2004年02月29日

40*成功の習慣

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 僕よりギター上手くなっちゃった知人の話、噂では「彼女は毎日最低でも1時間(最高8時間?)はギターに触り続けていた」のだそうだ。僕が気まぐれに弾いたり、弾かなかったりしてた8年間とは大違いだよなあ! そりゃあ上手くなる筈だわ。
 一見すると、思いつきや勢いだけで色んな事を実現してるような人なのよ(失礼!)。だけどビジョンを現実化するのが上手な人って、大抵そのように自分を習慣付ける事が出来るんだよね。
 ずいぶんと昔になるけど、とある製薬会社の社長さんと接する機会があってね。その人、教育番組の語学テキストで5ヶ国語をマスターしたそうなの。最初は信じなかったのね、だって海外を行き来する多忙なスケジュールで無理に決まってるじゃん! ってさ。
 でも、それから色々な人に出会って、段々と分かってきたんだ。例えば、朝起きて顔を洗う…そういう感じで、+αの要素を生活動作の一部に取り込めるかどうか。どんな些細な事柄でも、自分を習慣付けられる人は、何というか(展開が早いんだ)って。

 こういう事を考える時、なぜか僕は「石〇純一の呪い」という言葉が頭をよぎるんだよなぁ。あの人は若くてまだ売れなかった頃、食うや食わずの生活なのにヴェルサーチのスーツとか着てたらしいのね。その逸話を(単なる見えっ張り)じゃなくて、僕は(成功するビジョンを体現する事で現実を引き寄せた)というふうに解釈しちゃってるんだなぁ。なんでだろ? ははは。
 それってさ、岡〇太郎の「可能性というのはまやかしだ、今ないものは先にもない」という名言(ちょっと違うか)とか、野球選手の〇嶋茂雄が「打席に立つ時、既にホームランを打った気でいた」という伝説(これもちょっと違うか)相通ずる何かがある気もするのよ。
 結局は若き石田氏が、ただの無茶で考えなしだったかなんて重要じゃないんだ。僕自身が、その話に何を見てるかだけの事。何を見聞きしても、大事なのは「何が事実か」という判断より「何を発見するか」という個々の問題なのだろうね。
 本気で身に付けたいと思えば、僅かな時間でだって集中できるのだろう。確固たるビジョンを疑わなければ、それは叶えられるのだろう。そういう人になろうと、一丁ここらで頑張ってみよう! とは思わないんだけど、いつか僕がそうなるとしたら(結果的にそうなった)ってだけなんじゃないかなあ。
 夢中になってたら、何だかいつの間に…という過去形で気が付くような「出来ちゃった人生」というのも悪くない。

 ところで岡本氏の話に戻るけど(あの人は終始、趣旨一貫してたんだなぁ)って思うんだ、一つの手法=思想のようなものに貫かれているよね。その継続性、というか統一性。初期の作品から表現が研ぎ澄まされてゆくだけ、というと語弊があるけど全然よそ見したりしてフラついてないもんね。
 あの人の目線(ものの見方)は非常にクリアーだったので、言葉も非常にクリアーに語られている。たから却って、彼の目線を受け取る土台を持たない人には曖昧で(言葉の核心が伝わらないだろうな)って思うんだ。
 言葉の意味は個人の神話によって色付けされていて、全く違う主観を同じ言葉で伝え合わなければならない困難さと背中合わせだ……という事を、岡本氏からは常に感じる。

平成15年2月29日





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2004年02月20日

39*継続する力

 前回、物語について「単なるフィクション以上の何かがある」って書いた。んで改めて思い出したんだけども、僕はストーリーに引き込まれて連想が止まらなくなる時があるのね。良い物語に出会った! という直感には、それが付き物なんだよ。
 話にのめり込むほど本筋から離れてゆく…というのも変な話だけど、僕にとっては優れた物語の印しなのね。それが。自分が、まるで(物語の内側に存在してるような感覚)になるんだと思う。いかに荒唐無稽な状況でも、違う位相で現実を見ている感じなんだな。そんな時の些細な頭の働きが、いつもと違う現実の見方をしてて面白いのよ。
 僕は直感みたいなのって、多分ほとんど働かないのね。ま、覚えてないだけかもしれないけど。唯一の直感は、何かが終わる感じだな。たとえば仕事ね。色々バイトしてるうち身についたのかな、何の前触れもなく電流のように来るのよ。「ビビッと」なんて月並みだけどさ、それで(あー、もう潮時なのかぁ)って急にシミジミしちゃったりしてね。
 昔、某TV教育番組で「はたらくおじさん」てのがあったんだ。小学2、3年頃の社会科の授業で見せられてたんだけど、様々な職業を紹介するような内容だった。僕はデザイン科の高校を出て写真のスタジオに入ったんだけど、そこで(自分は遊び幅がなさ過ぎる)って思い知ったのね。やっぱ専門学校とか大学から来た人って、余分な幅がある気がしてさ。で、そこを辞めた僕は「はたらくおじさん」になる事にしたんだ。
 色々な職種と勤務地で働こうって決めて、だから一つの職場で長く勤めようとか思わなかったの。たまに全然なじめない場合もあったけど、たいがいは仕事を変えるごとに働く楽しさが増していく感じだった。それは自分が気持ち良く働くコツと、そのための要素をつかむ能力が上がっていったのかもしれないね。
 そんで25の頃(もういいかな)と思って就職したのね、いわゆる営業職。でも先輩から、よく「どんなに辛くても我慢すれば、将来は報われるから」というような事を言われてさ。とても良くしてくれる人だったんだけど、そうしても腑に落ちなかったんだよ。部長も社長も、ちっとも報われてなかったんだもん。
 アシスタント時代に、中堅のカメラマンが言っていたのね。「フリーでやってこうとも思ったが、家庭もあるし収入が不安定だから」って。それで大志を捨ててチラシのセール品を撮り続ける生活を選んだ、にしても。あんな目の人生は(しちゃダメだ)と思ったな、僕は(絶対にそれ以外の道を行かなければ)って。
 こないだ、どっかで見たような男性が郵便配達しててさ。よーく考えたら、自分と同時期にバイトで配達してた男の子だったの。もう5、6年も前の事で、今や彼は準職員の制服を着てた。僕は一年足らずで喧嘩して辞めたから(よくやるよな)としか思わなかったけど、見方によっちゃあ(公務員へのウラ技)なのかもね。
 僕は(同じ仕事を一生続ける)なんて思った事ないし、そういう執着で若いうちから目が死んでしまう人も見たから興味がないのね。だからって特に(転々と変えねば)などと意識してる訳でもないし、直感には敵わないからさー。
 若い頃から「一生涯の仕事が決まってる」って人になると、話は別だ。単純にスゴイと思うし、ちょっとは羨ましい。だからって僕の作詞作曲を引き合いに出されれてもね、作詞歴が四半世紀になろうと所詮は趣味だ。毎晩2、3は必ず書くという時もあるし、すっかり放り出してる時期だってある。やりたくなったらやるのと、毎日定期的に継続する事は根本的に違う。
 やっぱり、継続する力って侮れない。「ラスト・サ〇ライ」で、年配の大部屋俳優がキャスティングされたって話でも思った。それよりも身近な話題としては、友人というか知人のギターね。今や関西では無名とは言えない彼女、知り合った8年前は弾けなかったのよ。でも某大手出版社から本を出したプロモーションで、ラジオ番組に出演して弾き語りをしたのね。で、今度はCD作って東京までライブやりに来るの。
 ギターあげた僕より全然うまいんだわー! 

平成15年2月17日

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2004年02月15日

38*反省、そして物語の事

 いやはや、前回のは「世間に物申す」的な内容だったなぁ! 全体的に手直し入れたいけど、やり始めるとキリないし…。やっぱ毎日の中に動きがないからなんだよなー、仕事する以外は家で寝てるようなもんだからね。話のネタが閉塞してるような。
 この空想百景ってのは「自分が見聞きしたりした経験をベースにして妄想を膨らます」という姿勢で書き連ねてゆく事にしてるのよ、コンセプトと呼ぶほどじゃあないにしても。なのに仕事場から自転車で往復10分、外界との接触が少ないから必然的に新聞とかTVとかで世間の風を見聞きした気になっちまうんだわな。だから、言葉に心がない感じ。
 実は今までも何回か、そういう展開になっちまっては方向修正してるのね。うかうかしてると、すぐ個人的な価値観を押し付けるような話を仕立てちゃうんだ。で、アップしてから読み直してみて気が付くんだよなー。画面に向かって(だーかーらー、こうじゃないんだよなぁ)とダメ出ししながら、次にアップ予定の原稿を即座にチェックしたりして。 昨日もらった本(よしもと氏の新刊)に、僕が「パイプ」で言葉にしたかった事が単純明快に描かれててショックだった。すでに前回の件では自己嫌悪気味だったから、余計に効いたな。もちろん力量の差は当然としても、同じ事柄について書き比べた時の違いが明確すぎてさ。あんなにも平易な表現で、さらりと勿体つけずに言えちゃうのかー! って。僕の場合、前振りに余計な情報を詰め過ぎて肝になる文章が埋もれてる…。
 結構あの作家の小説って好きで殆ど読んでるんだけど、どちらかというと(小ネタの積み重ね方が巧いなぁ)という感じに思ってたのよ。日常の中で小さくキラッと光った想い、それを上手につなげてくような。でもそんな程度じゃなかったんだな。(どんな立ち位置の人でもサラッと流して読めるように書けるのって、こんなに凄い事だったんだぁ!)って思い知らされたわ。
 なんでまた、こうタイミング良く同じ事を…ってガックリきたけどね。だからって挫折、とかじゃないんだな。ま、僕は物語を描いてる訳ではないし。って、言い訳か。
 だけど、物語を描くのって(フィクションを作り出す)という以上の何かがないとダメなんだろう。単に筆力や状況設定だけじゃない、神話のような力が架空の話を物語に変えるんだと思う。それから物語を記述するのに適した文体というのがあって、少なくとも自分の書き方とは違う気がしてるのね。だから自分には出来ない、って意味じゃないんだけど、たとえば「〜を記述するのに適した…」なんて言い回しなんか他人事じゃんね。
 ところで「チベットを馬で行く」という本を図書館で借りて読んでるのね、自分でも(なぜチベット?)そして(なぜ馬?)なんだけど妙に魅かれてさ。しかし文庫にしては厚いし記録文調なので、なかなか先に進まないの。やっとラサを出発するところで、まだ馬に乗ってもいない。あと2日で返却日なのに。
 僕自身がメキシコ(とキューバ)に行ってから、やけに旅の本が目に付くようになったのよ。それは自分も書き始めてたから無意識にフォーカスしてるんだろうけど、それ故に却って読まないようにしてたの。それで、とりあえず書き終えて旅行記というジャンルの本を色々と読むようになったんだ。
 自分が書いたのは(時系列に沿った事細かな記録文)だったんだけど、案外と他の人って違う書き方だったのね。土産話みたいに、関連するエピソード毎に話をみとめてく訳よ。でもこの「チベットを〜」は資料的側面もあるせいかもしれないけど、本当に旅のレポートなの。僕は(こういう書き方って、読み物としては入り込みにくいんだなー)と、しみじみ思ったのでした。
 なので別枠「メキシコ旅情」も、原文から読み易く手直ししながら掲載していく事に。このままじゃトムセク自体、文章の成長記録サイトになりかねませんなー。

