2005年05月20日

80*Womanity

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「Womanity」というのは、自作曲に付けた僕の造語なの。読んで字のごとく、ウーマン+ヒューマニティって意味ね。
 演奏時間10分のインスト曲で、未だに(これ以上の曲は作れない)って気がしてる。少なくとも、打ち込みではね。もう何年も前に作ったんだけど、以降は同じような打ち込み作業で曲は作ってないもんなぁ。
 やっぱり、満足しちゃった時点で終わりなんだろう。言い換えるなら、創作意欲というか(まだ表現し切れてない)っていう渇きのような部分が充たされちゃったんだね。唄モノに関しては、まだそこまで達してないけれど。
 それはともかく。女性性、というか広く一般に女性的とされるエネルギーについて。
 もう何十年も昔に発表された筒井〇隆の小説で「主人公の女性が、神様から引き継ぎを任される」というような話があったのね。(それからというもの、世界は女性化し始めている…)といったオチでさ。さすがにウーマン・リブ運動よりは後に発表された作品ではあるけれどね、時たま思い出すんだよ。
 ニュー・エイジではアクエリアン革命とか、宗教では民間のマリア信仰、それに巷の癒しブームね。環境ホルモンでのメス化、電磁波の影響で男の子が生まれにくくなる…等々。この10年余りで見聞きした話題は、ますます世界が女性化してきてる感じで。
 それに「〜に優しい」なんてフレーズもそうだし、最近ではヒステリックなまでに感情的な事件報道とかもね。
 ひどく男性的だった、古い価値観からの揺り戻しが起きているのかもなぁ。たとえば解き放たれた女性的なエネルギーが、その勢いで歪んだ形に突出して不協和音を生んでいるんじゃないかって気がするのよ。
 だって愛は地球を救わないし、弱者救済というのも両刃の剣じゃない?…なぁーんて大きな声じゃあ言えないけどさ、そういう誰にも反論できない正論を振りかざすのもまた暴力的な匂いが感じられてね。
 こんな言い方だと、まるで環境保護や福祉拡充に反対してるみたいだけど。そうじゃなくて、なんというか、バランスの問題だと思うのよ。男尊女卑から下克上なんて方向じゃないじゃん、やっぱ調和でしょ? そんで、今は過渡期的な状況なのかなって。

 ところで、よく「大和撫子」と形容される(古き良き女性の理想像)ってのは、明治〜大正時代の西洋思想をもてはやす風潮から生まれた一種の輸入品だという説があるらしいのね。詳しくは知らないけど。
 つまり、近代に作られた「女性かくあるべし」といった幻想が、いつのまにか歴史認識っぽくすり替えられてしまって現代に至る…と。
 ちょっと面白いよね、僕らが(というより、僕らにとってのウルサ方が)抱いている民族的オリジナリティの一部が虚構に基づいていたって思うと。
 実際、江戸庶民は男女の身なりが逆転したような、優男と威勢の良い女が流行ったとか(これも詳しくないけれど)。

 まぁこれは勝手な想像で言うんだけどさー。男性優位社会ってのは、人類の長い歴史の中で西欧文明に偶然できた一瞬の産物じゃなかったのかなって。「もののけ姫」に出てくるタタラ場の女衆みたいにね、どんな民族社会でも女性が担う役割って小さくはなかった気がするんだよなぁ。
 だって男性の寿命は短いし、案外ストレスに弱いしさ。女性を抑圧してたというより、それぐらい手加減してもらってやっと男女エネルギーのバランスが取れてただけかもよ?

 余談ながら、僕は田嶋センセイって割と嫌いじゃないんだよな。この頃お見かけしないけど。

平成17年5月19日



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2005年05月11日

79*さらばスーパースター

 僕の格好はTシャツとかトレーナーが基本なので、ほとんどスニーカーしか履かない。で、素材的にはキャンバス地かナイロン。以前はレザー製のも気にせず履いたけど、夏場はムレるし高いからね。せいぜいスウェードかな。色は全部同色じゃなくて多少カラフルな感じで、買い替える度に配色を変えてる。
 服だったら、そりゃあもう着潰す感じなのね。ほつれ、穴あき、首回りや袖のリブ編みが擦り切れてるのも愛嬌だ。ジーパンなんかも縫っちゃうし。でもスニーカーだけは無理で、穴が開けば買い替えるしかない。
 という訳で、また買い替え時になって新しい靴を買って来たの。REDWINGのアイリッシュ・セッターに似た、安物のワークブーツと中古のニューバランス485。いつからか、スニーカーは2足ずつ買うようになったんだよね。別に同じものじゃなくてさ、要は交互に履くために。でないと洗う暇がないし、すぐダメになるでしょ。
 それまで履いていたのは、アディダスのスーパースターとVANSなのにボード系じゃないメッシュのスニーカーだったんだ。スーパースターといえば、一時期はナイキ・エアジョーダンみたいに誰もが履いてるのが厭でさ。でも数年前にヘンプ素材で売り出された、緑地に白い3本線のタイプを見た時には(これだ!)と思ったね。色落ちするってのもジーパンみたいで、意味もなくミンクオイル塗り込んだりして無駄な手入れも楽しかったりして。
 まぁそんな訳で、買う前から気に入っていただけに使用頻度も偏ってしまったのだろうな。同時に買ったVANSのほうは、まだソール・パターンも消えてないもんね。こっちはパトリックの二番煎じみたいな形で昔っぽいデザインなんだけど、やっぱスニーカーは5000円ぐらいで買えないと。
 パトリックにしてもオニヅカ復刻版にしても、あの値段は合点が行かないんだよなー。だからこの2銘柄を買う事はないだろう。実は今回のニューバランスも大抵が自分的相場より高いし、それに巷で無闇に履かれてるイメージがあって敬遠してた銘柄だったんだけどね。でも中古だから。
 古着屋に、よくスニーカーが置いてあったりするでしょ? ああいうスニーカー、別にデッドストックなんかじゃなくて構わないから一度は買ってみたかったんだよ。でもサイズが合った試しがなかったのよ、それが今回は珍しくピッタンコでさー。

