以下、5月13日付の読売新聞朝刊に映画監督の是枝裕和氏が寄稿していた『リポーターと「幼児性」ウィルス』と題するコラムの全文です。
ただし無許可引用のため、予告なく削除する可能性は非常にあります。
国際映画祭に参加するためにニューヨークとサンフランシスコに10日ほど滞在した。
宿泊したホテルではNHKの国際放送が見られたので、日本国内での騒ぎが日に日に大きくなっていくのは感じていたが、いざ今自分がいるニューヨークの街に目を移すと、まったくもって平穏そのもの。もちろん誰もマスクをしていない。市内の航行で患者が出ているにもかからわず。知人のアメリカ人に聞いてみると、「死なないんでしょ」「大騒ぎして経済活動が停滞することのほうが今のニューヨークの人は嫌なのよ」と。これは「大人」なのか「鈍感」なのか?
ふたつの都市で40ほどの取材を受け、観客との間でQ&Aも4回こなした。「監督がわざわざ日本からお越しです。どうぞ」とアナウンスされ、拍手で迎えられている会場に、マスク姿で入っていくのはどうしてもためらわれた。(だったら来るなよ)という僕の内なる声がマスクに手を伸ばさせなかった。
成田空港での機内検疫は、ニュースで報じられていたよりは手間がかからなかった。鼻に綿棒を突っ込まれることもなく、自己申告の問診票を提出しただけ。手袋、マスクにゴーグルまで付けた検疫官がサーモグラフィーで熱のチェックはしていたが、15分程で解放された。むしろ驚いたのは、空港に集まっていたテレビカメラの数とそのスタッフの殺気だった。
ゴールデンウィーク終盤、ついに空港で感染者が「発見」される。カナダで国際交流に参加していた高校生。その生徒が入院した病院の前で、テレビのリポーターが大きなマスクをした姿で声を張り上げて生中継。ここでマスクか。それはいったい何のためのマスクなのか? (だったら来るなよ)という僕の内なる声は、今度はテレビに向かって実際に発せられた。診察拒否した病院は批判しておいて、自分たちはあおるのか? そして予想通り、「なぜマスクをつけさせなかった?」と、校長を囲んでほとんどつるし上げ。わかるなぁ、つけなかった気持ち。
何のために何を伝え、何を攻撃すべきなのか? そこに哲学が存在しないから、「マスク」ひとつでこれだけの騒ぎである。
アメリカで感染者が急増しているニュースを耳にするにつけ、彼らの対応を単純に「大人」で片付けるわけにもいかないだろうとは思う。しかし、この国のマスメディアにまんえんしている「集団性」というか「幼児性」のウィルスのほうが、今回の新型インフルエンザよりははるかに毒が強く、しかも自覚症状のない危険なものだということを再確認した。
このウィルスは、マスクでは防ぎようがない。