2006年12月28日

90*誰かの責任

 人間というのは、絶えず考え事をしてるらしいねぇ。一日平均で何万だか何十万だか、たとえ無意味な妄想レベルだとしてもね。つまり起きてる間ずっと、脳みそってのは休まないんだなー。
 他の人は知らないけどさ、僕には何もしない時間てのが結構あるのね。そんな時は見かけによらず、ものすごーく考え事をしてるのだと胸張って言える場合もなくはないけど、大抵はその前段階にいたりする。ぼんやりと。
 そうやってぼんやりしてると、いろんな事を思い出したり気になったりして、でもそれが自分に関わりのある事柄だったりする事は少なくてさ。本当に毒にも薬にもならないような、まぁとりとめもないないような。だからこそ、純粋に楽しんでいられるのかなって思ったりもして。
 ともかくそうして過ごすのを好むあまり、用もないのにトイレで座り込んでみたり、やたら長風呂してみたり、すぐ横になったりする。部屋の隅っこ眺めてるだけで何か思いついた気になって、その辺のメモ用紙に書き込んでみたりして。

 大樹の種には100年後、
 大きく枝を張るために必要不可欠な要素が詰まっている。
 こんなに小さい種の中に。
 だけどそれを大きな樹に変えるには、
 水と土と、光と風が大切なのだ。
 虫や鳥やけものが、助けてくれるのだ。
 一粒の種が生まれるには、他の木だって必要だった。
 取るに足らないものだって、
 種が秘めた大樹の未来のためには、
 いつか出逢う水や土や、光や風や、虫や鳥やけものにとって大事なものだ。
 そして大樹は、捻じ曲がろうが朽ち果てようが、
 それらのすべてに役立つのだ。
 だから種は芽を伸ばさねばならない。
 根を張らねばならない。
 水に流され、風に吹かれ、虫に運ばれ鳥に呑まれても、
 広い世界には然るべき余地が残されているものだ。
 種は小さいが、殻はかたい
 その殻を打ち破る力こそが、大樹の源になっている。

 2006年を象徴する言葉が、命なのだそうだ。ふぅ〜ん、なぜだろう?
 いじめも凶悪犯罪も本当に「史上最悪」ではなくても、その言葉は報道の世界でいとも簡単に使われてるね。その文字が踊れば踊るほど、数字は跳ね上がるようにも見えたりして。
 それは単に平和だから、他に紙面を埋めようがないだけかもなぁ。でも不安をあおりながら何かの口実にしてんじゃないかってね、なんとなく物事の観点を誘導されているような感じがするんだよね。別に陰謀論って訳じゃなくてさ、慎重に見定めたいってコト。
 いじめ加害者に対する罰則を設けたり、犯罪防止に監視と管理を増やしたり。それって医学が患者を薬漬けにしたりチューブで生かしたりするようなね、違うかもしんないけど。根本を見誤ってるような、責任ってのがたらい回しされてるような。
 あと経済システムの在りようが、人との間でも当たり前のように通用しちゃってるけれど・・・。なんちゃって、実はまったく疎いから戯言として受け取っておいて頂戴ね。でも端からは金融取引が(合法的に理屈が通れば無礼講)ってな仕掛けにしか思えないのさ、資本金が大きいほど有利に出来てるし額面の大きさが発言力に比例するっていうね。
 その論法でいけば旧来の社会道徳やら人間性とかに価値はない訳で、すると某IT企業の社長さんだかの方が筋道立ってる道理になるじゃない? 調子に乗りすぎてお灸を据えられちゃったけど、それだっていじめとか凶悪犯罪への答なき対処と似てないかなー。
 日本に入ってきた外資系の雇用ってのも、土台が違ってる上に都合よく乗っかってる気がしてさ。昔っからの親方日の丸なんざ効率悪い、会社経営でいえば合理的じゃない。って、そうやって目先で手前ばかり見てるから全体で辻褄あわなくなってるのかもよって。
 おっと生意気が過ぎましたね、見当違いの放言をお詫びします。ただ「問題を世の中のせいにしたら解決しない」って言い方を聞くとさ、結論だけ欲しがってるというか他人事なんだよね。自分のケツ拭かないで「臭い!」って騒いでる・・・って喩えがキタナイねぇ。じゃあ誰に責任取らせるかって急きたてるなら、その人のせいでもあるとは思いませんか? って事ですよ。

 そうなのよ、本当は責めたいんじゃないんだよね。言葉の調子じゃ非難がましく受け取られたとしても、そいつは本意じゃあないのよ。あーまったく難しいねぇ、どうも上手い言い方ってのが出てこないと舌鋒鋭くなる嫌いがあるな。
 池の鯉を見やるよに、人の世を思えたら・・・なぁんて、つらつら思う年の暮れ。