平成15年2月15日


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(写真は本文と殆ど関係ありません)


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2004年02月12日

37*パイプ

 名目経済成長率、これ何のコトやら? だ。どうやら不景気から回復する指標らしいんだけど。それをね、現政権だか政党だかが2006年を目安に掲げた公約の数字に合わせるために、算出方法を変えてしまったらしい。本来なら下方修正を余儀なくされる所を、半ば強引に予定通りの伸び率で年度目標を達成したそうだ。
 それもまた、よく分からない話だ。でも、こうして歴史は積み重ねられてゆくのだろうな。僕らの次の世代とか、その次の世代には「2004年デフレ脱却」と単純に記憶されてゆく訳だ。下手すれば僕らだって何年もしないうちに、そういう事で納得してしまっている事だろう。算出方式を変えてしまったデータなんて、つまり何の価値もないのに!
 どこをどのように変えたかは内緒にして、数字だけが堂々と残されてしまう。そういうエゲツナイ世代が滅びた後、僕らの世代は一体どれだけ後始末できるのだろう? まったく、次の世代に顔向けが出来ないったらないぜ。
 データといえば、ダイオキシンの話。いつだか、国が調査結果を発表して安全性が証明された事になっているけれど、ダイオキシンには類似する構造の物質(変異体だか変位体だか変移体)が14、5種類あるのだそうだ。もちろん、公式発表されたのは1種類だけ。だから下手すれば土の中には、その14、5倍のダイオキシン仲間があるかもしれないんだって。当然ながら国が知らない訳もなく、全種類の調査をした上でダイオキシンという名前の物質についてだけ公表したんだそうだ。
 考えようによっては、安全性を実証できるデータを抜き出して公表したって事か? つまり、データが間違ってはいないけれど正確ではない。それで意味あんのかねぇ。
 同様に、放射能漏れの話。あの時期、近隣住民にガイガーカウンターを向けて放射能汚染を調べる映像が流れた。何となくTVで見た覚えがあるよね? でもね、あれで反応してたら機械が異常なんだって。人体の被爆度を検査するには、もっと精密な機械があるんだそうだ。て事は、あれはヤラセみたいな映像のトリックじゃんね。
 そういう事は、今や知ろうと思えば調べられる事なのかもしれない。しかし、自分の食べる物から空気や地質そして放射能まで…途方もなく思えちゃうよ。自己責任、それを言うのは容易いが、現実問題として意識し続けるのは至難だわ。
 少し前に、渋谷で無差別殺人(ではないのかな)事件があった。自分の知り合いが「遊び仲間が、その犯人を知ってた」と言ってた。女性の全裸死体が見つかった新聞屋、あれは自分が通った中学の通学路にあった(近所って事ね)。
 そうかー、と思った。
 僕が、僕の知り合いとパイプを持つ。そのようにして、世界中の知り合い同士がパイプを持っていると、僕の持ってるパイプにも今まで他人事としか思えなかった出来事の現場から流れてくるに違いない。それは苦い水かもしれないし、甘い水かもしれない。
 実際には、目には見えなくても同じ事なんだろう。誰かの些細な決断なり言動が交じり合って、僕の口や鼻から入り込んでいる。自分の選択と眼差しが、遠くで起こる意外な出来事に流れ込んでゆくのだとしたら。
 この世界は、ここに生きる人間の数だけ複雑かつシンプルなのだろう。
 見えないけれど、確かに人間はつながっているし、誰かの責任でもないのだと思う。
 パイプで思い出したが、氣の流れというものでいうと、氣が停滞していると心身に障害をもたらすらしい。第三者が氣を修復する時に、悪い氣を取り込んでしまわない方法として、こんなのがあるらしい。自分の氣で治すという発想でなく、自分を天地の氣を流すパイプにするのだそうだ。
 自分も、そのスキルも媒介でしかないという発想。それは、どこかインディアンのタバコの儀式に通じるような気がする。

平成15年2月11日


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2004年02月02日

36*「温か〜い」?

 あんまり見なくなったけど、冬場になると缶コーヒーの自販機に「温か〜い」と大書きされた張り紙が出てたよね。小学生の頃、それを見るにつけ妙に違和感があってさ。(この漢字の使い方、正しいんだけど何か変)と思ってたんだわ。却って「これは生ぬるいですから」と断りを入れてるような感じで。
 ちょっと前に、コピーライターの書いた入門書的な文章を読んだのね。その中に、こんなような事が書いてあった。曰く「たとえばフルーツの写真に『新鮮』というコピーを置くと、『鮮』の字に含まれる魚が生臭い視覚的印象を生むので云々…」。つまり宣伝文句を吟味する上での、言葉をビジュアルで捉えるという感覚ね。それが僕には新鮮で、面白いと思ったんだ。と同時に、かつて「温か〜い」の張り紙に覚えた違和感も分かった気がしたのよ。「温か〜い」じゃ生ぬるくって、飲む気も失せる感じがしたんだわ。
 それはともかく、冬の飲み物といえば甘酒でしょう。近所の神社に初詣でに行くと甘酒が振る舞われるんだけど、しかし何故か必ず米が入っているのね。家で作るのには酒粕を使うのが当たり前だったから、米こうじの甘酒が本式とはいえど(僕的には)酒粕がよろしい。
 あと缶入りの粉末レモンティーね(アップルティーもある)、ただ飲み続けると飽きるな。ココアも美味しいんだけど、つい分量をケチッて味の薄いココアになってしまうよね。そうでもしないと2、3日しか持たないという訳で、自宅で気軽に美味しいココアは飲めなかったりする。梅こぶ茶も飽きが早いし、お湯割りカルピスは冷水で作るより味がくどくなるし…。
 そこでホットポー。これが自分的に冬の新定番なんだが、全然ないのね最近。こないだも仕事帰りに近所のコンビニ5軒も回ったってのに。ちっともCMしてないから、ひょっとしたら絶版商品になっちゃったのかもなぁ。
 そうそう、関係ないけどポカリスウェットの話。イオン飲料の、医療機関でのシェアは圧倒的にこの銘柄なんだよね。水分の吸収率が水より高いせいなのか、電解質が関係あるのか知らないけれど、お医者さんが患者さんに勧める事が多いらしいの。イオン飲料なら何だって構わないんだろうけど、年寄りとかの患者さんに「イオン電解質飲料の…」なんて説明したって分からないよなぁ。で、「ポカリ」なんだって。
 製薬会社の販売網で優位だったのは想像に難くないとしても、なんで先発したゲータレードがイオン飲料の代名詞にならなかったのか? って考えると不思議だけど。ま、値段が高かったもんな。
 新しい物が世に出ると、その商品名のほうが代名詞になってしまうパターンってよくあるよね。クラクションとか味の素にマヨネーズなどなど、ウォークマンは海外だとメーカー名(S〇NY)のほうが通りが良いとか…? どっちにしろ「ヘッドホンラジカセ」より呼びやすいし。
 ブギーボードも本当はボディボードで、ローラーブレードも実はインライン・スケートなんだけどね。
 あーっ! 両方とも(またいつかやろう)と思ってて、うかうかしてたら早10年…。