 新しいスニーカーを履くと、あちこち出掛けたくなるんだよね。しかも最近はジーパンやらTシャツやら山ほど買ってるから、もう「超インドア志向」じゃいられません! ってな感じで。
 相変わらず休日は遅寝遅起きなんだけど、この(少しでも太陽の光を浴びたい)って感覚は久しぶりだよ。今までは(窓越しの陽気でもOK)なのにね、とにかく外に出たくなるの。
 今日なんか、もう夕方だったのに(陽差しが夏になってる)って分かった。
 なんというか光源に近付いた感じで…。雨曇りだった昨日の間に距離を詰めてきたのか?
 と、ここまでワープロに打ち込んで出掛けたらチャリでコケたんだよなー。近頃「ホッピング」とかいう、前後のタイヤを一緒に浮かせる方法を覚えてね。ちょっと得意になってピョンとやったら、カーブを曲がり切ってなくて車体が傾いてたんだわ…。
 いやー、息が出来なくなるほど体を打付けたのって何年ぶりだろ? 擦りむいたのもさー、なんか笑っちゃうけど童心に返ったみたいで楽しいの。でも腰の辺りが(骨盤ズレた?)って感じが一瞬して、そうなるとイマイチ若くないよねー。
 しかも爪が割れた、というか剥がれたりもしてて。思えば我が人生での初体験なんだけども(僕の知らない事ってまだまだあるんだろうなぁー)なんて、しみじみしちゃったのでした。って、別に「もう一丁こ〜い!」とか言う気はないけどね。

平成17年5月10日
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2005年05月03日

78*大人になりましょう

 僕は、広義での江戸っ子だ…というのは、江戸っ子の定義って色々あるからね。
 狭義では、たとえば「3代前から神田明神の氏子」とか。江戸時代の御城下って、そんなレベルだからね。そうなると浅草も柴又も深川も両国も除外だな、月島方面なんて人足寄場(?)だし。
 戸籍上では日本橋小伝馬町の生まれ、でも実際に育ったのは都電荒川線の沿線ですから。親父も疎開先で生まれ育って、戸籍上の住まいに戻る事はなかった。それなのに一端の江戸っ子気取りで、作務衣なんか着そうな勢いで参っちゃうよ。あれだけは着ないでって頼んでるもん、だってアレ系の年寄りにゃあ気負ってて面倒臭いのが多いからさー。
 まぁ、それは置いといて。「べらんめぇ」って啖呵言葉は、定説じゃあ「べらぼうめ」が訛った(というかスピーキングリダクション?)らしい。しかし我が親父の口癖「馬鹿野郎め」は「べぇろぅめぃ」に聞こえてさ、そのほうが限りなく「べらんめい」に近い気がするし辻褄あってると思うんだけどね。

 ところで、ずいぶん前に読んだ新聞の日本語を考察する記事の話。
 半濁音を使う人は、関東に多いんだそうで。第二音節に使う「ガ行」が、鼻にかかった鼻濁音になるとか。でも最近では人の移動や学校教育などのせいか、減ってきているらしい。で、その話を関西の友人にしてたら、僕も「鼻濁音になってる」と言われてね。ひょっとしたら、最後の鼻濁音世代なのかもなぁ…。
 それと、これも新聞で知ったんだけど「江戸しぐさ」っていうの。
 たとえば狭い道ですれ違う時に目礼したり、避けあって通るとかね。雨の日なら、お互いの傘が当たらないよう外側に傾けるとか。往来も激しく、せせこましい下町で無用の小競り合いを避ける知恵でもあったらしい。西洋でいえば敬礼や握手のように、互いに敵意がない証しを示す暗黙の了解だったのだろうね。
 それって一種の一般常識なのかと思ってた、でも教わったというより生活の中で身についた所作だったんだなぁ。今は目上の人でも滅多に出会わなくなったもんね、そういった大人の仕草には。不遜な態度の相手にも自然に体が動いちゃって、なんだか後から屈辱的な気分になったりしてさ。
 それでも時折、同じようにして誰かと行き交うと嬉しくなる。相手のスマートさを害さなかった、そう出来る自分で良かったと思うよ。別に江戸っ子を気取るつもりはないがね、そんな瞬間に僕は自分の生まれを誇らしく感じるんだ。
 やがて廃れる所作だとしてもね。

 僕は古いものを無条件に有り難がりはしないのね、懐古主義って楽だけど発展性がないというか。そりゃあ温故知新は結構、でも新旧の折衷品は手法として古いじゃん? どこかで聴いたような音楽、たとえばそういった雰囲気の小物とか安心感があるけど心は躍らないっていう感じの…。
 だからって、今更「アメリカで大流行!」でもないよなー。昔は売りやすい宣伝文句だったろうが、やっぱ「他所は他所、ウチはウチ」なんだよね。PL法が施行された辺りから日本も訴訟社会になってきた気がして、なんか一段と不毛になってきたと思う。
 そもそも、コミュニケーションの不在が当たり前になってるからねぇ。お店でも電車でも、みんな知り合い以外には能面みたいで。車内で「ちょっと通してもらえます?」とか、レジで「これ、お願いします」なんて言うと逆に目立っちゃうし。でも海外に行くと違ったりするんだよな…。
 大抵の事柄は、互いを思いやって話し合えば済む筈なのにね。それで解決できない事でもないのに、どこかで掛け違えていく。まぁ日本国内だけの話じゃないか、グローバリズムや個性尊重が取り払った垣根の跡に溝が残ってるのに、気づきもしないでギャップに捕らわれるような。

 いや、批判じゃないつもりよ? 誰かが変わるべきだなんざ、おこがましいって。変わるのは僕自身、ただ情報不足というか。まさか現状に迎合してく気はしないしねぇ…。

平成17年5月1日ku78.jpg


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2005年04月26日

77*祝祭の日

 たとえば「スポーツ観戦が趣味」って聞くと、なんとなく(男の子っぽいな)って思うんだよね。でも実際それを趣味に挙げる人って聞かないけど、割と男性一般に共通してると思う。よく夕刊紙を買ってたり、毎晩その手のTV番組を見てたり。
 僕は全般的に興味ないので、よく初対面で(無難にスポーツの話題でも)なんて切り出す相手をシラケさせてしまうんだなー。話に合わせて相槌ぐらいは打つけど、自前のネタがないから間が持たないのね。
 でも小さい頃は父親に連れられて、神宮や後楽園球場でナイター観戦に行ってたんだよ。だからスポーツ観戦の雰囲気は嫌いじゃないんだ、Jリーグ・ブームの時期も何度か行ったし、会社帰りに東京ドームでWデート…なんてのも楽しかったもんなぁ。
 別にルールとか何勝してるかなんて知らなくても、スタジアムのLIVEな感じだけで盛り上がるんだよね。ただTVの前に座って中継を見る気はしないのよ、しかも何でもかんでもダイジェストで結果だけ見ても。

 第一印象で、僕は一見(お祭り野郎)みたく思われがちでさ。見た目だけは体育会系で、しかも口調が割と下町言葉なもんだから仕方ないんだけど。だが実は正反対、室内の一人遊びが大好き野郎なのだ。
 でもさ、人ってのは、相手が自分の受けた印象通りだと安心するんだよね。だから時々、ちょっと仲良くなってから(あ、こいつ見かけ倒し…?)って顔をされる事もある。
 それでって訳じゃないんだけど、たまに「外見そのままキャラ」を演じてるような自分がいるの。無理してなくても自然と(絵に描いたような江戸っ子)になっちゃってたりして。
 まぁ自分としては「ふたご座AB型とか特有の二面性」なんて程でもなくて、なんか引き出されるままの受け答えしてるだけってつもり…なんだけどね。特に仕事や何かで、別に友達付き合いするとか腹を割るような間柄にならない場合なんかに。
 もしかしたら、初めは意図的に演じてたのかな。でも今は気が付かないうちに切り替わるんで、そのテンション上がる感じを内心では(ここまでやったら落語の熊さん八っつぁんだな〜)とか思ったりして、結構楽しんでる部分もあるんだよ。
 ところで、実は祭りが大の苦手でさ。何が厭かって、あの人込みね。とにかく大勢がギューギュー詰まってる状態はダメ、気が立ってきちゃうんだわ。特に大きな祭りになると、町じゅうピリピリしたオーラが充満してくるよね。…ま、好きな人は「そこが堪らない」んだろうけど。
 とはいえ、過密してると誰だって一種の興奮状態に陥っちゃうでしょ? 満員電車なんかでも、殺気立って寛容な気持ちじゃいられなくなるじゃん。そこへもってきて、祝祭の非日常な場だからねー。
 集団社会における祝祭儀礼は、どの世界でも「日常のルールからの解放」といった側面があるよね。それが祭りの本質だとしても(もはや現代の日本で「ハレとケ」なんて曖昧なのにねぇ)って思っちゃう。冷静な人間性が失われる、というか無礼講じみてくるのが許せなくなるんだよ…ってなるのもまた、祭りの空気に影響されてる?

 祝祭儀礼というと、とあるイベント的なキャンプの事を思い出すんだ。枯れ枝を集めて火を起こしたり、真夜中の山中を明かりなしで歩いたり、一言でいえばエコ・キャンプ(?)。
 そこで、自分で鶏を絞めて食材にしたの。もちろん強制じゃなく、希望者だけね。敢えて僕は、選んだ鶏を日中ずっと可愛がってから殺したんだ。食べるという行為の裏にある、その経験を忘れないために。慣れてないし平気で出来る事じゃなくて、いざとなったら自分でも(ちょっと異常だな)って分かる精神状態になったよ。
「〇獄の黙示録」という映画のクライマックスで、原住民の祭りで牛の首を一刀両断するシーンがあるんだ。僕はもう、その祭りの真っ只中の気分で。鶏を絞めて血抜きして腑分けする間、祝祭の狂乱状態に自分を隔離してなければ耐えられなかったんだろうな。
 祭りって単なる日常の憂さ晴らしじゃなく、そういう厳粛さにも意味がある気がするんだよ。

平成17年4月14日
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2005年04月15日

76*パーソナリティ

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 ネクタイのセンス、これが分からないんだなぁ。
 洒落で作ってみたようなアート系の柄なんかはともかく、普通のネクタイね。趣味が良いとか野暮ったいとか、言われてみれば(確かになー)とは思うんだわ。だけど、いざ自分が手に取ってみたら区別が付かないんだろうなぁ…って。
 ま、身につける物のセンスって場数だよね。だけど、アクセサリーよりはネクタイ締めた回数のほうが多いのに、どうも分からないんだわ。とはいえ、アメカジっぽい格好が好きだからって「そっちのセンスなら自信あるの?」って問われても…ない訳ですが。
 初めて羽織った背広もネクタイも、親父のお下がりだったのよ。けど、その堅苦しさも(大人っぽさ)だと勘違いしてたっけ。文明開化の時代に舶来好みだった人達も、ひょっとしたら似たような気分だったのかも…なーんてね。

 ところで話は飛ぶけど、FMというのにはフォーマルな印象があるんだ。ま、他の放送メディアと比べたら、の話ね。一昔前の言い方をするなら、ハイ・ブロウな感じ。
 エスニックからハードコアから、ノイズ・ミュージックまでオンエアしてたんだよね。まぁ今じゃ想像できない感もあるけど、あらゆる音楽が流れてた。J〇WAVE以降、やたら喋りが多くなってヒットチャート専門に様変わりしちゃったからなぁ。
 実は最近、珍しくCDを買ったの。それもかつてFMの名番組だった「クロス〇ーバー・イレブン」を再現する企画盤。夜伽話の合間に音楽があるような、当時としても独特なスタイルだった。そして僕にとって、あの番組はFMの代名詞でもあったんだなって思う。
 聴き始めは、小学6年で東京から山口県に引っ越した頃。アニメっ子だった僕にとって、TVの民放が2つしかなかった上に再放送並みに古いアニメしか観られないのは大ショックでさ。そんな訳で読書好きに拍車がかかり、ラジオを聴くようになったんだ。
 ジャズもハードロックも、僕にはFMから与えられたようなもんなのよ。夜更かしして、山の静けさが押し寄せてくるような空気の中でね。ちょうど、背伸びしたくなる年頃でもあったし。だけど部屋の壁は、びっしりアニメのポスターだらけだったりしてね。
 AM放送も、僕にブラック・ミュージックを教えてくれた。それは中学2年で東京に戻ってからで、FENを聴くと常に「ウーマン・ニーズ・ラブ」が流れてきてたんだ。英語のDJだからか、日本人の素っ頓狂な喋りみたく耳障りじゃなくてね。
 ちなみに、FENを知ったのは「ア〇リカン・グラフィティ」にも登場するDJのウルフマン・ジャックから。実際にラジオからウルフマン・ジャックの声が聞こえた時は、なんだか有名人に出くわしたような感動があったもんだ。

 自分の経験と想像だけで作文してると、どうも回顧調な言い回しに寄っちまうな。実際、J〇WAVE以前も「サウ〇ド・ストリート」みたくパーソナリティを看板にした番組はあった訳だし。ただ、選曲は個性的だったと思うよ。
 高校生ぐらいだったかなぁ、当時のハードコア・パンクで筆頭に挙げられるバンドの曲がかかったの。割と品の良い音楽を流すと思ってたFMでだから衝撃だったな、でも同時に、その音楽を別け隔てしない姿勢に共感もしたんだ。
 そして、その初めて耳にしたパンクの詞にも衝撃を受けたんだ。活字にすれば意味不明な「オレはぁ、アザラシー!」が、聴いていて凄く説得力があったのよ。読む事を前提に書かれた詩とは全然違う、歌われるための詞があるんだって知らなかったんだ。
 それはもちろん、ミチ〇ウの声に負う部分が大きかったんだろうけど。ソウルが宿っていた、とでもいうか。だってあの歌詞を、たとえばカラオケで熱唱されてもねぇ…。
 歌う人間によっては、あれは「爆笑ソング」扱いじゃないのかなぁ。

平成17年4月14日

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2005年04月07日

75*意地悪(トゲとか毒)

 なぜ僕らの小学生時代は、給食の時間に牛乳を飲もうとすると笑わされていたのだろうなぁ? あるいは、笑わそうとしてたのか。
 そして更に分からないのは、どうして一気飲みしてたんだろう?…ま、今となっては答えが見つかる訳もないけれど。
 だけどさ、みんな習ったと思うんだけど「三角食べ」ってあったでしょ? 無意識の内に、未だにやってる時があるんだよね。あの当時も、そうやって一口づつチョビチョビ飲んでたら「鼻から牛乳〜!」みたいなアクシデントは起こらなかった筈なのに…。

 そういえば、クラスには2種類の男子がいた。スカートめくりをする男子と、しない男子だ。僕は「しない派」だったけど、密かに「する派」への憧れを抱いていたな。
 女心は不思議なもので、なぜか「する派」のほうが女子受けが良かったんだよなぁー。とっても嫌がってるくせに、どういう訳だかモテる男子は決まって「する派」なのよ。そんなだから(イヤよイヤよも好きのうち)なんて発想になるんだよな、一種の共犯関係じゃねーか? とか思っちゃったりして。
 きっと(意地悪=自分に好意がある)とかって思考回路が埋め込まれてるんだな、じゃあ僕が受けた仕打ちの数々も…? いや違うな、違うに決まってる(笑)。

 大体において、女性ってのは一般的に誉められるより貶されたい傾向があるんだよね。違うと言われても、実際そうなんだから仕様がない。
 僕は良いと思ったら割とストレートに口に出してしまうんだけど、それより「おっまえバカじゃねぇーの?!」とか言われてるほうが、よっぽど嬉しそうでさ。変なの!
 自慢じゃないが、僕は「相手の良い所にピントが合う」ように出来ているのね。絶対じゃないにしろ、あんまり欠点が目に入らないというオメデタイ性格なのよ。でも、たとえば口説こうと思ってる時なんか、けなすというか低く見る態度に出るほうがノッてくる。
 つまり「モテモテの道を歩むには女を貶せ」ってコトだ。…おかしいでしょ? でも経験的に本当そうなの。
 これは別にナンパ的な状況だけじゃなくて、普通の会話にも当てはまるんだよ。魅力を感じた相手に、思った通りに喋っても受け流されるの。警戒してるのかもしんないけど、素直に受け止めればイイじゃん?! 勧誘トークじゃないんだからさー。
 多分みんな自分に自信がないとか、誉められる事に慣れてないんだろうね。ただ、こっちとしては不本意この上ないんだなぁ。だって、自分の思ってる事と逆に喋るんだもん。
 そういう偽りは無駄にエネルギーを消耗するし、変な優しさと同じくらい不毛な感じでね。まぁ盛り上がったほうが楽しいっちゃあ楽しいんだけど、ふと毒舌トークにくたびれたりもして。

 そうそう、男の考える優しさと女性の言うソレって微妙に違うでしょ?
 好かれたい一心で優しさ全開にしたりして、平気で踏み台にされたりってのも含めてね。そういうのって年齢と共に減ったけど、それが自分サイドの経験値が上がったせいなのか女性の精神的な成熟度によるのかは、分からないなぁ。
 もちろん、すべての女性を十把一からげに語ってる気はないのよ。
 ただ、対象として該当する女性が牛乳一気飲みしてたら…?

 鼻から噴くまで笑わせるね!

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2005年03月27日

74*髪型の自由と不自由2

 前回の続きになるけど、モヒカンにされても同じバイトをしていたのね。
 その頃は「いろんな町で、いろんな仕事」がモットー(?)だったから、どんなバイトでも続いて半年程度だったんだけど…。バイトが任される仕事って限度があるからさ、3カ月もあれば覚える事がなくなっちゃうんだよね。で、ルーティンになってくると飽きるし。
 だから、そのバイトは例外的に長く続いた仕事だった訳だ。仕事もそうだけど、上司(つまりモヒカンにした人)との関係が大きかったと思う。やっぱ人は人のために働く部分があるじゃない? お金のため、以上に。
 まぁそれはさておき、モヒカンの1年後にカツラを買ったのよ。なんでだろう…? 理由はなくて、単に安かったからだと思う。商店街のワゴンセールで、確か2千円だったんだよね。ワゴンにヅラ、というのも阿佐ケ谷らしいよなぁ。
 夏のプールは来場者も多く、毎日ハードだ。仲間内の連携と団結力を維持する名目で飲み会やったり、夜の街に海パン一丁で繰り出したりしてた訳よ。四駆で深夜の東京名所巡りして、雷門や都庁や青学前なんかで写真撮ったりしてね。ブーメラン水着で。
 意味なく買っちゃったヅラが、案外そんな特別な日に活躍したんだな。さすがに安いだけあってダサくてチャチなの、だから洒落で被ったりもしてた。遠方の大学で一人暮らしを始めた友人宅へ行く時なんか、車の助手席に乗せて信号待ちの度に被っては「こんばんわー!」って勢いよく脱いだりしてね。相手が女のコだと、絶叫されたりして。
 あと六本木の路上とか、渋谷ハチ公の上とかでも被ってたっけな。いつも夜中だったけどね(笑)。
 それから何年も過ぎて、すっかりヅラなんて忘れた頃に京都で多くの友人が出来てさ。その一人が上京してくるっていうんで、その時の東京組で出迎えに行ったのよ。新幹線のホームに現地集合、もちろん僕は久々にヅラで。
 そしたら、向こうのほうからアフロのヅラ被ってる男が来る訳よ。よく見たら東京組の一人じゃない、何も打ち合わせてないのにね?! お互いヅラ同士、指さして大笑いだった。しかも両者ともギター抱えてるし…。さすがに他のメンツは、ウケる以前に(どうしたの?!)って顔してたけど。
 結局その時の一人に貰われていって、以降はヅラと縁がない。金髪にもモヒカンにもしないで、風呂場に新聞紙敷いて電動バリカンというスタイルで早10年。自分で切ると言っても丸刈りだからね、大した手間でもないし思いついたら月曜でも夜中でも出来るのが楽でいいんだ。
 ただ、近頃はバリカンも卒業気分なのかな…。僕が、じゃなくて相方のほうがね。充電も効かないし、電源コードを繋いでも歯切れ悪くて。じゃあ伸してみるか、昔の〇リエモンみたいに…? いやいや、それは止めとくわ。買い替える方向で。
 でも安くないんだよな、ネット・オークションで捜してみるかと考えたものの、バリカンは新品じゃないとね。通販で買ってもいいなって思える中古品ってさ、そう多くないかも。古着とか好きだけど、あれも現物を触ってみないと厭だし。
 だけど「ネットで買い物」ってのは、やってみると思ってたより楽しいのね。それで買ったゲームの(もうちょっと悩んでから決めれば良かったかナ〜?)って、買うほど欲しくはなかった筈が思考停止してたのは微妙だけど。楽しいといっても、実際の買い物というよりUFOキャッチャーに近いかも。ダウンロードの快感、みたいな。
 お金はエネルギーだと思うから、溜め込むより流れているほうが良い気がするのよ。でも心にフィードバックする流れを選択しないとね、物だけ増えても涸れてくる気がして。そして、物は増えた分だけ減らさないと。
「部屋は空虚な場所だが、そこを埋めてしまうと、その分だけ動きが妨げられてしまう」
 そんなタオの言葉があったけど、それは比喩であって実際でもあるよなぁ。

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2005年03月20日

73*髪形の自由と不自由

 僕が金髪にしたのは20歳のクリスマス、初ライブの店でのリベンジ3日前の事。
 まだその頃は長髪の兄チャンしか、髪の色を変えている奴は見かけなかったからなぁ。革ジャンとか着てるならまだしも、波乗り系のトレーナー着て長髪でもないのにプラチナ・ブロンドなのだ。ロックンローラーにも見えないし、かといって他のジャンルにも分けようがない人だったと思う。
 初ライブのほろ苦い思い出を持つ店に、別のコピバンで挑む機会が訪れた。しかも今度はギターだ、ほとんど客は10代の女性だし張り切ってメイクまでビジュアル系で弾きまくった。
 しかし女のコ全員、引きまくったね。自分のソロで最前列まで出ると「キャー!」って、後ずさってくの見て「十戒」かと思ったよ、あの海が割れる名シーンみたいでさ。
 店の人には「ウチが始まって以来の盛り上がり方」とまで言われ、リベンジには成功したけど女のコは誰ひとり近寄って来なかった。

 年が明けて成人式、でも…やたら浮いていた。地味なスーツなのに、背伸びしたがる連中の羽織袴より目立っていたらしい。けれども地元の知り合いは、みんな僕だとは気が付いてくれなかった。仲間内で(あいつヤバそうだから目を合わすな)とか言い合ってたとか、いないとか。
 初めてカラオケをしたのも、その時だった気がする。ボックスじゃなくて、飲み放題で順番に歌う店が出てきた時代だ。知らない連中同士が店中で盛り上がって、なかなか快感だったな。
 しばらくカラオケにハマッたが、コピバンの方は解散に向かっていた。せっかくオリジナルを採用してもらったけど、主導権を巡る駆け引きとかになってきたのだ。まぁよくある話だよね、一人で音楽やってるほうが気楽でいいや。

 金髪ってのは、維持してくのが面倒なのねー。伸ばしてみようかとも思ったけれど、ライブの予定も当面なくなったからなぁ。飽きたし夏だしで短髪に戻って、そしてモヒカンになった。いや、正確には罰ゲーム的に「された」のか。
 泳げるようになりたくてプールの監視員になったものの、そこは体育会系ノリで遅刻厳禁の世界。他の連中は皆近所で、僕だけ1時間かけて通っていたのだ。しかも学生じゃないから毎日で体力的にキツくてね…。
 それに当時はまだ(遅刻なんざ、その分の給料が引かれるだけ)としか思ってなかったし。そんな非体育会な僕は「3回遅刻したら坊主」なのに5回も遅刻して、それで会議の結果はモヒカン。そこの管理を任されていた人は元・美容師だったから、決定即実行と相成ってしまったのだ。
 みんな(コイツ、切られる前に逃げて辞めちゃうな)って顔してたから、敢えてモヒカンに。だけど最初から短髪だから、凸っと冴えない感じになっただけだったけど…。情けなさに、ちょっと泣いたね。帰りの電車も、ラッシュアワーなのに人が避けるし。
 その足で、地元の友人に会った。3日後に伊豆でキャンプをする計画だったから、隠す訳にもいかないし。しかも海でナンパは約束事だったから(違うか)。
 浅草海苔状態の頭を見た彼は虚脱してたが、それでも僕にとっての初キャンプは実行してもらえた。ただし「絶対に帽子は脱ぐな」という厳命付きで、だったが。んで一応は頭にバンダナ巻いて海水浴場に行くの、そんで「あっ、波が!」なんつってモヒ丸出しにしちゃってさ。友人的には気分最悪だったそうだ、そりゃあナンパは無理だしなぁ。
 タクシードライバーみたいなグラサンして、モヒカンにブーメランで、しかもエスニック系のネックレスをジャラジャラさせて…。でも横須賀を通過する時なんて、ヤンキー車が道を譲ってくれたりしてね。そういうのも、なんか得意というより複雑な心境だったけど。
 ところで監視員って水着は必ず競泳用なんだけど、割と簡単に抵抗ってなくなっちゃうもんなのよ。

平成17年1月27日ku73.jpg


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2005年03月12日

72*L.A.からN.Y.へ

 僕の初ライブは,原宿のL.A.という店だった。高校卒業ライブという事で、中学の同級生から誘われたのが2月。僕はベースで、当時の人気バンドの曲をコピーした。よく覚えてないけど、20曲以上だったと思う。1カ月しかなかったのに。
 ベースを買ったのは中学時代で、コピーバンドを始めたのは高校生になってから。でも、いわゆるフュージョン系しか演らなかったのでピックで弾く事から覚えるようなものだった。ノルマのチケットを友人に買ってもらって、彼らの冷やかしとヤジに緊張しまくりで黙々と弾いたっけ。
 ステージでアガッちゃったのは、それが最後かもしれない。初舞台は中学のブラスバンドで経験済みだったけど、客席から名指しで呼ばれて嘲笑されるのは…最初で最後だと思いたいね。
 ま、それはともかく。そのL.A.という店は、地下でプールバーも経営していた。そう、プールバーとかショットバーなんてのが流行り出した頃だったのだ。
 来てくれた友人達は小粋なステージでも想像してたのか、演奏後の言われようは「金返せ」とか散々だった。実際に下手だった上に、店の音響スタッフがドラムにディレイ掛けてドドンパみたいだったしなぁ。
 相手が友人でも、ライブは無理に頼み込んで観てもらうもんじゃあないよなぁ。

 その頃、僕の住む町にもショットバーがあった。街道筋の、旧宿場町の商店街から外れた辺りに木の看板に手書きのメニューが出ていたのね。そんなの今じゃ珍しくもないが、当時は斬新に思えたのだ。
 で、狭い路地を入ると地味な店構えでねー、それがまた気に入ってさ。地元らしいっていうか、流行の先端とは無縁の外し加減が。テーブル1つに小さなカウンター、なぜかBGMはロシア民謡みたいなので、マスターの後ろ髪は常に寝癖ではねていた。
 それまでウィスキーが飲めなかった僕に、バーボンの味を教えてくれた。ウォッカにジン、ラムにテキーラ…。有名ホテルでバーテンダーをしてた割に、ちょっと気が小さそうなマスターの敷居が低いキャラも好きだった。
 高校を出て広告写真のスタジオで働き始めた僕は、手取りは少なくても学生バイトより自由に使える金が増えて、仕事帰りに足げく通うようになった。そしてある晩、親しくなったマスターが「店を畳む」と打ち明けてきた。確かに経営は厳しかったろう、僕が行くと先客がいた試しがなかったもんなぁ。
 ここを閉めてどうするのか訊くと「六本木でホットドック・スタンドを始めるつもりだ」と言う。これも今では普通に見かけるが、早くもミニバンでの移動式屋台を考えていたのだ。見かけによらず行動力があるというか、そういう発想の拡げ方に社会に出たばかりの僕は驚かされた。
 そして数カ月後、今度は僕が「仕事を辞める」と話した。
 先の当てなんてなかったけれど、結構な退職金が出るので思い切って海外に出ようかとも思ったりしていた。たかが1年ちょっとの青二才に50万だ。当然それには会社側の事情があるのだけど、ハタチなりたての僕が未来を夢見るのに充分すぎる金額だった。
 同僚と2人で「N.Y.に知り合いがいるから、屋台でアートっぽい土産物とか売ろうぜ」…そんな本気とも冗談ともつかない話をして、最後の1カ月は過ぎ去った。もちろん現実には、退職金を無為に食い潰すだけに終わってしまった訳だが。
 それから数年が経ち、僕は西麻布で働いていた。
 そして六本木で飲んだりする度、無意識にホットドック・スタンドを捜してはマスターを思い出していた。
 彼は夢を叶えただろうか?

平成17年1月27日ku72.jpg


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2005年03月03日

71*それは理解

 これは「飛蚊症」という奴なのか、時々、小さな埃みたいな影が目の前を横切るのよ。見た感じ、どうやら眼球の裏側にある血管が映り込んでいるみたい。焦点を合わそうとすると逃げてくから、じっと見るのもコツが要るんだけど。
 この(見ないように見る)という物の見方は3D写真に似てるな、あれって交差法だか平行法だか色々あるそうだね。
 ぼんやり見ていると分かるのに、目を凝らすと見失ってしまう。それって何かを思いついた時にも時々あるなぁ。すんごいナイスなアイデアをひらめいて、それを具体的に考え始めると途端に消えちゃうの。
 曖昧なものは視界の外にある…ってか?

 ところで、この宇宙の成り立ちを分化論的に捉えると「クール=冴えてる」って言い回しは絶妙だね。ビッグバンの超高温高圧という状態の塊から冷えてゆく過程で、様々な元素が分かれ出て星になり、更に多種多様な物質へと枝分かれしていった…。
 人の心が、カッとなると全部が一緒くたになるっていう、その逆の仕組みだよね。分かるというのはクールな状態で、言葉というのは切り離す道具なんだ。「アレ」を共有するために、あるいは所有するために「コレ」と違う呼び方をするように。
 ちょっと前、巷では「右脳が偉い」みたく言われてたでしょ。しかしヘソ曲がりは(そうかぁ?)と、ハスに構えてしまうのね。別に右脳は右脳、それ以上でも以下でもない。

 昔読んだ「(スペース)コブラ」というマンガで、視覚と聴覚を入れ替えられてしまう場面があった。…と、いきなり何のコトやら意味不明な話で失敬!
 主人公が、悪役の魔術みたいなのに苦戦するのだ。耳から聞こえる物音や声が図形と色になり、目で見ている筈の物体が様々な音に変換されてしまう…。20年も昔にしては凄い発想だよね、今でも時々ふと思い出してしまう時がある。
 たとえば「脳は脳を知る事ができない」っていう言葉を聞いた時も。

 インターネット上のリンクと検索の機能って、僕が以前にイメージしてた脳内の構造と似てるのね。それは「考え」というのが(頭の中に散らばった情報を、検索条件で呼び出した組み合わせ)じゃないかって思ってたのよ。
 つまり大きな塊としてではなく、小さな記憶が一時的に集合した状態ね。で、検索の号令に呼応する小見出しというか合言葉みたいなのは、いわば招集領域でスタンバってる訳さ。視覚寄りの人間ならアイコンのように、聴覚寄りな人はフレーズみたいな感じで。
 その下に、個人の経験則からリンクの網が関連づけされてるの。つまり、誰かの気持ちとシンクロしても、至るまでの過程は同じ筈がないっていう事。同じ空を見ても同じには記憶されないし(関連付けや比較の仕方が違うから)、同じ歌を聴いても脳の処理は違う流れを辿るって。
 もちろん、そういう僕の想像通りに脳みその仕組みが出来てるって話じゃないよ。でも面白いと思わない? 同じ時間と空間にあっても、君と僕とは孤立した存在だ。共通のルールが、共通の認識で流通している訳じゃない。誰もが、目の前にいる誰とも重なり合わない。
 そんな僕や貴方だけで閉じている回路が、異なる他者を理解する事。その拡がり。まず個であるという認識があり、だからこそ面白がれるのだろうけど。

 しかし、そもそも「考える」という言葉を作った人は、一体どのように物事を理解していたんだろう? あるとき、僕は自分が常日頃「考える」ではなく「考え事をする」ばかりだったという事に気が付いたのね。僕は頭の中で自分の意見をまとめたり組み立てたりしていなかった…と。
 僕の場合、誰かと話すか書くかしないと考えられないのね。誰かに伝えようと言語化して、それを見聞きした時に初めて何かを理解しているんだ。喋ったり書いたりする瞬間まで思いも付かなかった言葉が勝手に飛び出してきて、それが僕を新しい理解へと押し上げてくれるのよ。
 心理学では、人は思考を視覚、聴覚あるいは他の感覚として保存しているものらしい。そして僕の場合は聴覚の比率が高いようで、伝える相手が目の前にいるほうが「クール」になる気がする。

 持論(つまりそれが結論でもある)を他人に押し付ける為に、他人の論理をつまずかせて持論を勝利に導く。それは話し合いとは言えないよね、予定調和のための段取りというか。分からない事柄を分かる事にもならない。
 自分で何が分からないのかを見つけだし、自力でそこを埋めてこそ「分かる」のであって、他の人の意見に誘導されるものであっては意味がないもんね。それじゃあ「分かった事にする」でしかないし。
 そして僕がすでに「分かっている」と思い込んでいる大半は、そのようにして自分自身の心に根付いていない「分かったような」曖昧さの積み重ねで出来ているんだなぁ。

 信じる事は簡単だ、しかし疑う事はもっと容易に出来る(盲信するのは別として)。疑う事と賛同しない事は、大したリスクを負わない、という点で似ているよね。
 どうして世の中は、信じないほうがリスクが小さく出来ているんだろう?

平成17年3月3日ku71.JPG



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