平成18年12月28日ku90.jpg



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2006年12月19日

89*1年ぶり、10年越し

 この「空想百景」の更新が、1年以上も空くとは自分でも思ってなかったんですよ。
 ただね、僕としては「メキシコ旅情」のほうを優先したかったの。だって去年(2005年)の時点で、あれから丁度9年が経っていたんだもの。行ったのが1996年の秋だったから、できれば10年という区切りの中で収めたいって思ってね。まぁ人情というか。
 それに「空想百景」も、やや息切れネタ切れ気味だったし(笑)。
 ところで去年あたりから、なんだか僕はこの10年というフレーズを多用してるんだよね。あっちやこっちで書いてる駄文で、やたら10年前を基準に何かを測ってるような。そりゃ確かに1996年前後ってのが、僕にとっての大きな分水嶺だったんですよ。それにしても(どうしちゃたんだ?)って感じ。
 考えてみたんだけど、あの頃って特に(あと10年、経ったら・・・?)って思う事が多かった気がするのね。当時は自分でも転換期にいるって感じてたからかな、過渡的な状況での決定事項が吉と出るか凶と出るか気懸かりだったんだと思う。それで今の僕は、過去の呼び掛けが届くたびに振り向いているっていう感じなのかも。
 でも遠すぎて聞き分けられないんだよね、その声が期待なのか不安なのかも。逆に言えば、あの頃にとっての未来(つまり今)が茫洋として見分けられなかったのと同じで。ただこれは例えじゃなく、過去に思い浮かべたのは今の僕だった感じはあるし、ピント外れな相槌程度でも当時の僕にアウトラインは伝わってた気はするんだよなぁ。
 まさか僕が、この年でガンプラやTVゲームを手に取ってたり、自分を満足させるような唄を作っていたりするなんて思わなかったろうけどね! ははは。
 だけど当時はこんなにネットが普及する事も想像できなかったし、自分が携帯電話なんて使う筈ないと思ってたもんなぁー。それを思えば、あれから汲々としつつワープロに向かってた旅の記録や、自己満足で作ってた楽曲までがホームページ上で公開されてるのなんて夢のようですが・・・。
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 さてさて「メキシコ旅情」も終わって、この「空想百景」も残り10話となる訳です。
 とりあえず次なる旅日記として、台湾への2度目と3度目の一人旅を予定しております。そしてこの酔っ払いの繰言みたいなコラムとは違う「空想百景」というのも、頭の中で構想中ではあります。どうなることやら、ですけれども。
 そういえば今回、これはワープロ原稿じゃないんです。これまでは、わざわざワープロで打った文章をにフロッピーDOS変換入力して、パソコンに保存してから更新してたんですよ。それはなぜかというと、初めてワープロで作った「メキシコ旅情」の元となる文章が、紙とペンで書くニュアンスと全然違っていたから、更に新しい道具に替える事に慎重になってまして。
 たかが出力方式の違いでも、書きあがった文章は自分の言葉じゃないみたいでね。同様に、今でも長いメールになると手紙のようには書けない。ワープロからパソコンというのは物理的に大差ないようですけど、それでも僕には大違いだったんですよ。
 キーの触感も大きいし、パソコンの禁則処理は入力エラーを弾いてくれないから感覚的に操作できなくて。だから一番最初の「台湾日記」から、パソコンは(ワープロ原稿を手直ししてアップロードする場所)だったんです。
 そもそも道具ってのは、多機能すぎると単純な道具より使い勝手が悪くなる傾向ってあるでしょ。いろんな作業がひとつで済む便利さも捨てがたいのですが、やっぱり餅は餅屋というか。でも物事の動きって、分散して特化する方向から統合に向かっていくのかなって気はします。それは餅だけ売ってる餅屋とか、茹で麺だけ扱ってる店も今じゃ珍しいのと・・・関係ないかな?
 まぁそんな次第で、次の旅日記「台湾日記2005(仮題)」からは僕もパソコンで原稿作成していきます。それでも文章が変わっていないとすれば、僕もパソコンで作文するのに慣れたって事かもしれません。あるいは僕がイメージしてる(自分の言葉)というものが、所詮は個人的なこだわりに過ぎないって事でしょうなぁ。
 もちろん個人的なこだわりを捨てようって気はないんですよ、たとえば僕は電気バリカンで自分の髪を刈っているけれど、他人からどう見えるのかまで気にしていないっていうか。ちょっとばかり不揃いだとか多少いびつになってても、そういう細部にこだわるんじゃなくってという意味ね。
 僕は自分の性格を道具に譬えるとすれば、使い込まれた刺身包丁というよりは十得ナイフに近いと思ったりするので、まぁその器に沿った勘所を研いでいこうじゃないかって。かといって絵とか写真とか音楽までパソコン使いこないして、アナログ/デジタル両刀遣いでっていう了見までは持たないですけど。
 ともかく来年も、ブログ・サイト「日々是人生」メイン・サイト「tom's section」共々よろしくおねがいします。

平成18年12月12日


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2005年09月13日

88*2005年の9・10〜11

 一週間前、マウンテン・バイクで初めてダウンヒルのコースを走った。要するに、狭く曲がりくねった山道を自転車で駆け降りた訳だ。あっと言う間に脚はガクガク、手はパンパン! 転ばなかったのは前後を走ってくれた先輩方のおかげ、とはいえ奇跡に近い。僕は舗装されてない道はおろか、あんな急勾・や急カーブも初体験だったのだ。
 その後、久しぶりの露天風呂で夏山の空気に浸り、これまた久々のキャンプでは三宅島以来の豪雨に見舞われた。寝袋まで浸水したし、帰りにも滝のような雨に降られたのには閉口したが…それでも・晴らしい休日だったのは間違いない。
 そして荷解きをする気力もないまま、性懲りもなく次の休日もキャンプ&山を走りに出掛けたのだった。

 中央高速を相模湖で下りて、富士吉田から忍野八海をまわって藤野のキャンプ場へ…一日中ドライブだ、こんなにハンドルを握っていたなんて自己最長記録更新だろう。元々は車の運転が好きではなかったのに、まったく苦痛ではなかったのが我ながら驚きだった。
 変化というのは、必ずしも緩やかではないんだなぁ。そして、そんな一日は新鮮さに満ちていた。
「かけうどん300円」という、富士吉田名物のシンプルで滋味深い味。ユカタン半島のセノーテ(泉)に似た青さの忍野八海、そこで食べた菩提樹や桜のハチミツも奥深い味わいがあった。…って食べ歩きみたいだけど、言葉にして一番伝わりやすい事柄を挙げてみただけなのよ。様々な眺めの中で感じた事は、言葉にすると長くなる上に陳腐化してしまうからね。
 キャンプ場では、10年振りくらいに焚き火をして満天の星空を見た。ずっと空いていた心の穴が埋まったような、静かな充足感は言葉にならない。敢えて言うなら、魂レベルで生きている感覚!