平成15年2月2日

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2004年01月28日

35*冬の床

 前回が冬の話だったので、今回は常夏の話を一席。という訳で、グアムでダイビングした時の事。
 実は未経験だったのに「うっかり日本にライセンスを忘れてきた」と一芝居、とぼけて潜ったのだ(本格的にやってる方には恐縮なんですが)。とはいえプールの監視員をしてたので、フィンとシュノーケリングの使い方はバッチリだったし、ダイバーの友人にバディのサインや潜水病の予防などを教え込まれていたけどね。そりゃあ命は惜しいさ。
 で、まんまとピックアップトラックに揺られて海へ。草むらの中の未舗装ロコ道、砂ぼこり蹴立ててBGMはスモーキー・ロビンソン&ミラクルズの「トラック・オブ・マイ・ティアーズ」という、ベリー・ナイスなイントロで小型の船に乗り込んだ。
 入り江の小島を縫って湾の外へ、1本目は沖合の沈船ポイント。最初は海面の反射で気が付かなかったけど、エア抜きで軽く潜ってパニック寸前! 足元のはるか下に巨大な物体、その特殊な圧迫感は経験者なら分かるよね。まさに地に足が着いてない、心もとない心境。
 昔の特撮で、初回に主人公5人が「深海調査の事故で窒息死(!)」という過程で改造人間になる戦隊モノがあったのね。あの映像が子供心に焼き付いちゃっててさ、水への恐怖はなくても沈船探検は遠慮したよ。もし自分が改造人間になりたくなったとしても、海で死ぬ目に遭うのだけは絶対ヤダ。
 2本目のダイビング・ポイントは、異様に何もない場所。魚影すらも見えない、延々とフラットな砂の海底。そんなポイントを選ぶセンスを疑うが、月面の上を遊泳するようなクールさは不思議な快感だったんだよ。自分の真下が仄かに明るく、透明度の低い虚空…。あの眺めって、僕が今までに見た唯一の「死の世界」だったのかもなぁ。
 昼食後のサンゴ礁でのシュノーケリングや、午後(3本目)の熱帯魚の餌やりも楽しかったよ。でもね、それ以上に楽しかったの。生命の気配ゼロの場所が。体温と同じ位の水温で、たまに吹き付ける風のように冷水が押し寄せてくる感覚もね。幻想的な虚無。本当に一人ぼっちで、寂しくも怖くもなかった。むしろ、そっちへと引かれていく自分自身が少しヤバかったような。
 ところで関係ないけどさ、もうすぐ春という今時分の寒さってのは特に堪えるよね、どんなに寒い冬よりも。それは「夜明け前が最も暗い」という言葉に、どこか似ている気もする。そんな中、もう鉢植えのチューリップが咲いていたのを見つけたの。うん、そうなんだよな。これからの日々は、路地の彩りが怒涛の勢いで更新されてゆくんだ。次々と開花してゆく、植物の生命力は何と貪欲なのだろう!
 春先の小糠雨、柔らかな雨上がりのふくよかな空気に香る若芽。まだ肌寒く淀んだ空にも、熱帯性低気圧のざわめきが暖かさを運び込んでくるのが分かるようになる。しかしまだ温泉に恋い焦がれる僕は、せいぜい重い腰を上げて近所の銭湯で行った気になるのよ。
 だいぶ減ったとはいえ、まだこの辺は銭湯が健闘してるのが有り難い。宮崎監督が外観のモチーフに選んだ湯屋も、移築前はこの地域にあったんだけどね。ところで銭湯の脱衣所ってさ、妙に異国な空間じゃない? 南方アジアを思わせる、開放的な間取りと蒸れたような空気。全体的に木目で、ゴザみたいな床。端っこが捲れ上がった化粧板のテーブルに、チープな灰皿。なーんていうか、雰囲気がゆるいんだよね。イオンのせいか?
 でもって、湯船に浸かる時の、独特の気持ち良さね。温泉のようだけど、やっぱ違った趣なのよ。一言でいうなら「水〜っ!」って感じ(正確にはお湯か)。なんか訳もなく心躍る、くすぐったいよなアホみたいな気持ち良さ。あれってなんなのかね?
 っていうか、そんな感じを言い表す言葉が今もって生まれないままなのは何故なんだろう? 敢えて言うなら、たとえば冬の寝床に就く時の、掛け布団とシーツの冷たい肌触りに(ウヒャッ!)となる感覚。…って、そう感じるのは僕だけだったりしてな。

平成15年1月27日

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2004年01月20日

34*冬のテイスト

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 僕は寒いところより暑い所が好きなので、冬になると南国指向は一層高まる。
 しかし子供の頃は毎年のように雪だるまを作ったり、他人の作ったカマクラに入ったりしていたものだ。つまりそんだけ雪がよく降ったって事で、近年よりもっと寒かったに違いない。集団登校のアスファルトが結露して滑りやすくなり、 土を見つけると霜柱を踏み荒らし、バケツや水たまりに張った氷を威勢よく割ってたもんね。半ズボンで。
 メキシコから帰ってくる飛行機の窓から、富士山の先に黒いドームが見えたんだ。そこが自分の住み暮らしてきた土地で、あの凄い大気の底で空を見上げてきたのかと思うとゾッとしたよ。成田に着いて、物哀しい気持ちになったもんな。雪は降らなくなり、星も見えなくなる訳さ。
 それでも冬は、相変わらず寒い! そして空気は澄んでくるんだなぁ。春から秋の空気が埃っぽいって事を思い出させてくれる、その程度には空気が旨くなる気がするな。南米チリのブエノスアイレスは、語源が「良い空気」なのだそうだ。という割に大気汚染が激しくて、名前負けして久しいらしいけど。あの街も東京のように、すっぽりと闇のような半円に覆われて見えるのだろうか。
 僕は未だに、北海道には行った事がない。仕事絡みで秋田には行ったけれど、それ以外で東北には足を踏み入れた事がない。外国も、真冬のソウルは修学旅行と仕事だし、初冬のシアトルはメキシコ帰りのストップオーバーだった。南国指向の自分が、進んで寒い場所に行く筈がないわな。温泉は伊豆でも満喫出来るんだし。
 だけど、星野さんという写真家の本には心を動かされてしまうんだ。彼の写真もそうだが文章も不思議と、雪の朝に目が冴えて外に出てしまう時の静かな温度が感じられるの。彼はアラスカで活動してたからか、雪や氷河やオーロラがなくっても、陽光あふれる海や森なんかを撮っても冬の良い匂いがあるんだ。
 いわゆるプロの写真家が撮ると、大抵あざとさが鼻につくっていうか万人向けな分だけ無味無臭になっちゃう気がするのね、そこに何が写っててもさ。かなり前だけど、知り合いが「イルカの写真展」てのを開催したのね。ただイルカが好きで、基本的には写真の素人が集まって。でもドキドキさせられた、ブレてたり被写体が端っこだったりするのに。中には本職の写真家も出展していたんだけど、その構図なり露出なりが完璧であるほど(リアルじゃない)って感じたんだわ。視線がエモーショナルじゃないの。
 それからしばらくして、コマーシャル・ベースじゃない写真家が出てきて、マニュアル操作でバルブ撮影(要するにシャッターを開けっ放しにする事)できるカメラが売れたり手振れやピンボケが味として評価されるようになってきた。そういうのって、表現としてリアルだと思う。
 表現って、稚拙から洗練されて進化してゆくじゃない? 古典的な技巧とか芸能には、洗練の極みとして型が生まれるけど、その停滞を打ち破る新たな稚拙さってのはエモーショナルな何かなんだろうなあ。その革新性を語る理論は後から付いてくるものだから、それらしく解説されてしまうようになったらヒップホップ・ムーブメントだって既にリアルさは失われてしまったって事かも。ま、全盛期からは20年も経っちゃってるからねぇ。
 そう考えると、あの空白と揶揄された80年代にもストリート・カルチャーが生まれたり、テクノ〜ニューウェーブが後世に残ったりしてた訳だ。とすれば、90年代以降って何かあったかなぁ? 下手すると80年代後期のネオ・サイケとかネオGSから延々とリバイバルしっ放しだったりして。
 未だ世紀末から覚めやらず、ってか。

平成15年1月20日

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2003年12月26日

33*自己批評的空想百景

 さて、短めにしてみた前回までの3話。やってみての感想は(やはり違うな)でしたが、読まれた方々はどのように思われたでしょう?
 文字数でいうと、通常が2,000文字を越える量なのに対し、1,500文字程度に抑えてみたんです。つまり短いといっても、たった500字減らしただけ。しかしながら、この「空想百景」と名付けたコーナーには合わなかった気がして。一応は(ひとつの内容を3分割する)という感じで、視点は一緒で角度を変えたつもりだったのよ。でも1話ごとだと、一本調子で論文みたいな…。
 たとえば新聞の社説とか、体験レポートなんかだったらオッケーだと思うの。話の筋道から脱線しない、まっすぐに展開する書き方ね。だけど僕の中では、ここは何かを論じるとか報じる場所じゃあないんだな。むしろ脱線なり逸脱なりで、3段論法ならぬ3段抜かしで小ネタから小ネタへ飛躍したい訳。それを文字数を削ってやるなんて、力量あれば可能かもしれないけど僕には無理だわ。そう思った。
 内容に関しては、趣味の話題だと専門的な片寄りが出て説明が増えそうなので気を付けているつもり。あとは資料なんか引っ張り出さずに、うろ覚えの不正確なまんまで確かめない事にしてる。それを始めるとキリがないし、勢いが萎えるからなんだけど。あとは固有名詞は出来るだけ使わないようにしたり、伏せ字にしたりしてるかな。これは検索に引っ掛かったりして、特定の固有名詞に関する情報として読まれたくないから。ま、そこまで気にするほどじゃないだろうけど。それと、身の丈を越えないように。
 と、こうやって書き出すと決め事だらけみたいだなあ。そんな気はないんだけどさ、何だってルールがないと面白くないからね。エッセイだかコラムだかを読むのは田口ラ〇ディも好きなんだけど、もし自分が書くんだったら池澤〇樹の月面宙返りを狙ってみたかったのよ。意外な着地、って感じを。とはいえ真似するのは難しそうなんで、も少し間口を広げて不時着あたりを目論んでいる次第なのね。首尾のほうは、ともかくとして。
 ところで最近、高橋源一郎の書いた文芸批評(批判ではない)を読んでる。ファンというほど読んではいないけど、僕の言葉や文章にとって特別な存在なんだ。その彼のデビュー作に出会ったのは二十頃だったっけ、そんで詩人としての自分を改めて意識させられんだよなぁ。
 小学6年の国語の時間、将来の夢という授業があったんだ。僕は「作家」と答えたのね、物書きじゃなくて「作る人」という意味で。だってクリエイターなんて言葉がまだ存在しなかったから、他に言いようがなかったんだもん。それから何年も経って、僕は自分を詩人という事にしたの。誰かに言ったりはしなかったけど。以来、僕は具体的な定義は何もないまま詩人でいる。多分この先どんな肩書もないと思う、未来の夢だって未だにないし。
 実は「作家」と答えたのも、将来の夢なんて思い浮かばなかったからなのよ。単に自分の好きな事を、好きなようにしていたいだけだったんだ。だから職業としても生き方としても夢が無いままで、だけど結果的に望んだ通りにはなってきているんだけど。自称で良ければ、僕は既に絵描きで作詞作曲家なのだ。もしかしたらネットコラムニストかもしれないし、写真家かもしれない。
 小説のような長い文章は、中学2年の時によく書いてた。でもそれっきり、5年前にメキシコ旅行の日記から書き起こすまで長いブランクがあったんだ。詩とは違って文章を組み立てていく、その筋力というのは絵や音楽の比じゃなくてさ。たかが一カ月の旅行記を書くだけで3年もかかっちまったよ。だけど、そこら辺から言葉や文章に対する自分の反応が変わったと思う。それが以前と何が違うのか、うまく説明出来ないんだけど。
 今年の初めに、友人が書いた物語を読ませてもらったの。そして(自分の言葉は物語向きじゃないな)って感じたんだ、架空の世界を描くのには向かないとね。いつかは書けるようになるかもしれないにしても、今の僕は筋書きのない読み物を書く事にしよう…。そうして、ここにコラムだか何だか判らないコーナーを設けさせてもらった訳ですな。
 そんな空想百景、いつも読んでくれて有り難う。そういえば、他者を意識して何か作るってのは初めてなんだ。だから、読み手を無視して書いてるんじゃないのですよ。意外だった?

平成15年12月19日


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2003年12月09日

32*帰る場所(短編3)

 たった2年間だけだった、親元を離れて自活してたのは。その最後の冬に、僕は外壁補修のバイトをやってたの。そこそこの金額で週払いだったから、嫌々ながらも仕事に行ってた。夢も大志もあるじゃなし、しかも暮らしはジリ貧状態。恋人も友達もない、なぁーんか殺伐とした心模様だったなあ。でも毎日(困ってる人に募金したい)とか思ってた分だけ、犯罪者になる可能性は薄かったけど。
 その仕事で、郊外の巨大な病院に行ったんだ。屋上近くの壁に張り付いてさ、見渡すと遮る物は地平線まで何もない勢いよ。透き通るような大空を映すガラス窓、向こう側の部屋には白いベッドがあって。誰かいるのに気配はなくて、何も見ないようにしてたけどね。足場の上では、人の生き死になんて考えたくもないからさ。
 某マンモス団地にも行ったな。団地の屋上までエレベーターで上がってから、手摺りを越えて足場に移るのね。ぴゅーって風が吹き付けて眺めると、地上の地下鉄は本当に頼りない命綱に見えたな。まるで外界との接触を断ちたいのかって位、周囲には目ぼしい町並みもないし。まるで糸でつながれただけの、孤立した都市のようだと思った。生活に必要な店は一通り揃っててさ、団地内ですべて事足りちゃうのもね。
 眼下に拡がる団地の景観は小綺麗で明るくて、計画的に配置された緑とレンガの小路、噴水の周りにベンチがあってさ。どしっと構えた建造物群に、隙間なく仕切られた窓があって…。それは人の住処というより、蚕棚っぽく見えちゃったのね。快適そうに造成されてるのが却ってウソ臭く感じてしまった。実は(落下の名所)とか言われてたんだけど、他所の住人が飛び降りるんじゃないなって…なんとなく思った。
 古い西洋の言葉で「死を想え(メメント・モリ)」というのは、どこか日本の武士道に通じるものがあるような気がする。もちろん命を軽く見積もるとかではなくて、突然やって来るかもしれない終わりの瞬間を意識しながら生きる、という意味で。インディアンの言葉で「輪を閉じる」というのもまた、そういう感覚に似てるんじゃないかな。「今日は死ぬのに良い日だ」っていう詩を読むと、民族とか信仰とか価値観が違っていても人間には相通じる感性がある気がしてくる。
 かつては死が身近にあったのに、現代社会では自分で死ぬという選択さえ許されない。といって誤解を招くと困るけど、問題は死ぬ事じゃなくて生きる事なんだ。様々な装置によって強制的に生かされている人々の、定義の上では生きているという状態を遮断する決定権は誰にもないって事も含めて。
 人の夢、と書いて(はかない)と読む…そこに儚さがあるような。

平成15年12月9日
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31*家持つ人々(短編2)

 10年前ってさ、夜中に台場までドライブ行くと寂れてたよなぁ。走り屋がフネカン(船の科学館)でいたちごっこしてた頃ね、夢の島には倉庫しかなくて草っ原に遺体が投棄されたりしてた。それが青海あたりから目茶苦茶な勢いで工事始めて、今じゃ見違えるようになっちゃってビックリよ。久々に行ってみたら、夜中の夢の島に小学生が歩いてんの! 一瞬、ついに僕も見ちゃったのかと思って青ざめたね。あの辺は、間違ってもそんな場所じゃないぜ? 少なくとも、まだ今は。
 江東区で、児童の急増に学校が不足する事態…なんだそうだ。一学期の間に、一学年の学級数が倍になる? そりゃあ不自然だよな、本来は町ってのは自然発生的な集合体だったろうに。それが今や、人為的に作られる時代になったって事なのかね。開発業者だとか、不動産屋によって。そういうのって、何だか気持ち悪いけどなあ。
 その事でインタビューに答える父兄(当事者)が行政を非難してたの。いわく「家を持とうと思うのは当たり前なんだから、行政の怠慢だ」とかって。ふーん、当たり前なのかねぇ? 確かに都心に出るのも至近だし、埋立地だけに物件も高くはないのだろうけどさ。だけど江東区は、以前にも児童が急増した事があったんだって。それに対応して学校を増やしたものの、すぐに児童数は急減して相次いで廃校にしなきゃならなかったそうだ。そんなの昔っからの納税者にしてみりゃあ、大いなる税金の無駄遣いでしょ。
 一時期、欠陥住宅が話題になった(今もかな)。聞くところによるとさ、一昔前は住人が現場に立ち会うもんだったらしいね。毎日顔出して職人に茶菓子ぐらいは振る舞ってさ、何食わぬ振りで手抜かりないかチェック入れてたって。今は地鎮祭とか建前とかって、滅多に見聞きしなくなったもんなあ。
 新しい土地に住むとか家を構えるって時には、土地との契約を結ぶ儀式があったんだよね。今は住む事自体には意味がないんだなぁ、そこがどういう土壌や風土なのかも。地盤がゆるかったり水捌けが悪かったりしても、それは単に売り手が悪くて買った方には責任ないってだけの話でね。
 ま、これだけ過密だと気にしてられないんだね。そこが地面なら住むしかない、残された自然を開発して悠々自適…ってのに比べりゃあエコロジーなのかな? しかし色んなニュースがあって非難の応酬だよなぁ、己の都合を押し通す為の正義とか権利とか。どこかに悪の元凶がいるような幻想って、ハリウッド的(あるいは時代活劇か)だなって思うんだけど。
 そういうのって、な〜んか気持ち悪くない?

平成15年12月9日
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30*過密(短編1)

 ちょっと今回、話のボリュームを減らしてみようと思います。今までの文章量だと、携帯端末で読むには多すぎたみたいなのね。で、そういった御意見を実験的に反映させてみようという試みなんですわ。まあ単に小分けに出してく、それだけなんですが。
 皆様の御意見、ご感想などお待ち申し上げてます。では以下本文で。
 小学生の頃、団地の隣の塀から落ちて頭を打ったの。記憶がないんだけど、救急車に乗って3日間ぐらい昏睡状態だったらしいんだわ。その時に腰骨を痛めて以来、腰痛は持病のようになっちゃってて。治ってからも季節の変わり目なんかに動けなくなったりしてさ。
 とはいえ、ついにコルセットを装着する羽目になるとは…。さすがに原因は、そんな大昔のケガと違うんだけど。体を使う仕事が好きだから仕方ないにしても、もうちょっと普段のメンテナンスに気を遣っていれば長持ちしたのかもしれないな。ともかくこうなってしまった以上、腰痛と共存してゆく人生というものを考えてゆこうと思う近頃。
 ところで最近て、医療事故の話題が目に付くね。治療の方法も機材も薬品も次々と新しくなるのに、現場にいながら全部に熟知しろと言うのも無茶な要求だよなあ。だからって「仕方ない」の一言で済まして良かぁないけどさ、割と間近で見てると誰が悪いとかいう話じゃないって感じるんだ。
 一年前、大学病院てところで診察を受けた事があるのね。大きいしハイテクな感じにも圧倒されたけれど、ギッシリ! っていう位の混雑ぶりの方が凄かった。大体、初診から手術して抜糸まで、いっつも違う医者でさ。とにかく患者を捌かなきゃならない、それは分かるにしても、あんなふうじゃあ不信感も募るってもんだわ。
 あの殺人的な慌ただしさ、ヒューマンエラーどころじゃないって。細分化/専門化する医療、それに慢性的人員不足が招く意欲低下。面倒を見切れない程の患者を抱えなければ、成り立たない病院経営(一般企業みたく売り上げ伸ばすとか出来ないし)、そして普通に死ぬ事を許さないような生命倫理。
 すべての問題は、過密だ。…ある時、そう気が付いて腑に落ちたんだ。
 戦争も環境破壊も、結局は人間が多すぎるせいなんだよね。実際それが唯一、あらゆる問題を解決出来る手段ではないかとさえ思う。だって、文明の進歩(というか便利さ)には歯止めなどかけられないもん。理性なんかより、やっぱ快楽の方が強いんだから。社会共産主義が腐敗したのも、エデンの園から追放されたのも理屈じゃないからね〜。
 ロジックじゃ上手くやれないのは分かった、でも快適さに流されてるような現状もヤバい。だからって戦争で人減らしするような暴力性の時代からはオサラバしたいしなぁ…。

