カンクンに着いて、空港のイミグレを通過する。ハバナ空港とは、微妙な気候の差を感じる。そして何より、メキシコ到着初日に一人で通った順路をトニーに付いて歩く、この奇妙な感じ。見覚えある光景が既視感に思えてくる。つまり、僕がカンクンで過ごしていた筈の時間が白昼夢だったような…。
構内に漂うコーヒーのいい匂い、あちこちで「カンクン・ティップス」という(観光お役立ちガイド・マップ)を配布しているキャンギャルも、賑わう免税店もハバナとは大違いだった。
出口にはエドベンが待っていてくれて、初日の時と同じようにニコニコしながら僕の肩をバシバシ叩いてくる。実際は彼のほうが年下なのに、まるで弟扱いだ。彼を見上げる僕も、なんだか頼りになる兄貴を見ている気がしてしまう。
「エドベン、リコンファームありがとうね」
うっかりして、エドベンの大好きなラム酒を買い損ねてた! 彼に限らず、この町の若者はテキーラよりもラム酒が好きらしい。そんなところにも、どことなく〈アンチ北部メキシコ〉的なマヤ人の気概を見てしまう。
面倒を押し付けてしまったのに、土産のひとつもないなんて。僕らが飛行機に乗り遅れたせいで1日遅れになったのにも関わらず、彼は仕事を抜けて僕らを家まで送り届けてくれた。おかげで空港からセントロ[中心街]までのタクシー代が浮いた…っていうか本当に弟分で情けない!
灼け付くような日差しと、アスファルトの照り返しが懐かしい。ハバナは台風の影響で曇りがちだったけど、カンクンは相変わらず雲一つない澄み切った青空だ。
緑の中の一本道から、右手に海のきらめきが乱反射を見せ始めた。そして道路に沿ってアパートが建ち並び、セントロ手前のガス・ステーションで左に折れて市街地へと回り込んでゆく。分離帯の巨木が作る木もれ陽を浴びながら、静かな街並みを駆け抜ける。あっという間にメルカドのピンク色した建物群が現れ、住宅街の細く湾曲した道の先にカーサ・ブランカ[白い家]が見えてきた。
空港からノン・ストップで走り抜いたゴルフ君はエライ、エンジンを止めると息を切らしてキンキン鳴いている。いつの日か、組み上がった勇姿を見たいものだ。
家にいたママとパティに、先ずは「ただいまー」とあいさつ。
ママは事情を知っていたのか(心配してたよ〜)という顔を見せてくれた。その残り分の(心配かけやがって〜)は、トニーに向けた小言に変わる。いつも悪者にされてしまう彼には同情するけれど、今回の一件に関しては当然のお叱りではなかろうか。
とにかく荷物を部屋に置き、トニーと早速セントロの「バーガー・キング」に直行。例によって効き過ぎている冷房で、久々に鳥肌が立った。
懐かしの「バーガー・キング」に入るなり、熱い湯舟に浸かったような溜め息声が出てしまう。瞬時に体温を調節する反動なのか、どうしても黙っていられないのだ。でもキューバでは多分、一度も発していない。
僕は不意に、日本にいる時から身近にあふれていた〈アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ〉に初めて接するような戸惑いを覚えた。この店の何もかもが、なぜか新鮮に感じられて仕方がない。強烈な冷房にも、けばけばしいディスプレイにも、チャカチャカと耳障りなBGMにも違和感だけが先に立つのだ。
キューバに行った時も状況の急激な変化に馴染めなかったけど、こうして戻ってみると当たり前な日常の些事が不自然になっている。ハバナで過ごした3泊旅行が、ここカンクンでの3週間に匹敵すると思えてしまう位に。それが地獄だったのか天国だったのか、こうして思い返すと(極彩色の玉手箱を引っ繰り返した感じ)としか言いようがないけれども。
ジャンク・フード独特の匂いに食欲を刺激され、とにかく何も考えずにかぶりつく。当然ながら、コーラと山盛りのハラペーニョ付き。そうそう、ずっとこういうのが食べたかったんだ。これこそハバナで常に恋い焦がれ続けていた味!
このリアル・ハンバーガーの食べ慣れた味と共に、よく知っている〈自分の属する世界〉が戻ってきた。食べ物の記憶につられて、色々な違和感が氷解してゆくのが分かる。改めて思い出すと、ハバナでのまともな食事といえば「名もないレストラン」での夕食だけだ。それ以外は、ジャンクと呼ぶにもお粗末な代物ばかりで。
しかし、自分は本当にハンバーガーを食べているのだろうか? 僕は今、ハンバーガーという記号に埋め込まれた〈アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ〉の感触を充たしているだけじゃないのか?
キューバで僕が飢えていたのは、こういった手軽な[リッチ&ゴージャスな記号]を取り込めない状況の辛さだったのかも。たかが大量生産のジャンク・フードで[リッチ&ゴージャス]でもないだろうけど、ハバナ空港での(得体の知れないハンバーガー)は示唆的だったなと思う。
一切の飾りを削ぎ落とした、ただのツナ・マフィン。あれは本当の意味で美味しかった、しっかり味わって食べた唯一の(リアル・ジャンク・フード)だった。しかしあの時、最初に僕は(がっかり)したのだ。あの落胆は何故だったのか…?
そうだ、僕は(本物のハンバーガー)なんて味を知らない。
2006年12月12日
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