2006年12月12日

 メキシコ旅情【帰郷編・6 北米縦断4時間の空旅】

 機内のスクリーンにはコメディが写っているが、僕は窓の外を見ていた。ヘッドホンを耳にして、開いた本は、同じ箇所を繰り返し追っているだけ。そんな時ふっと顔を上げると、窓の外には美しい夕景があった。
 刻々と移ろう雲の表情、迫り来る宵闇のダイナミックな色彩…。いつまで見ても、空は見飽きるという事がない。一体、どの辺りの上空を飛んでいるのだろう? 思い浮かべた北米の地図に、ダラスからシアトルまで直線を引いてみる。広大な草原か畑のような眺めからは乾燥地帯には見えないから、すでにコロラドは通過してしまったのだろう。地平線に見える山並みは、夕陽を背にした位置からするとロッキー山脈か。
 飛行機は北へ向かっていて、太陽は西へ沈む。左舷の右、いくらか進行方向寄りの地平線に最後の光が落ちてゆこうとしていた。目的地は、およそ北々西の進路にある。地球の自転に逆らって、太陽を追いかけているみたいだな。

 少し眠ろうかと目を閉じてみたが、全然その気になれない。耳鳴りみたいな「ゴォー」というホワイト・ノイズと、すげー退屈でキュークツで参っちまうよ。色濃い森に覆われた不規則なギャザーに、いつの間にか点々と虫食いのような残雪が目立ってきた。道理で寒い訳だ。しかも空気が乾燥しているせいで、喉が少し痛くなってきた。
 時計の時差を修正したら、なんと出発時間の8分前に逆戻りだ。あーぁ、まだまだ当分このままかい。ダラスとカンクンは一緒でも、シアトルは2時間の時差があった。
(そうか、キューバでは1時間進めなければいけなかったんだ!)
 カンクンの目と鼻の先だという感覚で考えもしなかったが、ハバナでは1時間遅れの時計を信じていた訳か…。これでは当然、シエスタにも飛行機にも間に合うどころじゃない。やれやれ。
 真紅に輝いている地平線の上から、インク・ブルーの幕が下りつつある。雪山の真上を飛んでいて、夜の綿雲を思わせる青白い陰影の雪景色に時折、星のように小さな町の明かりが。
 ひたすら雪に覆われた、人家の気配もない大地が続く。さっきヒコーキがすれ違った。どれくらい離れていたのだろう。滑るように、素速く後方に去った。夕陽に染まった、かすみの様な雲が地表をかすめてゆくようだ。
 高度を落としたらしく、河も道すじも見える。尾根の北側が白く浮かびあがって、きっと町や村では早くもマフラーとコートで身をつつんだ人々が行き交っているのだ。陽は地平の彼方に消え、虹色の鮮やかなその残照に大地が浮かぶ。
 主翼の真上に、ちょこんと上弦の月がのっかっている。科学の絵本でみた、宇宙との境目にいるような気分だ。
 それにしても(ヒコーキで大陸縦断)というのは、ものすごくギャップを生むと思った。シアトルは太平洋に面した、カナダにほど近い町だが、やはり、すっかり冬支度なのだろうか? さっきまでの突き刺さるような太陽の光は、白日夢のように現実味を失ってしまう。
 地表は闇に隠れ、その中にぽつりと明かりが灯っている。
 まるで海流の中に漂う釣船のように、弱々しく光はまたたいている。そして、よく見ればその光は、さらに小さな光の集まりが寄り添いあった星団なのだ。
 ダラスを発って4時間後、シアトルの街は電飾の銀河として現れた。キャンプファイヤーの炎が風で明るく輝くように、ひとつの星雲が明るさを増してゆく様子に目を奪われる。着陸態勢に入り、シアトルというミルキーウェイが無数の星座や星雲で埋め尽くされた闇の空間になる。
 今夜、あの真っ黒な宇宙の一角で眠るのか。

 まだ7時過ぎだというのに、シアトルの到着ロビーは閑散としていた。これじゃあ終電過ぎの東京駅だぜ、こんな広い空港とは見当違いだった。飛行機を降りてきた人達も早足で外に消えてゆく。
 遠くのほうにチケット・カウンターが並んでいて、あそこならホテルのシャトル・バス乗り場を教えてくれるだろう。しかし僕が目を合わせただけで、閉店準備に追われる女性スタッフは先を制して「ご利用の航空会社は?」と訊いてきた。そして別のカウンターを早口で告げると奥に引っ込んでしまった。
 ますます寒々しい気持ちで、荒涼としたロビーを該当カウンター探して急ぎ足。見つけたと思ったら人影がなくて、一気に顔面シワだらけになる。しかしカウンターの内側に隠れてしまうほど小柄な女性がいたので、今度は僕が先制して質問する。
 ちょっと億劫そうに腰を上げてファイルを調べると、彼女は抑揚のない声で言った。
「この前の扉を出て向かい側に駐車場があるので、そこで待っていればすぐ来ます」
 あとはもう「行けば分かる」の一点張り。礼を言って表に出ると冷たい風が吹いていて、機内で出しておいた長袖のシャツがなければ危うくTシャツ一枚で震える羽目になるところだった。
 バス乗り場は複数のホテルが共用していて、彼女が言ったとおりではあった。各ホテルのバスが到着する度に人影が消え、そして最後は僕一人が夜風に吹かれて立っていた。
 無事にマイクロ・バスは来たけれど、やっぱり乗客は僕だけ。湯気のようにモクモクと出てくる排気ガスに咳き込みながら、ホテル名を確認して乗り込む。後ろを振り向いた運転手は愛想の良さそうな人で、スペイン語訛りの英語で僕にあいさつを寄越した。ひょっとしてメキシコ人? だからって〈地獄に仏〉でもないのだけど、妙に親しみを感じて嬉しくなる。
 車は空港の敷地を出て、殺風景な幹線道路をとばし始めた。唸るようなエンジン音と、冬の夜の空気が車内に入り込んでくる。沈黙を破って、僕は尋ねた。
「…失礼ですが、どちらの出身ですか?」
 案の定メキシコで、彼はカリフォルニア半島の町から最近になってシアトルに来たのだそうだ。面白いものだな、寒い国に住む人は暖かい土地に憧れているのに。僕には冷たくて殺風景な町にしか見えなくても、彼には違って見えるのだろう。
posted by tomsec at 20:35 | TrackBack(0) | メキシコ旅情12【帰郷編】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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