 ところで、この日は「 9・10ホワイトバンド・デーほっとけない 世界のまずしさ(←リンク切れ)」だったらしい。
 僕がそれを知ったのは、幼馴染みの友人から「ホワイトバンド(←リンク切れ)」なる贈り物が届いたからだ。この「ほっとけない世界のまずしさキャンペーン」というのは、どうも(みんな一緒に頑張る)という雰囲気に思えて避けたくなる。ただ(意志の力で世界を変える)という基本姿勢は好きなので、僕は僕なりに意思表示をする事にした。
 そして寄寓にも、結果的にそんな時間を過ごせた気がする。まず自分で自分を救うというか、この深く満ち足りた感覚を遠くまで贈りたい。

 その翌日は「9・11」という、アメリカにとってのテロ記念日…。って、単に8月6日を原爆記念日と呼ぶのになぞらえてみただけで他意は一切ありませんので悪しからず。
 そして衆院選の投票日だが、当然ながら不在者投票済み。僕は以前「日本をぶっ壊す」と言った(ちょっと違うかもしれないが)小泉氏を支持するし、以来きちんと公約を守り続けている(と僕は思う)彼を信任する。
 きっと「痛みを伴う改革」は、これから痛みの正念場を迎えるだろう。でもここで引き受けなければ、これからの世代に申し訳が立たない。
 インディアンが何かをする時は、9世代後の子供達の事を考えて動くと聞いた。
 改革路線もホワイトバンドも、僕の中ではそういう風に受け止めている。

 さて、清々しい朝の時間を慌ただしく待ち合わせ場所に。先週のダウンヒルに引き続き、今回はクロスカントリーのコース。つまり、まさに休む間もなく山を走っているんだなぁ。
 ダウンヒルは急坂の連続デコボコ、石と根っこと路面を凝視し、息つく間もなく駆け降りる。それに比べれて今回は、アップダウンの減り張りがあるし眺めを感じる程度の余裕はあった。ただ、いかんせん急な上り坂は…正直言って腹が立つ!
 クロカン好きには、そういう苦痛も下りの快感と同義らしい。だけど僕にとって苦痛は苦痛でしかなく、快感は純粋に快感だけで事足りる。とはいえ、ダウンヒルの快感はクラッシュする恐怖の一歩手前という感じだし、どちらも「痛みを伴う快楽」かもしれない。
 けれど「挫折無くして成功なし」ともいうし、転ぶ限界まで行かないと身につかない技術があるような気はしている。いわゆる場数を踏むってやつだ。今回も最後は雨に降られ、ぬかるみの中を走ったのも経験値に数えておこうか。
 2日続けて温泉に浸かり、露天風呂で山の空気を味わう。晴れた昨日の夕景も、雨に煙った山肌も心安らぐ気持ち良さだった。

 ちなみに明日9・14から16まで「ホワイトバンドサミット」がN.Y.にて開催されるそうだが、本当の名称は「国連2005ワールドサミット」という。
ku88.jpg平成17年9月13日





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2005年08月23日

87*野生の飼育と間合い

 猫か犬かと訊かれれば、僕は「飼うなら犬かな」と答えるだろう。たぶん。
 きっと飼った事がないせいだね、猫ってイメージは「居着く」動物であって「飼う」という感覚じゃなさそう。その点では犬のほうが、メンバーとしての守備位置を考えそうで。
 動物との間合いは、仲間以外は警戒対象だと思うんだ。相棒とかチームを組むとすれば、僕は猫を相棒にはできないなぁ。

 そういえば電子制御のペット、あの発想って(種なしブドウ)っぽくない? 愛知万博とか興味はないけど、近頃はロボットが話題になる時って「アイボ的」な雰囲気を感じるんだよね。
 ただ貴方に都合のよい愛想だけを、煩わしくない無償の愛だけを…。それは娼婦の仕事であり、奴隷の役割だった事をすり替えてるだけじゃないのかぁ? ディズニーが動物達を「良き友人」として描き、アシモフがロボットを「忠実な下僕」と規定した時代から一歩も前に出ていないじゃん。
 結局は(自分達に奉仕して当然の存在)を夢見た、とはいえ両氏の発想が古い制度を超えなくたって当然だよね。でもさ、もう21世紀なんだし。

 しばらく前にね、近所の公園でイスラエル人の男性に会ったのよ。お互い犬の散歩中で、ウチのは小型犬が嫌いだから他の犬を避けるようにしてたんだけど、向こうから話しかけてきたの。
 その男性は「まだ日本に来て1週間だけど、あと1週間したら祖国に帰る」と言っててさ、妻子を現地に残して2週間も仕事しないで物見遊山とは意外だったよ。9・11テロ以前だか以降だったか、とにかくパレスチナとの問題で戒厳令が敷かれていたのに。
 特に裕福そうでもないし、まったく呑気な口調だったなぁ。遠い国で報じられている噂が、あの国のすべてを語っている訳じゃないっていう感じがしたんだ。
 きっと普通に働き暮らす、他の国と変わりない家庭があふれている。そして、すぐ近くで自爆テロが起きて町中に戦車と銃声があふれている…。それはもしかしたら、戦時下よりも却って名状し難い日常なのかも。
 ローマ帝国の侵略からイギリスの3枚舌外交による建国と紛争、他民族による翻弄の歴史は僕の手に余るので止めとこう。パレスチナという名前の由来は、聖書のペリシテ人に由来するというから溝は深い。

 しかし教育というか刷り込みというか、そういう事を考えると僕もまた日本という社会集団に相応しい育てられ方をされたのだろうな。入力する情報の選択は、集団社会やそれを統括する側の意向次第だからね。
 原爆投下も、中国のチベット侵攻も、中東に対するアメリカの外交姿勢も。
 大昔の人間が生き延びるには、自然を観察し学び取る事が必須だった。その結果が今じゃ…謙虚に学んでる場合じゃないのかねぇ。

 ところで我が家の犬は可哀想に、しつけも何も知らない家に転がり込んできてさ。手に負えなくなって、成犬になる手前からトレーニングが始まったのね。子犬のうちならともかく、人間社会に順化させるのは難しい。でも彼が生きて行く道は、それ以外に選べなかった。
 しつけを始めた当初、家族全員でトレーニングに参加してたのよ。動物をコントロールするためには「飼う側が、動物の言語をマスターする」という訓練が必要なんだよね。つまり、しつけられてたのは僕らのほうだった訳。
 その事は、まったく理解できるんだ。馬に乗るのも鳥を操るのも、それが基本になけりゃ嘘だと思ってる。でも躍らされる側の気持ちになるとね、それを犬に押し付けるしかないのも…。で、耐えられなくなって僕は降りちゃったんだよ。
「野生の飼育→飼い慣らせると思うなよ」
 これは、最初に就いた仕事を辞める前に書き留めた言葉。
 それから何年も経って勤め人になった僕は、上司から「理不尽だと思っても我慢してれば、いつか報われる時がくる」というような慰めを言われたの。
 そんなこんなを、犬のしつけ訓練で思い出しちゃったんだわ。
 飼い犬のためでも、やっぱり僕自身が調教されるのは受け入れられなかった。物心つかないうちじゃないと、ね。守ることを強いられる、自分以外に根拠があるルールってのは。

 動物の言語だったら攻撃とか威嚇でしかないのに、いいオトナまで(動物は優しい下僕)だと勘違いして…。
 癒しってのは、逆から見たら搾取と虐待だったりして。

平成17年8月23日ku87.jpg


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2005年07月26日

86*曖昧加減に用がある

ku86.jpg 男のコというのは、一概に車好きという傾向があるようで。
 だけど僕は、案外そうでもなかったな。70年代のスーパーカー・ブーム世代だから、それなりに夢中になったのだけどね。
 あの時代はまた高度成長のもたらした副作用が取り沙汰されて、教科書には公害やら石油ショックなんかが取り上げられていたのを覚えている。子供ながらに(自動車=地球環境を損なう)というイメージがあって、それが先に刷り込まれちゃってたら車好きになるほうが難しいかもね。やっぱ教育って…。
 それに第一、父親が免許を取ったのは僕が中学に入ってからだった、というのも関係してるんだろうな。つまり子供時代にマイカーのない家庭だったから、車に対して強い関心を持たなかったのかもしれない。
 そう考えてみれば、僕が自転車を好ましく思うのも必然だった気がしてくるよ。とはいってもマニアックな執着はないのね、単に乗り物として理想的な手段だなって。もちろん現実的には車の利便性に及ぶべくもないから、どちらかというと思想的な意味合いで自転車を支持しているような感じで。
 結局は乗り手の、人力の範囲でしか動けない。そのスピードも移動距離も、心が追いつけないほど身体性から離れていない。…というか、道具っぽいじゃない? ただマウンテン・バイクに乗るようになって、自転車も精密な機械に属するんだなーって実感したけど。それでも、まだ内燃機関に比べれば理屈は単純だから。

 ところで腕時計というのも、携帯電話を持ち歩くようになって実用性が薄くなっちゃったけど、僕は自動巻きが好きだったりする。
 なにしろ電池交換不要だもの!…って別に、エコロジーとか興味ないタチなんだけどさ。でも自分の庭で処分できないような物って、何だか身の丈を越えてるようでねぇ。そこに先祖の墓があっても構わないのよ、でも産廃処理場とか原発は厭だもん。
 まぁ最近では、ソーラー・パワーとかいった方式もあるんだけど、より自立している感じとアナログっぽさが自動巻きの良い所。1日に2〜3秒は遅れてしまう、その大らかさも思想的に好きなんだよなぁ。
 自動巻きの腕時計は、それ自体の振動によってネジが巻かれる仕組みらしい。だから置きっ放しにしたりして、動かしてないと止まってしまう。といって常に時計を揺すってやる必要はないのだが、なぜか自動巻き腕時計をすると腕を軽く振るクセがついてちゃってね。
 たまに、町なかで無意識的に軽く腕を振っている人を見かけたりするのよ。そうすると(あ、自動巻き派なんだなぁ)って、勝手にシンパシー感じたりして。まぁ滅多にいないけど。

 無意識の仕草で不思議なのが、女性の食事中の空き手。
 何かを食べてる時の女性って、利き腕じゃないほうが面白い事になってるのね。よくあるのが、半分ガッツポーズで手の甲を後ろに向けてるタイプ。これを僕は、心の中で「猫パンチ型」と呼んでるんだけどね。
 他には、中途半端に手を挙げて指が仏像みたいになってる場合もある。これは「アルカイック型」で、大体どちらかに分類されるんだよ。こういう仕草も何か理由があるのかなぁ? 見かけるたびに、手のやり場に困ってるような印象を受けるんだよね。試しにやってみたら、却って気がそがれて食べにくかったが…。
 そういえば、これは真似した事はないけど、寝る時に両手を胸で軽く握ってる人ね(胸を、じゃなくて)。まるでボクサーがガード姿勢を取っているような、マンガの女性キャラが可愛さを強調してるようなポーズ。男性でも稀に、こういう人を見かけるんだが…寝にくくないのか? ま、いいんだけどさ。
 あと、歯を磨く時の姿勢も不思議。
 腰に手を当ててる人が、自分も含めて多い気がする。なぜか銭湯でコーヒー牛乳を飲んでるように、左腕がS字を描いている訳ですよ。そして妙に背筋がピンと伸びてるのね、まぁ髪の毛が気になったり背中が痒かったりした場合は別として。

 もしも、食事時と歯磨き時のポーズを、それぞれ逆にやってみるとどうなんだろう?
 きっと(しっくりいかない)感じかもなぁー。
 という事は、まったく無意味って訳じゃないって事かもね。
 そう思うと(真に無意味な物事などない)のかもしれないなぁ、主観的な意味とは違う意味でね。

平成17年7月12日


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2005年06月29日

85*愛のコリーダ

 この頃、よく「愛のコリーダ」が頭の中を駆け巡るんだよなぁ。
 かなり昔の曲だけど、最近よくCMで流れててさ。図書館でCD見つけたから、歌詞カードをコピーして歌ったりしてるのね。部屋ン中でだけど。
 もうすっかりカラオケなんざ行かないけどさ、こういうのって隠し球的に役立つ事もあるんだよ。だって職場の歓送迎会なんかで、急に「オマエも一曲やれ」みたいになったりするじゃん?
 まぁ、そういう初っ端では「上を向いて歩こう」に決めてんだけどね。居酒屋で「とりあえずビール」と言うように、バーで「まずはジントニック」を頼むように。どんな年齢層でも大抵は知ってるし、これが十八番って人は滅多にいないだろうという選曲。
 それで一巡して、またリモコンを振られたら隠し球の出番なのよ。以前「〇ルマゲドン」という映画が封切られた時期には、その主題歌だった曲を泣きむせぶ勢いで歌ったりもしたなぁ。他にも(裏声で山本リンダ)っていうのもあるけど、その辺は隠し球というより変化球か。
 あと、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」もそうだなぁ。あの曲を知らない人には、引かれちゃうかウケるか紙一重。バンドのライブ打ち上げでも、メンバーの連れてきた女性客の前で熱唱したら迷惑顔だったし…。
 時々「クレイジー・キャッツ」を持ち歌にしてるい人がいて、あれも一種の隠し球だろうなって思う。僕にとっての「大ちゃん数え歌」も…って、アレ? なんか僕って意外とカラオケ熱心なのかも。
 でも、カラオケって所詮(他人の歌)なのよ。自分の唄じゃないからさ、上手下手より適当に面白がってる感じ。作詞作曲する人ってのは、結構そういうもんじゃないのかって思ったりしてるんだけどね。

 かなり前に、カラオケ屋でもバイトしたのよ。そういえば20種近くバイトしたけど、夜中の仕事ってそれだけだったなぁ…というのはともかく。
 その店では、ヒマになると(休憩)と称して順番に空室で歌ってたのね。まだ当時は流行のJ−POPというのも知ってたんだけどさ、やっぱ毎回だと飽きてきちゃうんだわ。それで訳分かんないのを歌ってるうち、件の「上を向いて歩こう」やら隠し球を覚えたんだけど。
 ところで、そこの最上階は「出る」と噂されてたの。誰も見た訳じゃないけど、もちろん休憩には行かなかったね。でも閉店して片付けてると、店長が有線の音楽を読経に変えやがるんだよなー。ああいう部屋って窓がないから余計に怖かった、というかエレベーターの中が最悪。
 そこで新人のバイトが、来た早々「最上階だけは行きたくない」って辞めちゃったの。霊感が強いコだったみたいでさ、それで誰も行きたがらなくなっちまって。なんだか店長と僕が交替で片付けしてたような気も。
 ちょうどその頃に、初めて金縛りを体験したんだ。あれってさ、急に目が覚めるんだよね。それと同時に(動かない!)って分かるの、不思議と。恐る恐る目を開けたら、一見変わりないんだけど空間が歪んでて。高熱出した時に見える感じ、だけど何か違うの。
 当時は親元を離れて、友人と2LDKのアパートを借りてたんだよ。隣室を友人が使ってて、ドアの向こうにキッチンがあって玄関という造りの。で、ドアの外に誰かがいる気配があってさ。そんで(やっと帰ってきたのか)と思ったら、板張りのギシギシいう音がしてないんだよね。
 耳を澄ますと、それはドア越しにこっちの様子を伺いながら揺れてる気配なの。もう必死にあらゆる念仏唱えてさ、丹田(ヘソの下)に気合を入れて「どりゃー!」って叫んだら金縛りが解けた。相変わらず目の前の空気は歪んでたけど…。
 やっぱカラオケ屋から連れ帰って来ちまったんだろうか、でも数年後に通ったら店は潰れてたけど。

 大昔は人間も、動植物みたいに自然と同調するチカラがあったっていうじゃない? だけどその感覚を手放しちゃったのも分かるよ、だって敏感すぎると怖いじゃんね。
 夜道を歩いてると、前方の女性が駆け出していっちゃう時があるの。まさか霊感とかで、僕に憑いてる何かが見えたりしてないよね…? 単に怖がりで、小動物のように戦々恐々として生きてるなら構わないんだけど。

「愛のコリーダ」って、なんだかストーカーっぽい歌詞なんだってね。意外。

平成17年6月29日
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2005年06月23日

84*禁止と提示と9年日記

 友人から、久しぶりに手紙を貰ったのですよ。僕の誕生日ということもあって、贈り物と共に。
 その手紙の初めに、とある女性から彼に「10年前の貴方は、何をしていましたか?」というような質問をされた事が書かれていたの。そうして、僕らが出会った9年前へと話は続いてゆくんだけどさ。なるほどなぁー、と思ったね。
 ひとつには、普通に(そうか、もうそんなに経つのだなぁ)という感慨めいた気持ち。そして思ったのは(こうきたか)という、筋運びの妙に対する感嘆だったんだわ。話を展開していく上での、僕の言い方でいえば「フック」みたいなものですな。
 以前、別の知人が「今やストーリーのパターンは出尽くしています、要は『如何に語るか』という点ですよ」とか言っていたのね。映画についてだったんだけど、これは近頃の音楽シーンにも当てはまる気がするんだよなぁ。
 物語の筋書きってのは、もはや基本要素の組み合わせで生み出されている感じがする。悲劇的、あるいは喜劇的な展開のバリエーションに、新しい舞台や人物を入れ替える手口。それでも人には物語が必要で、つまり内容以上に語り口…ストーリー・テリングの力が重要なんだなって。
 そういえばTV番組の「ト〇ビアの泉」ってのもさ、あれなんか(いかに見せるか)なんだよね。それを言ったら「タ〇リ倶楽部」の空耳アワーなんて、本当に見せ方だけで笑わせられてるもん。同じ内容をラジオで放送しても、あんなに面白くならないでしょ(分からない方、ゴメンナサイ)。

 話を戻して10年前。今までの人生では最悪の数年間だったよ、朝のラッシュで誰かを殴りつけたりして。激情に駆られるまま他人を攻撃して、それですぐ自己嫌悪に落ち込んでね。
 とにかく一般的な勤め人になる以外、大人として生きる選択肢は見えてなかったのよ。自分が何をしたいのか、何か違うと感じながらも立ち止まるには遅すぎた。…と思い込んで、うっかり定年までそうやって生きて行くところだった。父の背中を追うっていうのは、悲しいくらい向いてなかったんだわ。
 で、9年前。彼と僕は出会ったの、他の友人達とも。ついに会社勤めを辞めてしまい、さりとて資格も肩書もなく何をしようというでもない時期に。そして、そこで会った別の人に「10年日記」というのを見せてもらってね。僕も(日記をつけてみるか!)と思い立って9年日記を作ってみたんだよ。
 昔っから注意力散漫と通信簿に書かれ続けただけあって、日記なんて夏休みの宿題が最長記録だったのね。でも長いこと続いたなぁ、我ながら見事に。本当なら今年の5/15で満了していた筈なんだけどねぇ…。でも7〜8年は継続したもん、立派。

 ま、とかくこのように自分に甘い僕なのです。だけど他人にも甘い、と自負してるんだけどね〜。実際どうなの? ってのは置いといて。だって自分に厳しい人ってさー、他人に優しく出来る訳ないって思ってるのよ。僕は自分の味方でいよう、それについての罪悪感も大目に見ようって。
 優しい素振りでオーラが怖い、そういう人っているでしょ。自分を律している人は、無意識に他人も同じルールで見ちゃうんじゃないのかなぁ。逆に言うと、誰かに禁じてしまった事で自分が縛られていたりね。たとえば「〇〇すんなよ」とか言ってると、その言葉が自分の足かせになるような。
 僕は(人に優しくしなくちゃいけない)という規範で生きてる人の側にいると、相手を苛立たせたり自分が参っちゃったりするのよ。だからって、かつての(自分の味方にならない)みたいな人にもエネルギーを吸い取られちゃう感じで。
 なかなか心地よく共鳴できる人っていなくて、それで人込みが苦手なのかもなぁ。すぐ地が出ちゃうというか、気が立ってくるのを抑えてるのも疲れるし。
 そう思うと、こんな今の僕が付き合っていられる友人達って希少種だわ。ありがたいありがたい、お互い絶滅しないよう手を取り合って今後とも末長く宜しく。

平成17年6月22日
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(写真提供=ぴょん)



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2005年06月15日

83*'68アンテナ

 僕はスポーツ中継を観ないので、サッカーボールの変化に気付かなかった。
 すでに白黒の亀甲模様なんかじゃなくなっていたんだよね。あの柄も、実は1968年のメキシコ五輪から普及していったのだとか。それ以前は、バレーボールみたいに単色で細長い縫い目が入っていたらしい。
 そして、そのバレーもサッカーも何回前かの五輪から訳が分からないボールになってしまっていたそうで。はぁー、時代ってやつですか

 1968年。いつからか、僕のアンテナはその年を意識するようになっている。自分が生まれた年ってのもあるんだろうけど、それ以上に気になってしまう年代で。
 明治維新から、まる100年後。高度経済成長、学生運動、日米安保、フリー・ジャズ、アクション・ペインティング、ベトナム戦争、ヒッピー、サイケデリック…などなど。年代的な幅はあるけれど、そういった時代のキーワードには敏感かもしれないって思う。
 そしてなんとなく、そこには現代の分水嶺があったんじゃないかってね。根拠はないけど、そんなふうに思ったりして。
 で、時々ふと思うのよ。その辺の時代性に反応しやすい、自分の('68アンテナ)が出来ちゃった根っこについて。そうすると、どうしても「〇パン三世」というTVアニメに辿りつくんだよなぁ。
 僕は、物心付いた頃にはその番組を観ていたの。幼稚園の頃から、再放送も欠かさず観ていた記憶があるし。それで小学校高学年で最初のアニメブームに当たって、少ない小遣いで本やらレコードを集めてね。

 一説によると、あの主人公は元フーテンだったという。闇のシンジケートによって一族の後継者として見出されるまでは、ヒッピーまがいの若者だったのだ…。そんな企画当時の裏話を知って、当時の時代風俗に関心を抱くようになったのが('68アンテナ)の萌芽だろうな。
 そこで出合った知らない言葉を追いかけていくうち、子供ながらに(70年代の空気とは違う何か)を感じてね。この物心付いた時から平穏無事な日常が、ちょっと前まで目茶苦茶だったという…。それはたとえば肉親の別の顔を見ちゃったような衝撃で、一種コペルニクス的展開だった訳よ。世の中の営みは、幼い身の丈を越えてたというか。

 ちなみに〇パン三世は読心術(読唇術?)の達人という設定もあって、そっちに伸ばしたアンテナが心理学につながっていったのね。フロイトからユングを経て西欧のキリスト教的世界観(神秘主義・オカルト)に拡がって、しまいには構造哲学や文化人類学やニューエイジもアンテナの範疇に…。って、もちろん専門知識は皆無よ?
 所詮は素人の浅学、ただの好奇心だから大した事ぁない。
 それに、すべてはこじつけかもしんない。そう思っていても、何かしら興味を持った事柄ってのは関連してくるんだよなぁ。大抵は、その年代にフックがある気がしてね。まぁ人間の性質って先天的な要素は大きいから、もともと自分の内にあった傾向が偶然「〇パン三世」を観て引き寄せられたのかも。
 風が吹くと桶屋が儲かる、という諺がある。巷には、色々な風が吹いてるんだよなぁ〜。

 ところで(明治維新から100年しか経っていない)というのも、改めてそう考えると驚きだよ。今年で137年か、でも当時のザンギリ頭で想像してた程じゃなかったりしてね。ハードはともかく、ハートの面では。
 だって未だに西洋偏重主義が幅を利かせてるじゃん、クールビズとか言ってみてもさぁ。案外100年昔のほうが、梅雨はしのぎやすかったりしてね。
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平成17年6月15日
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2005年06月08日

82*すべての山に登れ

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 これは、とある有名なミュージカル映画の挿入歌(の訳詞)。
「夢はあなたが与える全ての愛情に必要です/あなたが生きている限り、あなたの人生の毎日は すべての山を登ることです/すべての流れをわたり/すべての虹を追って/あなたの夢を見出しなさい」
 良い詞だなぁ〜って、まるで(ワタリウム美術館で観た、シュタイナーの黒板絵に添えられた言葉のようだ)と思ったの。他に譬えようがない、シンプルで明確な感じが。

 先日、友人と会っていて思い出した事があるのね。その彼と、三宅島で1カ月くらいキャンプをしてた時の事なんだけど。
 雄山が噴火する前年か、その1年前だったか。夏の終わりから秋の半ばまで、特に何か具体的な予定も期限もなく…といっても、無論テントは別々でね。一緒にメシの支度をしたり別行動を取ったりして、台風の時以外は毎晩たき火して。
 そうして日々は単調に流れるかと思いきや、入れかわり立ちかわり新たな登場人物が現れて、盛り上がったり翻弄されたりする毎日でね。精神的にもシンプルライフを望む、というより混乱した状況を自分達なりに把握したくて、僕らは折あらば話をしていたんだ。
 そんな話の最中に、僕は「あ、今カラスが後ろの電線に止まった」などと言ってた…らしいの。すっかり忘れていたけれど、そういえば僕は何でも(あれは何の予兆だろう?)と考えていたんだよなぁ。その頃の僕は「予兆を読む」という事に凝っていて。いや、憧れていたんだよな。
 そのキャンプよりも数カ月前からの事だけど、特に(動物の送ってくるメッセージ)を読み取ろうとして敏感になってたんだ。たまたま読んだ何冊かの本に、そういった内容が書かれていたから気になってね。
 自分の周囲に起きている事と、内面の動きには関連している…それは今でも僕にとってリアルな考え方ではあるのよ。だけど当時は、とにかく(予兆を読み解く)事そのものに焦点が合っていたみたい。それは今だって憧れてるんだけどさ、あんな熱病のように神経を尖らせてはいないもんなぁ。

 その時期の僕は、よく「分水嶺」という言葉を口にしていたっけ。まぁ今になって振り返ると確かに、当時思ってた以上に幅広い「分水嶺」の期間にいた気はする。
 勤め人という生き方を諦めた1年後、僕はユカタン半島の幻想的な浜辺で月光浴なんてして、更にその1年後には三宅島で「1カ月1万円で」とか言ってテント暮らしをしてたんだからな。
…という書き方をすると、まるで(じゃあ今は分水嶺以降の下り坂なのね)って印象になっちゃうか? ま、どっちだっていいや。たとえ人生の折り返し地点を過ぎたんだとしてもね、それ以降が別に欺瞞と不満にまみれているって感じじゃないし。むしろ毎日が、より楽しめる方向になってる気がするからなぁ。
 そうねー、ゆるやかに下ってゆくような脱力加減とかね。しかも目の前に開がるのは一大パノラマ、そのままフワリと宙に浮いちゃえ〜!…てな感じで。
 ものは言いようですからね、好いように(笑)。

 ただ、微妙に寂しくもあるのは、脱力と同時に「熱」も失っちゃったような気もしたりして。何かに熱中している高揚感っていうのが、ふと懐かしく思える時もあるのね。
 元来、集中力は高く短いほうなのよ。だから一般的な熱量と比べれば、そんなの微熱程度だったのかもしれない。それに、一種の無風状態というのも悪くはないなって思えるんだよ。ただねぇ…。
 あの20代の集中力で世間並の地位や財を得た上での滑空ならば、もしかしたら巷の30代後半男性に共通の安定感なのかもって思えるのね。だけど僕ときたら、そんな高い山は越えてないんだよな〜。

 先日の、友人と会って話したのは標高800メートルの山で、だった。
 キャンプに出掛ける切っ掛けは、彼が見た「御蔵島の断崖で何かをしてた僕ら」という夢だったんだ。初夏の高尾山で、そんな話を聞いてるうちに(それじゃあ夢の場所へ行ってみようか)と言っていた訳よ。
「夢はあなたが与える全ての愛情に必要です/あなたが生きている限り、あなたの人生の毎日は すべての山を登ることです/すべての流れをわたり/すべての虹を追って/あなたの夢を見出しなさい」

平成17年6月8日
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2005年05月31日

81*リゾネイター

 こないだ、DVDを衝動買いしたのね。タイトルは「ワッツタックス」ってんだけど、その辺の詳しい内容はレビュー書いちゃったから置いとく。その中で、何度か「共鳴」って表現が出てきたのよ。で、思ったの。
 人間ってさ、外部からの振動に心を震わせて喜怒哀楽を表してるんだな…って。
 悲しい話に沈み込み、明るい雰囲気に開放感を味わう。ある意味、それだけなのかもしれないよなぁ。というかむしろ、それだけでいいんじゃないかってね。心なんて空っぽの、たとえばギターの胴体みたいだとしても。
 ちょっと飛躍し過ぎてて、伝わらないかな? まぁ魂の定義は色々だから、とりあえず(人間=心と体で出来てる何か)と考えた場合ね。体ってのは自分と外側の境界で情報を伝達する道具で、その体から送られた情報に対して心が対応を判断してる…と。こういうのは「唯心論」とかいうのに近いのかな、それはともかく。

 そんで今度は人生論入っちゃうけど、たとえば(自分の名が語り継がれるような足跡を歴史に残す)という行き方もあると思うのね。まぁそういった功名心とか目的意識ってのも何かしら「共鳴」の結果だったりするのかな、でも僕の思った事とは範囲がスレるので「反映」という区切りに分けておこう。
 僕のイメージで言うと、その共鳴した瞬間で完結してる感じなのよ。種が芽吹いて大樹に育つような連続性のある話じゃなく、ひとつの事柄への反応が次の事柄に対する反応に連鎖してゆくような…。
 もうちょっと具体的に言えば、事実かどうかは知らないが「インディアンの生き方」というのに譬えてもいい。元からの環境を変えないようにして、また去った後も痕跡を残さないような暮らし方。母なる大地の上に生まれ死んでゆく事に、人もケモノも変わりがないからね。
 残るのは、誰かの心に刻まれる思い出だけ。ならば僕は、相手とが互いに良い思い出となるように出会ったり別れたりしよう。そう思う。

 時々、僕は(どうして死ぬのは悲しい事なのか?)って考えてみたりするんだ。そりゃあ未練や依存もあるだろうけど、きっと何か悔いを残してるからなんじゃないかな?…などと思ったりもして。やり残した感じ、というか。
 死にゆく者は「納得の行く思い出を、大切な人との間に作れなかった」と不甲斐なく思い、見届ける側は「大切な事を伝え切れていなかった」と感じたりして…。だけどこれは想像に過ぎないんだけどね、まだ僕が身近な人と死に別れてないから。
 所詮、きちんと伝え合ったって「今生の別れ」が楽しい思い出にはならないだろう。でもいつか(全力投球できた)と思えたり、そう出来なかった自分と相手とを容赦したら、その死から得る何かは違ってくるよなぁ〜って気がするんだ。
 それにはね、怒りや憎しみの言動に共振して何かを壊したりするのと違う反応をしてようって思うのよ。実際どうかは分からない、けど「ひとつひとつの輪を閉じる」っていうインディアン的な言い回しに通じてるんじゃないのかなぁ。
 だからって僕は悪感情を否定する気はないのよ? 仙人じゃないし未熟者だからさ、むしろ出てくる気持ちを押し殺す方が毒になるもん。ただ、出し方を変えてみるだけでね。ものは言いようだから、いかに響かせるか? って部分で。

 じゃあ、どんな響きを善しとするか…となれば、やっぱ最もリアルな基準は自分自身だから「箱鳴り」だよなぁ。共鳴体である自分が、気持ち良く震動してるかどうか。自分から響かせた音が、ある範囲の空間を充たしてゆくような感じ?
 もし誰かのビートが気持ち良くなくっても、それを自分好みに変換して震わせてたら気にならなくなるかもなぁ。隣に座った人のヘッドフォンから、シャカシャカ音が聞こえてきてもね。
 僕は(自分のビートで踊っていよう)と思うんだ、そして(それを身に付けよう)って。そんな自分鳴りしてる音が、周囲の共鳴体を経由して変換された音を聴いてみたいな。
 ま、音響的には単なる「ハウリング」にしかならなくてもね。

平成17年5月31日
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posted by tomsec at 23:48 | TrackBack(0) |  空想百景<81〜90> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする