる素振りもなく先を急ぐ…。日本に戻ってきたのだ、時間のない国に。
飛行機を降りてから、体の上から透明な膜が張り付いているようだ。カンクンに到着した時には気温差に慣れるのに苦労したが、戻ってくれば今度は別の不慣れさがあるとは。この漠然とした侘しさ、だけど如何にも東京らしい気がする…。これが時差ボケってやつか?
いや違うんじゃないか、この虚脱感は。行き交う人々の余裕の無さが目に付いて、それが僕の気分を重くする。でも実は何も感じないよう視界に幕を張り、心を閉じているのだ。それがこの国で生まれ育った人間の、バランスの取り方だった事に気付かされる。
メキシコになくて、日本にあるもの。シアトルにはあったけど、日本の方が強いもの。あのネズミ色の巨大なドーム、その中にいる事が関係してるのかと考える。でもメキシコの日々を思い出してはいなかった、ただ生まれ故郷に適応するため閉ざされる心を思うと、なんだか感傷的になったのだ。
2006年12月12日
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