あらかじめ申し上げますが、記事中で断言している文章は(〜と思う)を省略しています。
すべて個人的な感覚によるものですので、もし気に障ったらごめんなさいね。
大勢でワアワアが苦手なのは、集団だと莫迦になるからだ。
どうしても声が大きくなるし、まず自分の話を聞かせようとする。
せっかく知り合った人との話が盛り上がってきたのに、必ず邪魔される。
ひょっとしたら全体の輪を乱したとか、そういう場違いな自分をたしなめてくれてたのかな?
そんな訳がない。
仮にそうならば、せめて前置きがあるものだ。
「話の腰を折るようで悪いが・・・」とか。
大勢だと気が大きくなるのか、色々と図々しくなる。
身内意識に甘えているのか、シャッターを叩いてみたり枝を圧し折る輩が出てくる。
そんな幼稚なストレスなんて、自分の部屋で解決してきてほしいものだ。
だから花見の季節は、桜の見所には近付かないようにしている。
別に羽目を外すのが間違いだとかではなく、花見という口実で一斉に起こるのが気持ち悪いのだ。
もちろん、世の中には(花見は天下御免の無礼講だから)と楽しんでいる人が多い。
言うまでもなく無礼講とは、無礼をはたらく側が口にした時点で間違っているのだけど。
まぁこういう性格だから、あんまり誘われるという機会もない。
大体は「大勢なら行かないけど少人数なら行きます」と言うと、そのうち理解してもらえる。
だけど世の中には、稀に(なんでもみんな一緒でなければ)というような信念の持ち主もいる。
みんな一緒というのは、なんとなく美しい。
自分が(そうしたい)と思っていて、周りの人たちも(そうしたい)と思った結果で一緒というのがね。
それは全員の気持ちが1つに重なるという、ちょっとした奇跡だからであって。
できれば働く場所でも、公共の場所でも、それが叶ったら素的だろう。
ただ、誰もがそれを望むとしても、自分で判断して決めるだけの自由がないとね。
とかいって。
なんでも規制に走る「市民の声」とやらも、もしも自分に他人の権限が左右できるなら強要するのかもな。