仕事について訊かれた時、当時の僕が病院の看護補助をしていると知ってコオ老人は驚いたような反応をしました。なので、仕事内容が特殊な技能職ではない事を話したんですね。
すると彼は少し黙って、そして少し言いにくそうに「オムツの当て方を教えてもらませんでしょうか」と言ったんです。
奥さんが寝たきりなので世話をしているそうなのですが、いつも紙オムツが上手くいかずに布団を汚して困っているというんですね。
自宅介護のご苦労に加えて、排尿のたびに布団交換して洗うとなると大変な労力でしょう。
でもそれより奥さんに申し訳ないのだと許老人は言って、だから思い切って僕に相談したようでした。
バスの中で説明したところで要領がつかめるものでもなく、結局「どうか実際にやってみてくれませんか」と頼まれて断りきれなくなってしまいました。
僕はヒマだし構わないけども、当の奥さんにしてみれば
(急に見知らぬ外国人にパンツ脱がされる)
なんてのは好ましいとは思えませんし。
それに「日本を代表するオムツ交換か」なんて考えちゃうと、責任重大で。
とはいえコオ老人の熱意も無下にはできず、まぁ軽くレクチャーする感じでバスを降りました。

コオ老人の家は客運の裏通りのビルで、1階は店舗貸しだったのか全面ガラス張りです。
そこで車椅子の奥さんが日向ぼっこしていて、耳が遠いのですがコオ老人の説明にニッコリ微笑みました。日本語で何か言ってくれたけど、もう忘れかけているようで言葉が不明瞭です。
そしてコオ老人は、車椅子を入り口に置かれたベッドまで動かしました。
まさかと思ったら案の定・・・。
「ここでオムツ交換を」って、手打ち蕎麦じゃあるまいし面食らってしまいました。
人通りがないとはいえ、これでは表に見せびらかすようなものじゃないですか?
しかしコオ老人も、息子さんらしき中年男性も意に介さぬ様子です。自宅の4階まで行くのも大変ですよ、1階にはここしかベッドないですよ、という雰囲気。
まぁご本人も同意してるというので、仕方なくそこに奥さんを移乗して実演に入りました。
手を動かしながら説明する背後で、コオ老人が息子さんに通訳しながら感嘆し頷きあっています。
僕自身、仕事に就いたばかりの頃はオムツ交換が下手だったので、尿漏れを防ぐポイントを強調して知る限り詳しく教えました。オムツの縁の当て方、尿量が多い場合のパッドの工夫についてなど。
感謝感激されて、これで成果が上がらなかったらと却って不安になってしまいました。
そういえば自宅介護入門の本を後輩に貸しているので、あれを後日郵送すると約束しました。日文が読めなくても、挿絵が大きいから役に立つはずです。
「クッキーをご馳走しますから」と言われて、4階の自宅にお邪魔しました。
コオ老人との茶飲み話で、先週末に結婚65周年のお祝いをしたばかりだと聞きました。
お二人とも90歳で、奥さんは「昭和12年に、台湾大学で産婆さんの資格を取った」のだそうです。
壁の大きな額縁に世界中の写真が飾られていて、パリ、グランドキャニオン、アラスカ、ナイアガラ・・・どれもコオ老人と奥さんの2人が寄り添って写っていたんです。
なぜかしら僕はそれに見入ってしまい、目頭が熱くなってしまいました。
今もご苦労はあれど、お二人の幸せな笑顔はそれでも変わりがないのです。
こんなにも長くそして同じ気持ちで人を愛すること、それが僕にできるだろうかと。
おおらかと言ってしまったらなんとなく違うような気もするし。
けれどもそういう大きなテンポで人と接すること、
なんとなく、そうか、けっこういいのかもなと思ったり。
「きめこまやか」というのもよいのだろうけれど、
まぁいろいろあっておもしろいのかもなぁ。と。
無精ヒゲにヨレヨレの格好で突然「仕事をください」というプラカードを下げて店に来る2人を雇ってくれたり、
家に招待して寝床と食事を与えてくれたり、
校長先生に頼んで小学校でスペイン語を教えてもらったり。
病院の看護婦が、ガムを噛みながら働いてたり。
なんだか、日本は寂しい国に思えてしまいました。
もちろんそれは、ある一面を切り取っただけに過ぎないのですが・・・。
しかしまぁ、スケジュールを詰め込んで旅する人にとっては関わりのない世界かもなぁ。
あんな風に鼻水をたらしながら、
心から泣いてしまうような風景って、
日本の、とくに都市では、ないような。
そんなことになろうものなら、
すぐに携帯電話で写真撮られたり。
「田舎に泊まろう」とか、
「新婚さんいらっしゃい」とか見てると、
まだだいじょぶかもとかも思うのですが・・・
ビデオを観てる、こっちまで鼻水たらしそうでしたよ。
今日は2巻目を観る予定です。
都市ではないところ、の日本・・・。
言葉だけでなく空気が読めちゃうせいでしょうか、
なんだか素直になれなかったりして(笑)。
親切のようでいて、閉塞した心の澱を流し込まれたり?
いえいえ、そんな事は!