平成15年12月9日
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2003年12月02日

29*雑貨屋Sと味の世界

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 家の、すぐ近所にSという雑貨屋がある。昔ながらの雑貨屋だから、もちろん舶来品なんて置いてはいない。駄菓子からタワシまで、ベタベタに身近な小物であふれている店だ。ここに越してきて20年以上経ち、周囲の景観は変わってゆく中で相変わらずイナタイ店構えでやってる。
 それはそれで味があり好きなのだが、以前から店の主人が苦手だった。顔を合わせると「よお、今日はどうしたぃ?」と話しかけてくる。といって別にこちらを見知っているからでなく、さりげなく情報収集をしているのだ。とぼけた口調で所在を聞き出し、中途半端な時間帯に行けば「仕事、何やってんだっけ」と探りを入れてくる。下心なんてないのは分かる、下町に生まれ育ったオヤジの性なのだろう。ウザい上にゲスを絵に描いたような風貌で、母や妹なんかは一切利用しないが。
 しかし便利には違いなく、ちょっとした空腹とかタバコを切らした時に重宝しているのも事実。夜中に電球が切れた時も、11時過ぎまで開けてるのは有り難い。それでも最近は僕も(あそこで買う位なら、駅前まで行くか)と思うようになってきた。その原因は、みかんの不味さだった。
 口の悪い妹に言わせると「あそこの青果は昔っから腐ってた」という事らしいのだが、確かに品が悪いとはいえ食えない程ではなかった。それが近頃、買うたび後悔させられる事ばかりなのだ。袋に1個ぐらい痛んでるのがあっても仕方ないと思うけど、中身が干からびてたり皮が中身に張り付いて剥けなくなってるのばかりでは腹が立つ。20個入りで5個しか食えない! 妹いわく「仕様がないじゃん、それがSなんだってば」
 雨の日に傘差して帰り道、通りすがりの八百屋の店先に、カーバイト光に照らされて美味そうな果物…。いやいや、手荷物が増えると傘が持てないし。そう言い聞かせながらも、間もなく家の明かりが見えようかという場所に雑貨屋Sがある。降参々々、こりゃあ買うしかないよなぁ。このところ毎回、そういう思考ルーチンで不味いミカンばかり食っている。今度こそと期待して手に取る1個、3袋も購入したから45個の期待を裏切られ続けたら(頑張れ小売店)という思いはあれど0勝45敗15引き分けのミカンではいけない。
 食べたい気持ちがイメージする美味しさに遠ければ遠いほど、欲求不満は高まり不味いと感じるものだ。CMで肩透かしを食らうのが、このパターンだろう。そして、それとは微妙にズレるのだけれども「イメージした味と実際が違っているほど不味いと感じる」という事もある。Sで買った、グレープフルーツの缶詰が正にそれだった。ま、買う方も買う方なんだが。
 どうも僕は目新しい物に弱い。というか、どこかで心地良い裏切りを期待しているのかもしれない。中学の時にオシャレ雑誌でカンパリソーダなる飲み物を知り、酒屋の安売りでまとめ買いをしたのが始まりだった。僕が勝手に思い描いた(マイアミビーチの午後の味)と全然違っていて、その時からカンパリ=不味いと決まった。その後も、コーヒーの炭酸割り的なジュースで失敗していたりする。
 それはともかく、グレープフルーツの缶詰。缶切りで開けたら、出てきたのは煮しめたカズノコみたいな代物だった。缶ミカンの鮮やかさと比べて、何故こんな色を付けてしまったのか理解に苦しむ。しかも独特の苦み走ったシロップで胃がムカムカした。この場合は見た目が美味そうだった訳ではないが、はるかに予想を上回る不味さだったのだ。
 もっと分かりやすいケースでいうと、メキシコ旅行の「チョコだと思ったらモーレ・ソース事件」がある。モーレ・ソースは、世界3大ソース(なんかトムヤムクンみたいにウソくさいが)の一つと言われている、メキシコ料理に欠かせない調味ソ−スらしい。それを板状のルーに固めた物が、現地のスーパーで売られていた。それは一見、知らない人間にはどう見てもプレーンなチョコレートケーキだったのだ。
 一緒にいたメキシコ人に「指で取ってなめてみろ」と言われたのだが(そういう事は問題ないようだ)、僕は当然のように甘い物だと認識して躊躇なく口に入れてしまった。あれほど、見た目と実際の味覚にギャップがある経験は二度とないだろう…願わくは。最初に物凄い違和感だけがあり、次の一瞬には咳き込みながら「おえ〜!!」と叫んでしまった。超甘口カレーのルーを、親指一本分ぐらい食べちゃったのだ。しかもチョコケーキだと思い込んで。
 で、何の話だっけ? そう、見た目と味のギャップについて。ついでだから書くが、山口県のスシの話。ちょうど持ち帰り寿司が流行り出した頃で、小学生の僕は好物のマグロを最後に残して折り詰めを食べていた。いよいよメインディッシュ! と思ったそれは、口に入れたら赤身ではなく奈良漬けの握りだった。まだアボガド巻きなどというニューウェーブ寿司が話題になるより数年早く、山口県の持ち帰り寿司では。漬物を握るなっての、オニギリじゃねえかよ。
 あと、韓国の高麗人参ガムね。これは逆に案外いけた、さすが奥地の恋人ロッテだけはある。ゴボウみたいな独特の土臭さを美味いと感じる、そんな意外さも含めて。パッケージは板ガムのコーヒー味に似た色で、ちゃんと高麗人参のイラスト入りだった。
 とまぁ、とりとめなくも趣旨一貫した話題ということで。

平成15年12月2日

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2003年11月17日

28*メキシコ旅情・予告編

 間もなく(といっても少し先だろうけど)、新たな旅日記が始まります。
 まぁ古い話ではありますが、以前の原稿を書き直し「メキシコ旅情」と銘打って(byぴょん)連載していく予定。自分で言うのも何ですがね、これが実話見聞録!?って疑いたくなる位に非現実的な旅でした。って、旅をすること自体が非日常なんだけど。後は、それを伝えられる筆力があるかどうかにかかってくる訳だなあ。それは…読んでのお楽しみという事にしといて。
 で、今回は予定を変更して「メキシコ旅情・予告編」なのです。一口にメキシコといっても大方のイメージとは違うので、前知識として読んでいただこうかと。実を言うと、まだこんな発表の場が出来るなんて想像もしなかった1年以上前の文章でして(故に題名も違ってます)。手抜きしたい訳じゃないんだけど、原文ママで載せちゃおうと…。いえいえ本当に、怠けたいとかじゃなくてアレですから何というか。
では以下本文。

「25days of Cancun(&Havana)」
はじめに
 1996年の9月から10月にかけて、僕はメキシコのカンクンに行ったのよ。キューバの首都ハバナにも3泊4日したけど、まぁこっちはオマケの小旅行だね。
 かなり古い思い出話になるんだけども、なかなか面白かった。今になってみて、自分でも(マジで?)と思っちゃうような事ばかり。省略と脚色もあるけど、僕自身の体験に基づいているんで作り話じゃないですよ。別にネタ作りに無茶した訳じゃないのに。
 しかし、なんでまた?
 ハバナは小旅行だから置いといて、なぜカンクンに行ったのかを説明しときます。
 いきさつは、過去に数年さかのぼって、僕が英会話を習いに行ってた頃。そこで、トニーというアメリカ人の先生と知り合いになったの。で、気が合って一緒に遊ぶようになって、メキシコ人のエドベンとも仲良くなったってな訳。
 エドベンは、トニーのルームメイトで、しばらくして実家に帰ったのね。で、忘れた頃にトニーから「今度メキシコ行くんだけど?」と誘われたの。エドベンちに。それが、この年の春先だったんだ。
 トニーは4月に「日本での就労ビザが切れるから」って先に出発、僕は金ないし数カ月遅れて現地入りと相成った次第。でも我ながら図々しいよな、本当に行っちゃうんだから。
 それまでも、トニーは海外行く旅に誘ってくれてたんだけど、やっぱ社交辞令だと思うよね普通。でも今回は洒落で「じゃあ行くよ」って言ってみたんだわ、したらエドベンも「早く来い」って。こういうのってアリなのねー! 信じらんなかったけどバイトして親にも借金して行っちゃった。そんでエドベンちの2階に間借りしてたトニーの部屋に、居候。
 ま、そんな経緯でカンクン。
 それはどこか? と言いますと、メキシコ南部のユカタン半島の先っちょ。最近じゃ日本でもチョイと知られるリゾート地、白い砂浜と青いサンゴ礁でハネムーナーも御用達だとか。ホテル地区だけでもアクティビティ充実だし、近場には世界的なダイビング・スポットや、マヤ文明の遺跡もゴロゴロ。
 当然ながら、暑い! 特に7〜8月は非常に暑い、とトニーが言っていた。秋はジュビアと呼ばれる雨季に入るので、比較的マシなほうらしい。赤道よりは北にあるけど、それでも充分暑いのは確か。
 物価は、観光地だから地方より高いけど、まぁ日本と比べりゃ安いんじゃないかな。高級ホテルにいた訳じゃないから分からないけど。
 治安も、他の町よりは全然良いみたい。貴重な外貨収入の拠点だし。ただ郊外に行くなら覚悟はしといたら? っていうか、暗い夜道だって保障はできませんが。
 それから文化は、北部のメキシコシティとかのとは全然違うみたい。テキーラよりもラム酒、まさしくそんな感じ。スペイン人よりマヤ人の血が濃いから、間違いなく不精ヒゲは嫌われる。というか、怪しまれるので止めましょう。
 あとは読んでみてね〜。
 英語も日本語も堪能なエドベンと,彼の家族の好意に感謝。グラシアス!
 もちろん、トニーにもね。

…という訳で新春大公開! というのはウソ、近日中に(という気持ちで)。

平成15年11月13日
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27*無いが有って生きる物

 台湾で飲んだ烏龍茶は美味かったなぁ。今まで飲んでいた缶のそれとは、まったくの別物だったの。
 急須でいれた茶の味には、広々とした風景があると思う。今までで一番美味かったのは、薩摩琵琶の師匠に出された緑茶。折り込まれた風景の豊かさ、とでも言いましょうか。
「一杯の茶を味わうには、心が今ここに留まっている事だ」…折に触れ思い出す、ベトナムの詩人の言葉。心が遠くにある事に気付かなくたって、いつも感じていると錯覚したまま過ごしていられる。しかしながら本当に(うまい)と思える、そんなコーヒーやタバコが一日にどれくらいあるだろう?
 引きこもり、に関するトークセッションのような番組を観たのね。
 そこにいた多くの人は自身の状態を自覚して、その状態を変えたいと思っている人だった。そんな彼らの一日の過ごし方は、超インドア派の僕と大差ないの。ただ僕がそうする時は好きで選択している訳で、彼らは自身の選択としては選んでないんだな。他の選択肢が分かっていても選べない、と。好きじゃない事をしてると、自分の心を傷つけるよね。
 誰の心にも、不確実な自分自身を定義しようとする意志があるとする。それは外界と自分とを測る、自分自身が便宜的に創造した座標プログラムなの。なのに自分以上の価値を与えてしまい、すべての権限を譲り渡してしまう。方位磁針で包囲自身(…冷)。
 ところで、町なかの傍若無人な人が目立つようになったと思わない? どっちも根っこは同じだったりして。何でも真正面でキャッチして応えようとすれば、誰でもキャパオーバーになってしまうと思う。としたらさ、手前勝手な振る舞いってのは案外「自分のキャパ内で何とかしよう」っていう必死さの一種だったりしないかな?
 ある意味「普通の生活」というのは、心を閉じてないと保てないのかもね。自分にとって関係ない(と思っている)事柄には感覚をマヒさせる、その能力を「健全」と定義してるのかも。だけど何かの弾みで重要性の遠近感が一緒くたになったり、そりゃあ目詰まりを起こしたりもするだろう。
 もしかしたら、現代人(なんか古いね)の心境に「現実に閉ざされるより、心を開け放っておきたーい!」という欲求があるんじゃないかな。つまり社会の窒息状態に対する意思表示・・・というより人の心ってデフォルト設定はフルオープンで、閉じている事の負荷が重いのかも。もしも本当にそうなら、引きこもる感覚が社会に還元されれば相互にとって良いのに。だって部屋の外に出られる人も出られない人も、どちらも広い世界で息をしているとは思えないんだわ。
 もっとも、社会のほうが隔離しようとしているという考え方も出来るかな。この世界の仕組みにとって、機能しない要素は排除しようとする意識。ポジティブである事、結果を出す事を求められる。向上を善とする、その他に選択肢のない空気…。と、突然アテネオリンピックの話に。
 巷の噂では、現地が呑気に準備してて開催が危ぶまれているって? なんか良いなぁ〜、そういう俗に言うローカル・タイムって奴。効率なんかと無縁でさ、GMT(標準時)でキッチリやってる世界とは対極な感じ。必ずしも(楽しく働いてまぁす)って訳じゃないにしろ、使役されてる感てのは少なさそう。もちろんGMTの良さも恩恵も分かってる、だから共存してゆける余地があればと思うんだ。
 最近、面白い話を読んだ。働きアリの中には、まったく仕事をしないアリというのが一定の割合で存在しているらしいのよ。それで思ったのは、老子の「有るというのは、無いがあるから役に立つ」というような言葉。
 もしも健全な人達が変化を恐れないのなら、排除されていた人の彩りを加えてゆけるのなら、この視界は更に豊かになりそうな気がする。そういう余裕が心にあれば。
 一杯の茶を味わう、という困難さ。

平成15年11月17日
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2003年11月11日

26*YFS&NQ

 YFS&NQ。これは僕の造語で、しかも大した意味はないの。YESでもなくNOでもない・・・まさに見たまんまなんですけどね、つまり(肯定する条件には足りないし、否定するには多すぎる)という。
 なんかね、世間ってのは実際そんな感じがするの。まぁ現実って理想どおりいかないけどさ、それにしてもパズルのピースが全部ガタガタなのってのもねえ。
 たとえば社員食堂なんかでTVでも付いてて、あちこちのテーブルで食事しながら話をしているとするでしょ。選挙とか中東和平プロセスとか、身近な犯罪とか事件の裁判とかのニュースをやってたりして。まぁ軽い話題というノリで、割と普通に「クビにしろ」とか「死刑だ」とかいう物騒な言葉が飛び交ったりする。
 だけど、ふと考えてしまうのは(今ここで話されている、無責任なジャッジは何か?)って事。色々な場所で同じように、色々な人達がTVに向かって投げかける言葉。そんな軽々しい言葉でも、総量としては相当なものだろう。町中の空気が、それらの言葉で一杯だとしたら。その中で起こっている、そうした出来事って何なのかな? って。
 というのも「物質の最小単位はエネルギーであり、観察者の期待が物体の動きに反映される」という話を思い出すからなんだ。それが真実かは別問題で、ただ自分の言葉にある力が目に見える事象にリンクしてないとは思わないのね。
 常に暴力的な発言を繰り返す人と、そうでない人は同じ場所にいても別の世界を生きている。初対面で「キライ」と思ったら、相手も同じ印象を持っているらしい。わざと人を不愉快にさせるより、逆のほうが自分自身の居心地も良くなる…。より具体的に言うなら、こんな感じで個人の内と外はリンクしてると思うの。
 反対だけなら動物でも出来る、非難だけなら幼児でも言える。…そんなフレーズが頭に浮かぶんだわ、競争原理に染まった姿勢では「勝ち負けのないゲーム」なんて楽しめそうにないもん。だけど僕も、勢いで口走ってから思わず口をつぐんだりしてるんで、偉そうに言える義理じゃないんだな。で、YFS&NQという訳。
 だって僕には平和とか平等って漠然とし過ぎてリアルじゃないし、暴力を否定する気もないのね。薬も過ぎれば毒になるって段じゃないけどさ、何かと比較して強すぎたエネルギーでしょ? その余計な分の力を打ち消して無力化すれば無駄じゃないだけで。もし仮に暴力を地上から撲滅したとして、それで得られる平和とかが幸福とは思えないんだな。
 暴力に直面するのは苦しいに違いない。でもその状況を強制排除できるチカラは、苦しみ以上に強力な何か…いわゆるパワーかフォースのどちらか。即効性があって目に見えるパワーのほうばかりで、別な要素について語れる人がメディアから消えてしまう現実って残念に思うよ。
 ではYFS&NQを、フィクションとノンフィクションの世界で考えてみましょう。というのは、どこかで読んだ「通貨や時間などは虚構の制度」という文章が引っ掛かっているからなんだけど。
 お金なんかは単なる決まり事で、所詮は社会集団の幻想なんだって。本当は存在しないけど、必要を感じてYESのスイッチを入れているに過ぎないと。それで一本の木よりも、ゼロ(無存在)に価値が生まれてる。なるほど、そう考えて見渡すと日々の暮らしはフィクションの中だ。海に浮かべたボトルシップみたいだ。
 では何がリアルなのか? そこで思い出すのは、ある作家が使っていた「体の言葉」という言い回し。話す人自身が自分の体で身につけた、体験から生まれた言葉。他人の引用や意味ありげな常套句より、理屈じゃなく気持ちに収まるような。言葉が生きている人になんて、滅多に出会えるもんじゃないかもしれないが。
 我想う、故に我有り。始めに音ありき。…そして世界は満ちたり。

平成15年11月11日
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2003年11月07日

25*町の匂い、土の記憶

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 八丁堀のビジネスホテルに泊まったのですよ。
 時代劇の捕り物で知られる町名だけど、東京駅から程近いオフィス街なのね。とりたてて何があるでもない、直線道路に箱を並べたような町。家から銀座までの途中にあるので、車やチャリなんかで通りがかった事は何度もある。まあ、割と見慣れた町並みな訳よ。
 でも面白いもんで、今まで通過点としか思っていなかった場所も、たかが一泊とはいえ宿を取り食事処を選ぶとなると、初めて来た町のように見え方が全然違ってくるのよ。店構えは今風なビルの一階でも、昔ながらの看板を掲げてるのに気が付いたりとか。そういった隅々に染み込んでる、他のどこでもない時間の積み重ねが浮き出て見えてきたんだわ。
 なんかねー、どうも小綺麗な区画にそぐわないんだ。オフィスビル街になってても、なぜか未だに古い家並みの気配がするんだよ。しもたやと敷石と板塀の、ヤツデと苔とイチジクの匂い。八丁堀という土地柄、江戸の門前町として商売や卸売問屋が軒を連ねた頃の名残か? そんなのは、もはや裏通りの道端に、微かな形跡を留める程度なのに。
 それは自分が生まれるより昔の匂いで、本当は知ってる筈がないんだよなぁ。だから実は妄想とか錯覚なんだろうね、でも「土地の記憶」みたいなものが感じられる時ってあるよね? 自分が見ている景色と、感覚的な情報が一致しないような違和感。
…という話題と矛盾しちゃうんだけど、都市近郊の風景って無機質じゃない? 産業道路と安っぽいレストランと中古車センター、みたいな。シアトルでも台湾でも、そういうのって同じなのよ。たとえば北綾瀬とか、国道一号線沿いの眺めと一緒。まるでベタ塗りで、土地の匂いを拭い去ってしまいたいのかって思う。
 こうやって考えるのは目茶苦茶こじつけだとは思うんだけど、やっぱり人が住み暮らしてきた歳月と関連してるのかねぇ? 八丁堀なんかだと江戸時代から500年位は往来の行き来があってさ、それに比べりゃあ町外れの閑散とした場所は人の汗が染み込んでるとは思えない。仮に大昔から道があって家も建ってたにしても、土地の匂いが感じられない場所ってのは昔も寂れてたのかもね。
 そう。僕がいう土地の匂いは、つまり気配みたいなものの事なんだな。人間の息遣いじゃなく、その場所に残っている記憶というか。もしかしたら八丁堀の地面は、ここ30年ほどで作られた風景に未だ順応してないのかもしれない。まだビル街に変わる以前の残り香が、どこか抜け切ってないような。
 ところで、大阪を車で走った時の話。電車とかで行って、現地を歩く目線で見てるのと全然違うのね。運転しながら眺める大阪の町は(東京とは別の文化で成り立っている)って実感したのよ。歩いてても4車線の大通りが一方通行だったり、東京じゃ日本橋近辺の問屋街しか有り得ない光景を見かけるけど。
 車を走らせて感じた違和感は、そうやって説明するのが難しいんだな。変な譬えだけど、トワイライトゾーンに紛れ込んだ感覚というか。SF用語で「パラレルワールド」って言うんだけどさ、過去に別の選択をしたら存在したかもしれない世界に入り込んでしまったみたいな。自分の見知っている、東京と似ているのに何かがオカシイ。
 同じ道路、街路樹、標示板、交差点…。なのに、何か決定的に違う感じがするの。個々のアイテムは共通してるけど、別の知らない発想に基づいて配置されてたような。思うに行政が明治以降に全国統一の道路整備を開始する時、すでにインフラ基盤があった大都市は旧来のフォーマットを活かしたんだろうね。
 だからきっと、その都市の思想みたいなのが違和感を生むんじゃないかな。東京の下町は昔、江戸城の門前町として他藩から侵攻をくい止めるような道路設計にされたそうな。平たく言えば、わざと見通し悪くてゴチャゴチャした道にしてたのね。戦後の区画整理もあって、今は良くなってきたろうけど。
 それから、これは大阪に限った話じゃないんだけどさ、やっぱ関東平野を見慣れていると山が見えるのは不思議な感じ。まだ田園地帯なら平気でも、都会じみた背景に山があるのは圧迫感を覚えるなぁ。とはいえ、ユカタン半島(メキシコ)の果てしなくフラットな光景も異様だったがね。
 なんかオチがないけど、まぁいいか。…って、前にもあったかな?

平成15年11月7日


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2003年10月29日

24*孤独と踊る者

 先程、母親から将来の心配をされてしまった。

 ま、客観的にも当然といえるかもしれない僕の生きざま。今まで何度も繰り返し話し合い、その度に僕は気持ちを新たに思うのですよ。道なき道をゆく覚悟、といいますか。

 しかし年を取ると心配性になるというが、母親が子供の心配を生きがいにしてるのなら一種の親孝行かもしれないね。祖母の話なんだけどさ、昔より母親の事を心配するようになってきてるの。僕から見てると(ばあちゃんはおふくろをダメな大人だと思ってるの?)って言いたくなったりして。母親は黙って言わせているんだけど、ああいう親子関係を僕と再現しようとは思ってない筈なのに。やっぱ見え過ぎる距離だから口を挟みたくなるのかね。

 年寄り全般、心配が好きだなって思う。それは相手が頼りないからじゃなく、構って欲しいからなのかなぁ。干渉にかこつけて、まだ自分が必要とされていると認めてもらいたがってたり。要するに寂しいのか、素直じゃないんだから。年と共に遠回しになってくものなのかね? アレ困るよ、気が利かない僕には。

 僕は、故・天本英世氏のように老いたいと思ってるんだ。あの人はクリーニング店の隅に寝起きして、開店前の早朝から店が閉まる夜まで外を歩き回って暮らしたのだそうだ。そして大好きなスペインに出掛けて、また日本で仕事して。そんな逸話を聞いた時、僕はドキッした。僕は、そんな朝の天本氏に出会っていたんだよ。

 その頃の僕は親元を離れて暮らし、初台で遺跡発掘バイトをしていたの。前夜の居所を早く追われてしまい、冬の早朝から始業時間まで行く当てもなく公園のベンチに座っててさ。霧の濃い早朝で人気もなく、背の高い痩せぎすの男が音も立てずに歩いていたんだ。結構シュールでしょ? 僕も薄気味悪くて非現実的な想像に駆られたもの。

 そう。ユダヤ教みたいな帽子の下は白髪で、その人の不思議な静けさを湛えた表情は今も妙に思い出せる。だけど実際の天本氏については、実はよく知らない。ただ僕の中では、あの光景と彼の逸話がリンクしたんだ。年を取るというのは孤独な事だとしても、あの表情には一種の強さがあった気がしてくるんだよ。

 周りの友人は家庭を持ち遠ざかってゆくし、やがて家族は死んでゆく。そうなってから絶対的な孤独に気付いたりしたら、それは何て耐え難い事だろう。結婚して仕事して子育てしてさ、忙しくて感じずに済ませていても孤独が消えた訳じゃなかったって。

 最近、年寄りと接する機会が増えた。小姑みたいで煙たがられてる人なんかは「このこのぉ〜」って、こっちからベタベタ触ってると孫に甘えられてるような顔になるから面白い。どっちが甘えてんだか。僕が顔を合わせるのは昼間だけど、分別ありそうな人なのに夜中になると暴れ出したり錯乱したりするって話を聞くんだわ。やはり不安が不安を呼んでパニックになるのだろうか…? 

 それはもちろん環境のせいでもあるけれど(病院というのは患者を管理し制御する仕組みだから、ある程度の個人の尊厳は剥奪されてしまうのだ)、老いるとは「死に近い場所を生きる事」なのかと思う。わがままも痴呆も、死という絶対的な孤独への恐れと抵抗の手段かもしれないって。

 あらゆるものが去ってゆくのを肌で感じながら、それを受け入れる以外ない日常。分かり合える人も身につけた知恵も失われてゆく、だから人の手を求めたくなり、非現実へ目を逸らしたくなったりするのかな。誰も自分の話は聞いてくれないし、自分のために立ち止まる人もいない。

 彼らの目に光を見た時、見知らぬ異国で話し相手を見つけた時の目付きだと思った。そして逆に、互いの焦点が繋がる瞬間まで、向き合ってる筈の僕らの心が絶縁体のように離れてた事も解ったんだ。どんなに太陽を眩しく暖かく感じてたって、それも光速8分の一方通行でしかないように…。って、分かりにくい譬えだなぁ! そんな孤独があるって事さ。

 今の僕に打つ手はないし、それに孤独を手なずけるなんて無理だとしても、その手ごわい相手と仲良くやっていく道はある。それが僕の中の、天本氏の静かな表情なんだ。

平成15年10月29日

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2003年10月18日

23*内省的な初冬の気配

 あ、もう夜中だ…。なんとなく喉が渇いて、飲み物を買いに外に出る。
 毎年の事のような気もするけど、冬の星座と夜の匂いは(父親とマラソンしてた小学生の僕)にさせるなぁ。今年も早々と、そんな季節になりましたか。
 しかし真夜中に外出するの、割と久々だわ。高校生から20になる時期に続いた、行き場のない夜と変わらない。空気が澄んでいるせいか星が良く見えて、明るい下弦の月が眠そうに僕を見下ろしていてさ。
 ところで、自販機の下に必ず下水のフタがあるのは何故かしら? やはり店主は、そこに誰かが落とした釣銭を回収してるのかなぁ?
 最近になって突然、友人Nが古い文庫本を返却してきたのね。
 僕が中学2年に転校してきてからの付き合いで、一人旅とMTBの師匠で現在は唯一のバンドメンバー。で、先日のスタジオ練習の後で彼が「部屋の中を片付けてて…」と言いながらセカンドバッグ(しかもニセモノの!)を取り出してきたのよ。
 どこかで見覚えのある、と思ったら僕の物でさ。中に入っていたのは、フリージャズのピアニストが書いたエッセイ。なんだよ、それも僕のじゃん。すっかり忘れてた、でも今になって…?
 本屋の付けたカバーに、若かりし僕の文字で「昭和57年9月10日」と書いてあった。という事は、まだ14歳だった訳か。ちょうど祖母のアパートで一人暮らしを始めた時期だ、というか彼と知り合った年だ。一人で映画や美術展に行き、初めてのライブに行き、フリージャズを聴きに行ったりしてたっけ(だって他に興味が一致する人がいなかったんだもん)。
 そうだ、筒井某の全集を買い揃えていたのもこの頃だ。その作家の熱烈な信奉者だった僕は、彼の影響で山下某というピアニストのエッセイを読んだのだった。そして、六本木のPというライブハウスにまで聴きに行ったんだわ。
 そうそう。アメリカンニューシネマの影響で米軍のフィールドジャケットを着て行ったが、なぜか恥ずかしい事に髪形はアイパーだったんだぞ。チャージという新しい概念の入場料を支払って、外で初めて酒を飲んだのだ。あれはジンライムだった。あと、演奏が始まる前に、スーツ姿のヤサ男に話しかけられて気が動転したのも覚えてる。
 初めて聴いたフリージャズは、ナベサダやオーレックス・ジャズフェスしか知らない僕には理解不能な約束事と緊張感の洪水だった。ガキだった僕には異質すぎて、気取った背伸びを即座に後悔した。だけど徐々に混乱と興奮で訳が分からなくなってしまったのは、単なるデタラメじゃない(何か)があったからなんだろう。
 その(何か)としか言えないものが、僕をハイにしたんだ。混沌とした渦の中に溶け出した時、自分もプレイヤーの一人のようになった。キメや、主題に入るタイミングが霊感のように降り注いでくる感じ。フリージャズは、集中して向き合う事を求められる音楽だと思う。真剣にならなけりゃ何も聴こえてこないんじゃないかな、って。
 その頃の自分は何かに飢えていたし、音楽にしろ現代芸術にしろ貪欲に向き合っていた気がする。物の譬えに「レコードを擦り切れるまで聴いた」というが、まさにそういう状態だったんだわ。80年代前半にはまだそんな時代の空気が残っていたし、当時の自分もまた必死になって何かを掴みたがっていた。それがうまく重なった時に、僕はフリージャズと出会っていたのかな。
 もしも今の自分がフリージャズと初めて出会っても、それほどまでには感じられない気がする。新奇な要素を受け止める熱が、自分の中に確かめられないというか。あんまり認めたくはないけれど、多分そういった理由で僕はフリージャズから離れてしまったのだろうなぁ。心地よいものに魅かれる事自体は、自然だと思うんだけどね…。
 センチメンタルと微妙に異なる、そんな内省的な気分にさせる初冬の気配でした。

平成15年10月18日
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2003年10月12日

22*唄と天気雨

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 久しぶりに、気持ちの良い雨上がりに出会えたな。
 仄かに温かく、しっとりとして澄んだ空気。なんと言いますかね、空も鳥も木々も耳をすましているような感じがする雰囲気。おまけに、ドラマチックな夕空。呼吸が新鮮。
 改めて思ったのは、やっぱり僕は天気雨と雨上がりと虹が好きだって事。正確には(それが好き!)っていうより、その状況の一瞬にシアワセな気持ちがあるんだと思う。僕の幸福って、遠くを捜さなくても間に合ってしまうのね。永続性はないけれど。
 逆に考えてみると、これから先の人生に何が起ころうと(そういう些細な日常の中に潜むシアワセは、不幸に感じる時も救ってくれるんだなぁ)という気がする。僕の選ぶ頼りない行き方の中で、それは心強い支えにも思えたりして。
 僕は時々、自分の唄を作るのね。で、最近の詞のモチーフが割と(その辺)にある気がするんだ。以前の詞が押し付けがましく聞こえるようになってきて、僕は(自分の外側に向かって何を言ってるのか?)って思ったんだ。言うべき事など、何もなかったんだわ。
 誰でも、大切な事を知らない訳じゃないんだよね。何かを訴えたり、説明したりするコトバでは伝わらない要素を。そういう何かを思い出す一瞬って、たとえば僕にとっての雨上がりみたいな空気があるんだろう。すべての輪郭が白く輝いている事、自然の物も人工的な物も等しく光を放っている事に改めて感じ入るような。
 ところで、自分で作詞作曲した唄だけで250近くあった。他の人に詞を提供して編曲した物と、唄のない曲は除外した数でね。ノートやテープに残ってないのも、もう唄えなかったりするのも含めて。ハタチから作曲を始めて、単純計算で1年に約15曲かぁ。一番古い唄の歌詞は20年前の物だから、13歳の時に書いた詞だわ。
 こんだけやっててプロを目指さなかったのは、自分でも不思議。好きな事して飯を食うのは、もちろん望むところよ。だけど自己満足というか、自分の中で完結してるから好きなんじゃないかなぁ。別にプロじゃなくても、僕は唄うたいな訳だし。
 たとえば絵を描くのがそうだった、と思うのね。課題のために描いているうち、あざとさが目について楽しめなくなっちゃった。描く事そのものは嫌いじゃないんだけど、何かが違ってしまったから。僕は自分のビートで踊らなきゃなぁ、と。
 小さい頃に学校で「将来の夢」というのがあって、僕は「作家」と答えたのね。何かを創る、という意味で。その点に関してなら、もう夢は叶い続けているんだなあ。誰かに認められなくても、自分自身が太鼓判を押してんだから間違いじゃないでしょ。
 あとは声の出し方なのよ。自分の作りたい唄が、自分の唄い方と合わなくなっちゃったんで。今までは(上手くなろう)とか全然なかったのね、ギターの弾き方にしてもそうだけど…。という事は、以前よりも僕の自己完結の範囲が拡がったって事かな? 相変わらず自分のためではあるけども、自分の唄をイメージどおりに表現したくなってきたとか。
 という理由もあって、ちょこちょこと近所の空き地なんかで練習してたの。仕事の後、日が落ちるまでの何十分でもね。ここしばらくは日が短くなってきたしサボリ気味、秋が深まるにつれ指がかじかんだりして余計に腰が重くなるんだろうな〜。南国指向の僕としては、寒い季節は今一つ精彩を欠くというかインドア志向に拍車がかかるので。
 それでも冬の匂いだって嫌いじゃない。おいしい水のような風、内側が凛としてくる感じは寒さの中でしか味わえないね。運よく雪の朝に出歩いたりすると、尚更に。寒い国に憧れる人の気持ちも分かるな、僕は行かないにしても…。ま、旅というのは色々な人との出会いに尽きるけど。
 こないだ大阪に行った時、梅田のタリーズコーヒーで異国の空気を感じたのよ。雨雲が去った薄日、穏やかな風と空気感が時間の流れ方を変えたみたいだったな。僕の好きな、ゆったりとした南国の時間。それは案外と近場にもゴロゴロしてるのかもしれなかったんだ、南国じゃなきゃダメだと思い込んでいただけで。
 まさにトラベリング・ウィズアウト・ムービング!…って、そういえばジャミ○クアイどうしてるんだろ?

平成15年10月12日


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2003年10月06日

21*不思議な物体

 芸術の秋…という言い回しも使い古された感のある昨今ですが、久しぶりに展覧会というものを見てきました。といっても、展示されてるのは「アート」なんてベタベタしたもんじゃなくて「物体としての人間」なの。生前に了承を得ている遺体を特殊加工で固めて、それを様々な切り口で見せる趣向だったんですね。何だか、すご〜く楽しそうでしょ?

 って、そんなキワモノ見たがる人が多すぎて驚いちゃったよ。うっかりすると格調高い油絵なんかのよりも混んでた、でも大方を占める若者は医療系の学生さんだったみたい。医学的な専門用語で鑑賞してたし。つまり僕みたいな興味半分というノリに合わせたエンタテイメントではなかったのね。それでも毛細血管だけの肺を見て(サンゴみたい)とか思ったり、生後3カ月と4カ月の胎児では大違いって事に感嘆したり。

 受精した卵子が、人間になるために細胞分裂してくのは2→4→8→16→32…って、まるで音楽のビートなのね。更に64→128→256…って増え方、コンピューターのメモリ容量? みたい。面白い符号だよね、なぜ倍々なのかなぁ。そんなの別に面白くもないって? 実は僕もなんだけさぁ、しかし誰もそれを不思議に思わないくらい当たり前って、どういう事なんだろう。一見して当然なのは、それが人間にとって(あるいは生物にとって)普遍的な要素だからかもね。

 ところでジョージ・シーガルというアーティストがいて、彼の作品が僕とアートの最初の出会いだったの。まぁ80年代初めの話だから、今ではもう現代美術の中でも古典に属するのかもしれない。人を石膏で型取りして提示する、近頃は「フィギュア・アート」なんて呼ばれ方をされたりしてるタイプの原型といってもいいんじゃないかな。立像のサラリーマンとか、額に飾られた妊婦の腹部とか、レリーフ状の性器とか…。僕はそれを思い出したりもしてたな。

 たとえ学術的な目的だろうが死体だろうが、飾ってしまえばショウ(見世物)なんだなぁって思った。神経組織の人体、骨格の人体、血管の人体、筋肉の人体…。表皮と皮下組織で縞になって、皮膚の各部がハッチ状に跳ね上がって、片側の付け根を切り離された筋肉を放射状に拡げて…。あまりに芸術的な職人技なもんで、ここまでくると人体を鑑賞するかテクニックを鑑賞するか迷っちゃう。フグの刺し身なんかでさ、見事な包丁さばきで盛り付けられてたりするじゃない?

 そんな不埒な僕の傍らで、眉をひそめながら「モデルになった人がいるんでしょうに…」と言った御婦人がいたの。確かに、その人が御存命なら侮辱に値するわな。でもこれが本人だし、こうやって見やすく加工するのに何体もの試作品があったんだよね。失敗作として、日の目を見なかった人体の山が。

 免罪符の如き「学術的な展示だから」という名目を取っ払ってしまえば、そこにあるのはグロテスクな好奇心なんだな。場内の、医学的関心を意識した真剣な視線。その中に、きっと皆(死者への冒涜)という罪悪感から逃れる言い訳を抱えていたんじゃないかと思う。でもさ、免罪符なしに楽しめない事のほうがグロテスクな気もするよね。何かの理由で人は死ぬんだし、死体は死体なんだしさ。

 この文化では「食人族」ってグロテスクの権化のように言われたりするけども、もしも彼らがこの状況を見たら(何!?)って思うだろうね。彼らが食べるのは人の肉ではなくて、特定の誰かである事が重要なのだそうだから。この会場に飾られているのは死体と呼ぶ以外に名前を持たない物で、そこに群がる人々は異様に映るに違いない。死体なんて滅多に見られないような世の中も含めて。この過密社会で生きてるのは決して不死の人間じゃないのに、死体は町のどこにもない。今じゃあ、西洋医学に看取ってもらわなきゃ往生もできない社会…。

 でも一番面白かったのは、会場の外かも。

 どうやらビジュアル系のライブがあって開場待ちしてたらしいんだけど、周囲がコスプレ少女で埋め尽くされていたのね。なんとも皮肉めいた偶然! 片や「素の状態」というか究極のミニマムな人体で、それと比すれば装飾過多な「自分ではない自分へと肥大しようとする指向」が外を取り巻いている訳さ。出来過ぎてる。

 物としての人体に、これほど執着する奇妙な心理よ。皮を剥がれた人体に群がるのも、何の格好だか着ぐるみを被ったようなのも、何かが共通してるような。

平成15年10月6日

posted by tomsec at 22:34 | TrackBack(0) | 空想百景(ALL) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする