2009年04月20日

思い尽きたが好日・みんな一緒に

あらかじめ申し上げますが、記事中で断言している文章は(〜と思う)を省略しています。
すべて個人的な感覚によるものですので、もし気に障ったらごめんなさいね。



大勢でワアワアが苦手なのは、集団だと莫迦になるからだ。
どうしても声が大きくなるし、まず自分の話を聞かせようとする。
せっかく知り合った人との話が盛り上がってきたのに、必ず邪魔される。
ひょっとしたら全体の輪を乱したとか、そういう場違いな自分をたしなめてくれてたのかな?

そんな訳がない。
仮にそうならば、せめて前置きがあるものだ。
「話の腰を折るようで悪いが・・・」とか。

大勢だと気が大きくなるのか、色々と図々しくなる。
身内意識に甘えているのか、シャッターを叩いてみたり枝を圧し折る輩が出てくる。
そんな幼稚なストレスなんて、自分の部屋で解決してきてほしいものだ。
だから花見の季節は、桜の見所には近付かないようにしている。

別に羽目を外すのが間違いだとかではなく、花見という口実で一斉に起こるのが気持ち悪いのだ。
もちろん、世の中には(花見は天下御免の無礼講だから)と楽しんでいる人が多い。
言うまでもなく無礼講とは、無礼をはたらく側が口にした時点で間違っているのだけど。

まぁこういう性格だから、あんまり誘われるという機会もない。
大体は「大勢なら行かないけど少人数なら行きます」と言うと、そのうち理解してもらえる。
だけど世の中には、稀に(なんでもみんな一緒でなければ)というような信念の持ち主もいる。

みんな一緒というのは、なんとなく美しい。
自分が(そうしたい)と思っていて、周りの人たちも(そうしたい)と思った結果で一緒というのがね。
それは全員の気持ちが1つに重なるという、ちょっとした奇跡だからであって。
できれば働く場所でも、公共の場所でも、それが叶ったら素的だろう。

ただ、誰もがそれを望むとしても、自分で判断して決めるだけの自由がないとね。
とかいって。
なんでも規制に走る「市民の声」とやらも、もしも自分に他人の権限が左右できるなら強要するのかもな。
posted by tomsec at 00:52| 思い尽きたが好日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする