朝の町では、車もバイクもゆったり優しい感じだなぁ。町が賑わう夜更けになると、キリキリ走り回っているけれど。
そもそも台湾には「粋」という概念がないような・・・・・・って、日本の駅前も大した駐輪マナーですけどね。それにしたって俺様ルールすぎでは? なぁんて思ってしまいます。
台湾では、ビルの軒先が歩道になってる場所が多いのです。なのに店舗とバイクで占拠しちゃって、とても通れたもんじゃないんですよ。
あ、でもエスカレーターは左乗りで統一されてました。その点は日本より一貫してるとさえ感じましたね(是非はともかく)。

駅のホームで、日本語で話しかけられました。僕が駅員と話してるのを聞いていたのでしょう、大家族のおばあさんです。
娘が法政大を出たとか、新宿の某高級ホテルに泊まったとか嬉しそうに話してくれます。周囲の乗客にチラチラ見られて、まぁ反日感情からではないと思いつつも気にはなります。
「まず佳冬駅まで行って、それから林邊に引き返してくる予定です」
そう僕が話すと、おばあさんは「この電車は佳冬には停まらない」と教えてくれました。乗車前に確認したつもりでしたが、それでは佳冬行きは止めときましょう。
最初の旅で降り立った、佳冬駅のホームから見た眺めが忘れ難くて(その辺は「台湾の7日間 2日目・3/佳冬」ご参照くだされ)写真を撮っておきたかったのですが・・・・・・。
おばあさんと大家族は次の潮州駅で降りて、僕は林邊で下車。
低気圧の生暖かい微風、夏です。

茶店「來來」の娘は、一目で僕を思い出しました。
兄さんは畑だそうで、三山國王会の皆さんの写真を渡してシェーシェーバイバイ。
彼女とは完全に筆談なので、細かいニュアンスがもどかしくもありますが、また人だかりで話が大袈裟にならないうちに立ち去りましょう(その辺は「台湾の7日間 3日目・1/好日」ご参照くだされ)。
兄さんのバナナ園かぁ、そういえば得意げに案内してくれたっけな。

その時のメモには、
『喜びや誇りと共に働けるのは好いことだ、もし色々知ってしまったら変わるだろうか?
半端な知識は危険だ、そして心安らぐまでの知へと至る道は長い』
・・・・・・なんて書いてました。刹那い憧れといいますか、何のコトやらですが。

そして東港への大通りに出ると、なぜか手を挙げなくても停まるバス。20元、英語が通じてスムーズに上車(乗車)。
東港の町は、以前の整った印象と違って雑多な感じがしました。町全体が市場っぽい、というか屏東が発展したせいで見え方が変わっただけかな? 薄日が差して、風が海の匂いを運んできます。
前回のように潮風で体を冷やしたくないので、品淳軒というカフェでオープンエアの席に。煙草も吸えるし冷房の心配もない。
マンダリン・コーヒーが65元、食事は店のコのオススメで160元。

1泊する町でも ないし、小琉球に渡るとしますか。
でもその前に両替しとかないと!(その辺は「台湾の7日間 4日目・1/小琉球へ」ご参照くだされ)
レートは初日とほぼ一緒で0.29、あとで確かめ算してみると3千円くらい合わない。って事は、ずいぶん安くない手数料だぞ。
船着場では、案の定オバチャンがレンタルバイク勧めてきます。1日300元、宿代込みで800元。僕が「OK、あした晴れたら乗るよ」と言うと、「晴れる!」の連呼で押し切られてしまった・・・・・・。
フェリーは3時半の便、230元。往復410元を勧められるが、当日のみ有効だと損だからなぁ。
しかし看板の表記を見ると片道210元、まさか旧正月料金か?

補足・媽祖廟と三山国王廟
ここで今更ですが、台湾の廟について少し書きます。
一番最初に出会った廟は、林邊という小さな町の「媽祖廟」でした(その辺は「台湾日記 2日目・3/佳冬」あたりをご参照くだされ)。
そして数日後、その近くにあった「三山國王廟」に招かれました(こちらは「台湾日記 3日目・2/廟の中」をどうぞ)。
他にも屏東や小琉球などで幾つかの廟を見ていますが、それらに祭られていた神々については名前も知りません。
なので、とりあえず媽祖と三山国王に関して得た知識だけを補足することにします。
媽祖
人々からは親しみをこめて「媽祖婆」、「阿媽」などと呼ばれたりもする、非常にポピュラーな道教の神様です。
ちなみに旧ポルトガル領マカオの地名も、媽祖の廟が語源といわれています。
また日本でもオトタチバナヒメ信仰と混淆しつつ、在来の船玉信仰や神火霊験譚と結び付くなどして、江戸時代以前から各地で信仰されてきました。
媽祖(天上聖母)は、中国の福建省甫田県、宋の時代(A.D.960)の官吏の六女として生まれた林黙という女性が神格化された、海上の守護神とされています。
彼女は幼少時に道士(道教の修行僧)と出会い神通力を発揮しはじめ、後に仙人に誘われ神となったといいます。
また一説には海難した父を探しに船を出し、福建省の島に黙娘の遺体が打ち上げられた・・・という伝承もあり、媽祖島(馬祖島、現在の南竿島とされる)の縁起として伝わっています。
しかし本当は、甫田県にいた女巫(吉凶禍福を予知する占い師)が死後に祀られた、といわれてもいます。
甫田県には船員や航海業者が多く、彼等の航海守護神と媽祖信仰が習合し、時代が下るにつれ次第に万物に利益がある神と考えられるようになりました。
歴代の皇帝からも信奉され、清朝では「天后」という封号を下賜した事から「天后宮」とも呼ばれるようになりました。
台湾には中華民国以前より多数の移民が福建南部から渡来しており、彼らが媽祖信仰を広め島内に媽祖の廟祠を建てたといいます。
故に、媽祖廟は中国大陸に面した台湾西岸に集中しているようです。
しかし大陸では共産主義政府により「迷信的・非科学的な活動」として弾圧され、文化大革命期にはほとんどの廟祠が破壊されました。
別の道を歩んだ台湾では日本統治後に再び活発化し、新しい廟祠も数多く建立されるようになっています。
台湾の媽祖信仰の総本山は北港朝天宮(雲林県)で、毎年旧暦の3月23日は媽祖の誕生日として各地で盛大な祭りが開催されるそうです。
道教とは、紀元前から中国で広まっていた現世利益を追求する民間宗教です。
アニミニズムやシャーマニズム、神仙思想や陰陽五行が根幹にあり、そこに老子の「タオ哲学」を取り込んで体系化が進みました(ただしタオイストは「道家」と呼び峻別されます)。
官吏の教養であり徳目であった儒教と違って、伝来した仏教なども取り込んだ複雑多岐にわたる宇宙観を擁しています。
あまりなじみのない道教ですが、日本の陰陽道や修験道、庚申信仰を始め、仏教が渡来する以前から深く浸透してるようです。
たとえば「神道」や「天皇」は道教に由来する言葉であり、正月のお屠蘇に七草、端午の節句や七夕、神社の茅の輪くぐり、お中元の習慣、実はテルテル坊主まで道教に由来しています。
三山國王
「三山」の由来とは、中国大陸広東省の潮州府にある独山(獨山)・明山・巾山の3つの山を指しているそうです。
宋朝最後の皇帝がこの地に逃亡してきた時、この三山の地方神が加護を与えたという伝承が残っています。
元々は潮州地方に住んでいた客家人の信仰対象で、台湾に移民した時も三山国王を祭る香炉をお守りとして持ち歩いていたといいます。
台湾の客家人は広東から渡来した者が多いそうですが、福建風に建てられた三山国王廟もあるといいます。
いずれにせよ三山国王廟の存在は、すなわち客家人がその地に居住していたことを意味します。
そこで現代の学者は、よく三山国王廟の遺跡に沿って客家人の移民の軌跡をたどっているそうです。
しかし、しばしば福建人と客家人といった異なる出自による紛争(械闘)が起きていたようで、三山国王廟があるからといって今も客家人が居住する地域とは限りません。
客家人は本来、中国の広東省・福建省・江西省・湖南省・四川省などの山間部に居住する少数民族で、唐から元の時代に華北から移住してきた人々の子孫であるといわれています。
しかし台湾では民族集団の中では比較的大きなグループで、世界で唯一の客家語専門チャンネルがケーブルテレビで放送されています。
特有の生活様式として、福建省の山間部の「土楼」(円形のものは円楼、正方形など四角形のものは方楼)と呼ばれる一族の集合住宅や、広東省や香港に見られる、城壁のような壁の中に村を築く「圍」と呼ばれる住居が知られています。
その目的は外敵を防ぐためでしたが、このことから他の漢民族よりも規律を重んじる気風が高いとされています。
華南より北方の方言に近い客家語を話し、他の漢族集団(本地人)とは異なった独特の性質・文化を持つゆえか、周辺に住む他集団との衝突(土客械闘)を生むことも少なくなかったようです。
参考にしたサイト
媽祖
『神 仙 列 伝 ― 道教的神々・女仙之巻 ―』
http://members.at.infoseek.co.jp/hongkong_movies/womengods.htm
『フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AA%BD%E7%A5%96
『www.wao.org.tw:』
http://reminiscent.creativity.edu.tw/wao/jp/temple_07.htm
三山国王
『RTI中央放送局』
http://www.rti.org.tw
『台湾新荘市の寺廟について』
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nikaido/xinzhuang_miao.html
『フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A2%E5%AE%B6
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%AE%A2%E6%A2%B0%E9%97%98
参考にした本
学研 NEW SIGHT MOOK 「道教の本」
そこで出会った人を
もう一度訪ねてゆく旅って、
なんだかとてもぜいたくだなぁと思いました。
何度も足を運べる場所じゃないだけに、
なんというかかけがいのない時間の使い方ですよなぁ。
しかしまぁ本来は理由なき旅に、
なんだか動機付けしてしまうのもね・・・。