12月、僕が再訪する直前に出したカードは、もう着いているだろうか。
晴れ間が出て、宿からコオ老人の家までは僅かな距離なのに汗をかいてしまいました。
オムツ交換をした1階にはシャッターが下りていて、途方に暮れていると通りかかった人が部屋を調べて呼び鈴を鳴らしてくれました。
コオ老人は、僕からのカードを受け取ってすぐ返事を出してくれていたそうですが、それは僕が日本を発つまでに届かなかったので、もう少しで行き違いになるところでした。
4階の自宅でパパイヤと、そして大根とご飯で作ったという挙げ餅もご馳走になりました。
そこにアメリカ在住の息子さんから国際電話が入り、後で聞いた話では娘さんもアメリカ人と結婚して向こうで暮らしてるのだそうです。
つい10日前まで里帰りしていたお孫さんは、アメリカチームのオリンピック選手で、名前はトラさん。
思ったとおり、コオ老人は「日本語に由来する名前を付けました」と誇らしげに言いました。
奥さんは、通りに面した日当たりの好い部屋で横になっていました。
わざわざ起こしてしまうのも、却って申し訳ない気になります。でも奥さんは僕を覚えていて、澄んだ笑みを浮かべました。
レース越しの柔らかな光の中で、僕は生まれて初めて(天使のようだ)という言葉が自然に感じられました。
そして同時に、このご夫婦のような老後を迎える自信がない自分への失望感と、しかしそれは不可能な夢物語ではないという安堵を僕に与えてくれる一瞬でもあったのでした。
コオ老人が思い付いたように「毎朝バスで散歩に行っている海岸まで、是非ご案内しましょう」と言い出し、こうなると断りきれるものではありません。
まぁ顔見せだけは済まないだろうとは予想していましたし、それにどのみち僕に予定などありませんから。

2月のオムツ交換後にも、コオ老人の誘いに負けて一緒に出かけたのでした。
あの日はクッキーをご馳走になった後、市バスに乗って隣町の鳳山まで行ったのです。
なぜか「電気マッサージの無料体験」に・・・!
立派なビルの何階かで降りると、どうやらそこはマッサージベッドの販売会場のようでした。
大勢のお年寄りが、ワイヤレスマイクを持ったインストラクターの指示でボタン操作しています。
みなさん常連同士で、無料の娯楽施設と化している様子。
待合のパイプ椅子が次々に埋まっていく中、スリッパに履き替えると僕までベッドに連れて行かれてしまいました。
どう考えても僕なんか、販売対象ではないのにな〜?
確かに気持ちは好いのですが、僕には温熱効果で汗だくです。
それにボタン操作の指示はともかく、コール&レスポンスまではご期待に沿えません。
そうやって商品名を連呼させ、覚えてもらうのでしょう。そして何度でも来て試してもらって、気に入ったら買ってくださいという商法のようです。
コオ老人に言わせれば「台湾では、こうして高額商品を売るのです」との事でした。
でも最中は、すっかりイビキかいて夢の中でしたが(後日、購入したと手紙にありました)。
帰る頃には夕暮れで、なかなかバスが来ないと思ったら学生の下校時間と重なってしまったんですね。
バス停ごとに乗ってきて、ギューギューの満員状態で逆に疲れてしまいました。
そうしてコオ老人の家まで戻って別れると、ようやく僕は宿に土産を置いたのでした(重いものを買い込んでなくて良かったぁ〜)。
けっこうご年配のご夫婦を眺め自分への失望感を感じたり、
自分にもなくはない未来に安堵感をおぼえたり、
したのではなかろうか?なんてことを勝手に思ったり。
というコメントを何日か前に書いたつもりが
アップされてなくてびっくりしました。
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虚心、という言葉が浮かびました。
きっと昔から、虚栄や威厳といったことに関わらず暮らしてきてるんじゃないかと。
そういう類の厳しさが、一瞬たりとも陰を差さない人なのです。
僕が思ったことは、まさにそのとおりでした。
そういった己の弱さに、気付かされてしまったといいますか。